アングラマガジンの方に感想というかメッセージが届いているので、それをシェアしたいかなと思います。
シェアするついでに、この方へのアドバイスなんかも交えていきたいと思うので、特に30代半ば以降で、ビジネスにチャレンジしている人は聞いてほしいなと思います。
ということですね。
こんな長くて心のこもったメッセージをいただきました。
これについてせっかくいただいたので、僕からいくつかアドバイスをできたらなというふうに思うんだけれども、まず年齢について。
42歳ということで、僕と同年代ぐらいですね。なので、現実的な話をします。
42歳で大きな目標を持とうとするなら、あるいは人生そのものをこれまでの人生とは違うものに変えようとするなら、相当コミットしないときついよっていうこと。
例えば、いつか何かの役に立つかもしれないからっていう理由で、何かに時間を使うほど時間がないのよ。そういう年齢が42歳という年齢だから。
やること一つに絞って、「これをやりきるんだ」ってコミットをした上で、一心不乱に脇目も振らずがむしゃらにやるしかない。もともと才能が備わってるとかだったらやり始めてすぐに開花するかもしれないけど、普通そんなんないじゃん。ゼロスタートのはずだよ。
で、MIXTUREっていう教材があって、知らない人いるかもしれないけど、うちが以前出したコンテンツビジネスを一から全部学べる教材があるんだけど、この方はそれの購入者さんなんだよね。
今学び始めたってことで、それは全然よくて、ただゼロスタートのはずだから「やりきるんだ」っていう気持ちでやらないと、時間だけはどんどん過ぎていって結局何もならないんだよね。
そこをこの方だけじゃなくって、30代後半以上の人、準中年からもう中年以上の人たちは自覚しないといけないなって思ってる。
俺自身がもう44だから、すげえ感じるのよ。それを。
で、ライバルは若者であるってことを忘れてはいけないよね。
若者と俺らは違うのよ。なんか気持ちだけはずっと若いままだし、年取るごとに時間の流れ早くなってんじゃん。つい最近まで若者だった感覚なんだよね。
でも、しっかりと何十年も経過していて、体の衰えも実感する年齢だし、それは体力的にも思考力的にも、頭の回転とかも悪くなるし、正直物忘れも多くなるし。若者にはエネルギー量では絶対敵わないよね。
ここでいうエネルギーっていうのは、「前に前進していく力」「誰に止められても多少の犠牲は厭わない、多少のリスクは取るよっていう思い切りの良さ」。
こういうはエネルギーがないとやれないのよ。年取るとこれが著しく下がってくるから。
だから、どんなチャレンジをするにも、まず恐怖心が勝っちゃう。なぜなら背負ってるものとか守るものが多いから。
そういう意味で若者と我々は決定的に違くて、別に初めて言う話じゃないけど、俺は20代のあの頃だったから起業できたのかなって思ってるぐらい。「今やれ」って言われたら自信ないもん。もちろん今の知識と経験のまま起業しろって言われたら楽勝だと思うよ。
でも、知識も経験もゼロスタートで、今の年齢から何か新しいことを始めて成功しなさいって言われたら、自信ないもんね。
それぐらいの年齢だってことだよ。
それが40代・50代とかになったら、もっとやりにくいよね。
だけど、もう一個の事実として「これからの人生の中で、一番若いのが今だ」ってこと。
やってやれないことはないっていうのも俺の信念の一つにあって、それを成し遂げるにはこれしかないんだと。何が何でもやるんだ。やらなきゃ死んじゃうぐらいの気持ちを持たないと、その潜在能力っていうのは発揮できないよ。
多少犠牲を払ってリスクを取る。何としてでもやるんだっていうぐらいの気持ちをどこかで持たないとダメなんだよね。
要するに、中途半端じゃダメだってこと。
俺いろんな中年のチャレンジを仕事上これまで見てきたけど、うまくいった人の方が少ないよ。
うまくいった人がいたら俺もめちゃくちゃ尊敬するし、飲みに誘いたいぐらい。それぐらいすごいことなんだよね。
だけど、別に難しいこと言ってるわけじゃなくて、気持ちの問題だから、要するに。
そのためには…さらに現実的な話になるんだけど、健康にはめちゃくちゃ気使った方がいいね。
食べるもの、睡眠時間、心の健康などなど。日光をちゃんと浴びるとか、有酸素運動をちゃんとするとか、毎日汗をかくとか、半身浴をするとか、疲れは必ず取るとかね。
整体に行ったり、マッサージでもいいよ。ヘッドスパーに行ったりとかして、きちんと頭の疲れ、体の疲れを定期的にリセットするっていうこと。
あと食事管理をもうちゃんと勉強して、自分の体の責任を自分で持つっていう自覚を持つこと。
これだけで若者の時ぐらいの体力というか、クオリティは取り戻せるから。40代ってそういう年齢でもあるんだよね。
若者の時みたいに不節制ばっかしてると、一気に落ち込むけど、そこきちんとアスリート並みとは言わないけど、それぐらいの意識を持ってちゃんと自分の体をメンテナンスしながらやれば、まだまだ30代前半とかそれぐらいの元気を取り戻すことができる年齢でもあるんだよ、40代って。
だから、まず体だね。
体を整えるってことをすればエネルギーも取り戻せるし、エネルギーが戻るってことは、チャレンジする力が増すってことだから。
恐怖心にも勝てる。そういうことです。
あと気になったのが、「福祉関係の事業で友達と起業しようか」っていう話が出てるっていう話なんだけど、俺個人の意見だよ。絶対やめた方がいい。
友達と起業するっていう話が上手くいった試しがないっていうか、事例を聞いたことがないんだよね。
成功事例もあるだろうけど、結構特殊な事例だと思う。
組織って基本縦だから、横並びのトップってありえないんだよね。決定は必ず一人のトップが行うわけ。
話し合いはするよ。幹部たちと。だけど、最終決定は一人が行うんだよね。
その一人が行うのに、横並びのトップがもう一人いるっていうのは成立しないわけよ。
必ずトラブルが起こる。お互い主張があるわけだし。考え方も違う。
そういう人間同士が横並びで組織を運営していく、ビジネスをやっていくっていうのは、これほど難しいことはないと思う。
絶対トラブルになる。意見が絶対合わないことが必ずあるから、合わないときに縦社会じゃないと「いや、俺がトップだから、俺が責任持つからこの決断をする」って言えるような立場にないと組織はうまくいかないし、それは甘いね。
友達と起業は絶対やめたほうがいい。悪いことは言えないから。
自信がないから友達と二人三脚で頑張って、自信がない分を二人で埋めようっていう発想だったらなおやめたほうがいい。
そうはならないから。
一人でやっていく自信がないと起業なんかしちゃダメなんだよ。基本的に起業って一人でするもんだから。
もちろん、出資してもらったりとかして、資金面で援助してもらうことはあるんだけど、全ての決定権は自分にあるっていう状態から始めなきゃそれは起業じゃないってことを思った方がいいね。
いろんな事例があるんだよ。
例えば、サイバーエージェントの藤田さんっていう社長さんがいるでしょ。あの人って二人とかで始めてんだよね。
いきなり前の会社の同期のなんとかっていう人と始めて、これまで友達みたいな感じで、ずっと付き合ってきたんだけど、「今日から俺が社長だから、会社で俺のことを社長って呼んでくれ」って最初に言ってるわけ。始める時にね。
パートナーはちゃんと社長を立てる人。自分はサポーターなんだと自分は右腕なんだっていう使命感と自覚をきちんと持って社長を支えていこうっていう気持ちでやってたから、うまくいってんだよ。
でも、稀でしょ。そういう関係って。
もうすでに成長してる会社で、優秀な社長だったらそういう人材はいっぱい集まってくるよ。
だけど、今からスタートアップですっていう人間に、優秀な参謀なんて絶対つかないから。
いろんな意味で絶対にうまくいかないと思う。友達と起業は絶対にって言いたいね。本当は絶対じゃないけどね。
言いたかったことをまとめると、中途半端に何かをやるほどの時間は残ってないってこと。
真剣に期限切って将来のことを考えて、今自分が何をすべきかっていうことを考えて、今自分が何をすべきかっていうことを一つに絞ってやるんだったら、徹底的に脇目も振らずにやるっていうこと。
それをやらないとあっという間に50代ですよ。
今30代の人もこれからもっと早くなるよ。
年を取るごとにだんだんチャレンジしにくくなってくるから、状況が良くなることはないよ。
これまで通りの生き方をするんだったら、チャレンジするのに状況が良くなることはないです。
努力してないと右肩下がっていくっていうのが、中年以上の宿命で、日々の努力を意識的にやって、なんとか現状を維持ぐらい。
で、誰にもできないぐらいの相当な努力をがむしゃらにやって、やっと上向きになるってイメージですよ。
これが現実なんで、ぜひリアリストの僕のアドバイスだと思って、参考にしてもらえばいいんじゃないかなと思います。
ジュンから何かある?
YouTube動画を常に1.5倍速で見てるような、それぐらいの時間間隔だね。
10分の動画なのに、7分ぐらいで終わっちゃったぐらいの感じだよ。
俺の最近の口癖「若返りてー」だもん(苦笑)
ハルトがうんざりしてるよ。いつも聞かされてるから。
「マジでお前の年齢と足して2で割りてー」とか言ってるもん。
若さを本当の意味で取り戻すことはできないんだけど、この年になって出てきたね。最近までなかったんだよ。
若いことは素晴らしいってやっぱり最近特に思うし、あの時期って素晴らしかったんだって俺今実感してるよ。
だから、37歳で人生止まってほしいもん。
一番男としても37歳ぐらいが俺の肌感では一番モテるし、下の世代にも上の世代にも満面なく男としてモテるし、エネルギーもまだまだアツいし、ピークぐらいのエネルギーは努力次第で発揮できるし。
まあ言うたって無理な話だから、そこは健康に気を使って、そこになるべく近づけていけば大丈夫って話。
というわけで、今日はこの辺で終わりにしたいと思います。
ありがとうございました。
]]>HQ-MiND始めていきます。
今回の話なんですが、、、タイトルつけてなかった。
「一つのことに意識を高く持っても、あんま意味がないよ」っていう話になると思うんだけど、例えば、自己啓発を勉強してる人とか、それぞれ目的はあると思うんだよ。
具体的な目的。稼げるようになりたいとか、モテるようになりたいとかね。うちに来る人ってほとんどそうじゃん。
最近やった勉強会というかセミナーがあったけど、オフ会に来られていた方も自己啓発系の企画に参加されてはいるけど、目標としては「もっと魅力的になりたい」とか「モテたい」とかっていう目標がある人たちが何人も来ていたと思うんだよね。
そんな彼らを見ていて、改めて思ったことなんだけど、企画自体は自己啓発的なものではあったけれども、精神性の高みだけを目指して意識高く持ってもあんまり意味がないというか、逆に悪さをすることがあるっていうふうに考えてるんだよね。
どういうことかっていうと、「精神性を高く持つ」っていうことが目的なわけじゃないよね?
目的としては「魅力的になりたい」「モテたい」とかそういうことがあるわけじゃん。
なので、あれば見た目とかトークとか、そういう具体的な目的に関わるスキルは、一律で磨いていく必要があるんだよね。
精神性だけ磨いたって、理想と現実の乖離がどんどんできちゃって病んじゃうわけよ。
具体的な話をすると、例えば自己啓発ばっかりに自己投資しても、ハゲてて情弱のままじゃ意味がないってことよ。
モテたいんだったら、できることいっぱいあるのね。例えば、頭髪が薄いんだったら情報を調べれば、今のこの時代いくらでも頭髪の薄さを改善できる夢のような薬というものが個人でいくらでも手に入るわけ。医者の処方を受けずとも。
あるいは、もっと大胆にやろうとするんであれば、自毛植毛っていう方法もあったりとか、日本でやるとまだまだ高いんだけどトルコとかに行くと、日本の半額以下でできちゃうらしいんだよね。
それって意識高く持ってれば、自然と入手できる情報だと思うわけだけど、そこの意識が低いままだから、そういう情報を手に入れられないまま、あるいは手に入れたとしても実行に移せないわけじゃん。
実行に移す気がないというか、そこまでの行動力がステータスに振られてないというか。。
精神性の高みだけを目指したって、あんまり現実って変わらないなっていう気がするんだよ。
モテたいんだったら、当たり前の話なんだけど、相手に対峙する自分の見た目くらい最善の努力をした上で、整えて対峙するべきだと俺は思うんだよね。
だから、抽象度だけを上げても、具体性がなければ現実は変わらないってこと。
俺はよく「リアリストじゃないとダメだよ」って言うんだけど、リアリストってのは現実主義者のことだよね。
現実主義だけでは、俺はダメだと思ってて「リアリストでありつつ、イデアリスト(理想主義者)でもある必要がある」と思ってる。
リアリストとイデアリストの両方の側面をちゃんとバランスよく持ち合わせていないと、現実と理想の距離がどんどん離れていってしまって、さっきも言ったけどマジ病むのよ。
すごい精神的に健全じゃない状態になるのね。
なので、自分は何を目的にして、とりあえず何を手に入れたくて、この意識を高く持とうとしているのか?精神性の高いところ高みを目指しているのか?っていうのを考えて、自己啓発とかそういうものを学ぼうとする人たちは、取り組んだ方がいいかなというふうに思います。
目的が自己啓発を勉強することになっていると、その時はいいかもしれないけど、時間が経つにつれて何も現実が変わってない自分をふと冷静に見たときに「才能がないんじゃないか」「自分ってダメなんじゃないか」みたいな自己嫌悪に走っちゃうんだよね。
そうじゃなくて、全く現実的なところの意識が低いままだからそうなるっていう自覚を持ってもらいたいなと思います。
最後に何か意見があれば。
そうですね。マインドを学ぶっていうことって重要だと思うんですけど、例えば、テキストの情報とか動画の情報とか何かしらがあれば一応マインドの方向性みたいなのは学べる時代じゃないですか。しかも、いつでも無料で。
ただ「いつでも無料で学べる状態」っていうのが結構マインドを学ぶっていう落とし穴と相まって、ある意味あんまりいい時代じゃないのかなっていうのは、ちょっと思いました。
なるほど。
甘やかされてる感じはあるよね。
そうだよね。なんか一昔二昔前だったら、本気で自分から積極的に取りに行かないと情報って取得できなかったじゃん。
特にインターネット以前はもちろんそうだし、インターネットが出てきて黎明期と言われる時代に関しても、ろくな情報がなかったから。
今なんかよりも数百分の一とか数千分の一の情報量でしょ。
その中から自分が本当に必要とする情報を取りに行こうとするんだったら、努力が必要だったんだよね。
今はそれほど努力しなくても、正しくて必要な情報って手に入るから、そこに対する無意識の甘えみたいなものがあるような気がしていて、だからマインドに走っちゃうみたいなのはあんまり良くないと思う。
マインドを高めるとか、なんとなく全体的に人生に対する意識を高めるとかっていうのって気持ちいいから。
走っちゃいがち、逃げてしまいがちなんだよね。
そこは「リアリストである」という側面もちゃんと大事にしてほしいと思います。
というわけで、今回は以上。
ありがとうございました。
]]>HQ-MIND始めていきます。
今日は「緊張を和らげる考え方」について話をしたいと思います。
緊張を和らげる話、考え方。
人前にバンと出るじゃないですか。
僕だったらセミナーとかやるんで、何十人っていう人の前にバーンと出て喋ることもあります。
長い時は3時間、4時間喋ることもあります。
大体いつも10〜30人ぐらいのセミナーが多いんですけど、200人とか300人とかの前でしゃべったこともありますし、まあまあ緊張するわけですよね。
毎回緊張するんですよ。
さすがに最近は慣れてきたけど。
他にも、例えば会社員されてる方だったら、営業されてる方だったら、営業先に行って自社商品のプレゼンテーションしなきゃいけないとか。
あるいは、社内会議で喋らなきゃいけないとかもあると思うし、女性とデートする時とかもそう。
初対面の女性とデートするとか、会話するとかって緊張しますよね。慣れてないと特にね。
あと結婚式のスピーチとかすごい大事じゃないですか。
友人の結婚式に招かれて、友人代表のスピーチを任された。すごく光栄なことなんだけど、これ失敗できんなと。
すごい緊張すると思うんですよね。
僕も友人代表のスピーチは何回か経験したことあります。
主賓として行ったこともありますけど、あれが一番緊張するかもしれないですね。
失敗できないっていう気持ちが、すごい緊張感を煽るんですよ。
程よい緊張はあった方がいいと思うんですけど、必要以上の過度な緊張は、確実に自分自身のパフォーマンスを下げるので、なかなかそれは避けたいところなわけです。
そういう場面って生きていたらあると思うんですけど、じゃあどうやったら緊張をほぐせるのか。
みんな色々試してると思うんですよね。
古いところで言うと、「手のひらに人という字を3回書いて飲む」とか。あれ何の意味があるんですかね。
完全な迷信だと思うんですけど、やっぱりそれは考え方だと思うんですよ。
一番効果的な方法としてはね。
もちろん体を動かすとか、程よく汗かくぐらい散歩して本番に挑むとかはあると思います。
あ。そうそう。思い出した。
楽天の社長の三木谷さんの本を昔読んだことあるんですけど、まだドブ板営業してた時に「さあ、今からこの店に飛び込み営業するぞ!」って時に、10〜20秒間思いっきり腿上げ運動をして「はっはっ」ってなって「よし行くぞ」って行っていたらしいですね。
そんなことを今思い出しましたけど、色々手段はあると思うんだけど、考え方だと思うんですよ。
僕はこれまでそういった場面を、考え方で乗り越えてきた人間です。
ちょっとあんまり引っ張るとあれなんですけど答えを言うと、こういうマインドセットをちょっと試してみてください。
「初めてなんだけど、もう2回目」
わかります?
初めての女性と会うんだけど、初対面なんだけど2回目。
3回目でもいいですよ。4回目でもいい。
とにかく「これが初めての経験なんだ」と思わないことです。
もちろん初めてなんだけど、そこはマインドセットとして、もう実は2回目3回目なんだって思うってことです。
どういうことかって言うと、僕は結構イメージトレーニングをするんですよ。何か本番に挑む前に。
すごくイメージトレーニングするんですよ。
僕の場合はイメージング力があるので、結構リアルにイメージできるわけですね。
すると十分にイメージトレーニングを積んで臨んだ本番って、かなりリラックスして臨むことができるんですよ。
「これってもう2回目3回目の感覚なんじゃないか」って思うぐらいなんですよ。
だったら2回目でいいじゃん。わざわざ「初めての経験を俺は今からする。緊張ドキドキ」とかって思う必要なくて、そこはいいじゃないですか。
イメージトレーニングもう1回やってんだから。
本番って言ったら初めてかもしんないけど、イメージトレーニング1回やってるし、また同じことやるんだから。もう2回目でいいじゃないですか。
なんなら夢で1回経験してんだったら、もうそれを1回でカウントしちゃっていいんですよ。
緊張する原因の1つは「初めてだから」なんですよ。
初めてだと思ってるから、それが緊張を必要以上に煽るんですよね。
そうじゃない。初めてじゃないんですよ。
大事な場面であればあるほど、何度もその場面をイメージトレーニングするわけでしょ?
僕が友人代表のスピーチに初めて行った時。
何年前だったかな。もう十何年前。20代半ばの時に1回やらせてもらいましたけど、もう20回とか30回とかイメージトレーニングしてます。
ただのイメージトレーニングじゃないんですよ。
ただ頭に思い浮かべて「こんな感じかな。あんな感じかな」と思い浮かべるだけじゃなくて、頭から終わりまで、その状況に今自分がいるかのように、目を瞑って結婚式場をイメージして、「友人代表のスピーチお願いします」って司会者の方に言われて、そこから席を立って、壇上に行って・・・とか。
もう最初から最後までを全部演じるんですよ。イメージの中で。
それもう20回30回繰り返してるわけですよね。
喋ることもほぼ丸暗記してます。
そうやって挑んだ本番。そんなに緊張せずにやれましたね。
僕は普通の人より不利なんですよ。吃音があるから。
その頃はもう吃音はある程度克服してましたけど、完全克服っていうことではなくて出る時は出るんですよ。
ただコントロールをするのがすごく上手になってるって状態なだけなんで、そういう場面に立つと「吃音出ちゃうんじゃないかな」って緊張はあるんだけど、そんなこともなくすごいリラックスした状態でスピーチすることができたんですよね。
その成功体験があるから、初めて小規模セミナーやった時も、初めて大規模(200人ぐらいの)のセミナーやった時も、そんなに過度に緊張することなく、良い緊張感をもって臨むことができました。
なんでも僕の場合そうです。
初対面の女性とデートする時でもそうです。
「これはもう2回目なんだ」って思って対峙するようにしてますね。
最初は上手くいかないかもしれないけど、何度かやってると「こういうことなのか」って思ってもらえると思うんで、ちょっと騙されたと思ってやってみてください。
1回とか2回とかやって「全然効果ないじゃん。嘘つき」とかって言われても困るんだけど、何度かやってみてください。
そしたらだんだんと感覚がわかってくるんで。
「これいいな」って思ってもらえる自信があるんで、是非お試しあれ。
はい。ということで今日の話は以上。
ではまた。
ありがとうございました。
]]>またある人のコンサルをしていて、その人にモチベーションに関する質問をしてこられたのよ。
ずっとこれまでビジネスに取り組んできたけど、ここ2週間ぐらいちょっと停滞していると。
なかなか作業に向き合うことができなくて、色々と考える時間を設けて、これまでの振り返りをしたりとか、これからの人生のことをちょっと静かに考えたりとかしてますと。
結局その人の結論は、朝一に汗をかく程度の運動をすると、スッと作業に取り掛かれることに気付いたっていう話だったんだよね。
だから、それはそれで良かったんだけど、モチベーション問題は尽きないと思うんですよ。
それはその通りで、なぜモチベーションが下がるのかって言うと、多分結果が出ないからだと思うんだよね。
結果が出ないのに1年も2年も3年も続けてられないと思うんだよ。
俺の場合は、数ヶ月で結果が出たと言っても、最初の売上が出るまでに4ヶ月ぐらいかかったかな。
その時はまだ会社員だったから、仕事も12時間以上働いて、それでも1日2時間か3時間ぐらいは必ずパソコンに向かって色々やっていたけど、若かったから無理も無茶も効いたと思うけど、それだけやって4ヶ月間ゼロ収入ですよ。
大概もう諦めようかなと思ってた時に、どこでも言ってる話だけど、ある日突然5,000円のアフィリエイト報酬が上がってて、それがすごくうれしくて「稼げるんだ」って思った最初の成功体験だったんだよね。
それがなかったら、もしかしたらモチベーションが続かなくて会社を辞めてなかったかもしれない。
それで自信がついて、もっと頑張ろうって気持ちになって、そしたらその何日か後にもまたポンって売上が上がってました。
不思議なことに1回ブレイクスルーするとポンポンって上がってくんだよね。
だけど、ブレイクスルーっていうのは、例えばちょっと結果が出ましたと。
結果が出て、そこで壁を突破して、自動的にそれ以降結果が出始める・・・みたいな話じゃないんだよね。
そうじゃなくて、1つ何かの臨界点を超えて結果が出たから、また自分の気持ちが上向きになって、さらに行動に拍車がかかって、これまで以上にクリエイティブですごいアイデアで行動をするから、さらに結果が出るスパイラルに入ることだと思っているんですよ。
そんな風にしてどんどん行動していく。もちろん、頭も使いながらね。
楽しくなってくると頭も使うんだよね。
楽しくなるって言うのは、売り上げが上がるから楽しくなるわけであって、お金が稼げるから楽しくなるわけであって、そうするとこれまでにない発想とかアイデアとかどんどん出てくるし、考え方も変わってくるんですよ。
そうやって加速度的に雪だるま式に結果が出てくるんだと思うんだよね。
モチベーションが続かないのは、結果が出ないからだと思う。
その人の話を聞いてると、「作業をするモチベーションが」とか、「今日はこの作業をしてここまで作業ができた」みたいな風に言ってるように聞こえたんですよ。
そうじゃないかもしれないけどね。
でも、そういう人って多い。
「今日はこれぐらいの作業をしよう」って決めて、「今日はメルマガのマニュアルのここからここまで勉強しよう」とか、「明日は実際にメルマガを書いてみよう」とか、「ブログ書いてみよう」とか、「ワードプレスを作ろう」とか。
作業目標を決めてやってる人って多いと思うんだけど、俺は作業する事を目標にしてなかったけどなーと思って。
俺が目標にしてたのは、お金を稼ぐことなんですよ。
だから、1日でも早くお金を稼がなきゃいけないと思ったし、稼ぎたかった。
稼ごうと思ってたから、「何の作業が直接的にお金儲けに直結してるのか」ってことを考えるんですよ。
だから、早くマネタイズに直結する作業をしたくて、クリエイティブなことをしたくてウズウズしてるわけです。
だから、別に教材のここからここまでを勉強する事をその日の目標にしたりとかしなかったし、別に10時間勉強したところで、それがお金儲けに直接的に繋がっていないんだとしたら、できれば省きたいのね。
だけど、省けないぐらい重要な学習だって分かってたらそれをやるんですよね。
でも、それをやるのは、どこかで自分のお客さんにセールスをかけるためにやってるんですよ。
セールスをしないと売上は上がらないから。お金って儲からないからね。
そんな風にしてお金を稼ぐことを目標に日々やってたけど、1日2時間しか作業しなかった日だってもちろんあるんですよ。
でも、その日に何をしたかって言うと、セールスのメールを3通書いて配信設定をしたってことですよね。
その2時間ぐらいの3つのメールを書いて、配信設定をする作業って、それで何十万円、何百万円ってお金を生み出すんですよ。
だから、その日は別に2時間の作業でも俺は大満足。仕事したなって気になったんですよ。
かたや12時間パソコンにかじりついていようが、セールスとは関係のないことをやっていたとしましょう。
教材を勉強したり、あまり生産性のないようなことですよね。
でも、やった気になれるようなことをすることに、俺は全く何の価値も見出してなかったですね。
だから、その辺をちょっと勘違いしている人が多いのかなと思って。
作業するのが目的じゃないじゃないですか。
「作業するのがこの上ない幸せなんです」「それでQOLが上がるんです」っていうならいいけど、そうじゃないと思うんだよね。
お金を稼げないとやってる意味はないと思うんだよね。
「お金は稼げなかったけど、これを経験したことで僕は人間的に成長できた」とかそういう言い訳もしてほしくないんだよ。
だから、とにかくビジネスをやってるんだったら「お金を稼ぐこと」を第一目標して、その日の目標を設定していかないと現実って動かない。
じゃあ、
LP作りました
ステップメール作りました
セールスレター書きました
全てが揃いました
じゃあ、後は実際に広告に出す。
あるいはセールスをするっていう段階に来た時に作業することが日々の目的・目標になっちゃっている人は、言い方は悪いけどサラリーマインドバリバリの人にとっては、セールスをするとか広告を出すとかっていう作業がものすごくハードルが高いんですよね。
なぜなら、良くも悪くも現実が変わってしまうから。
お金を損するかもしれない。
「本当に売上が上がるのかなぁ」「広告出して回収できんのかな」っていう不安が襲ってくるじゃない。
だから、そこにブロックがあって、なるべくその作業を遠ざけよう、明日以降に先送りしようっていう風にするんですよね。
でも、違う。
当時の俺みたいに、いかに早く売上を上げるか。いかにして早くお金を儲けるかってことを考えてるとセールスとか広告を出すとか売上に直結するような仕事をすることに対するブロックって1つもないんですよ。
「早くしたい」と思うんですよね。
だから、そういう気持ちでやらないとビジネスはうまくいかないと思うし、それが経営者なんで。
それが事業主なんですよ。
それがビジネスマン。それが営業マンですね。
副業でもなんでも一緒で、自分でビジネスを作って、それでお金を儲けようとするんであれば、それはある意味経営者です。
ビジネスオーナーです。事業オーナーです。社長です。個人事業主です。
言い方はいろいろあるけど、自分がオーナーなんで、そしたら社長の1番の仕事は何か?
それは「物を売る」ってことですよね。セールスですよ。言ったらマーケティングですよね。
だから、それを1番に考えなきゃいけないし、それは中心に目標設定をしなきゃいけない。
優先順位を決めなきゃいけないわけです。
じゃないといつまでたっても現実は進まないですよ。
どんなにLPを改良して、良いものを作ろうとしても、どんなにステップメールを見直して改良してより良いものを作ろうとしたって、それは市場に出してマーケティングをしないと、いつまでたっても売れないわけじゃないですか。
職人さんとも違うわけです、僕らはね。
職人さんだったら、こだわって良いものを作って、売る人はまた別にいるっていうオペレーションになってるんだったらそれでいいんだけど、僕らは全部自分でやらなきゃいけない。
良いものを作って、あるいは他者の良い製品を仕入れて、代理店としてそれを売るっていう作業を自分でやらなきゃいけないでしょ。
ってことは職人さんではダメだってことですね。
私もコンサルの方と同じように、その日に何をするかを決めてそれを1つの目標にしていました。
いや、目標にしていいんだけど、それが「売り上げを上げる」っていう結果に何歩近づいたのかっていうことはきちんと意識していないとダメだよねって話ですよ。
「その作業をしたから今日はOK」・・・じゃないのよ。
「何がOKなの?」って話なんだよ。
「そのOKは誰が評価してくれるんですか?」ってことなんですよ。
別に誰の評価もいらない。
今日は何十時間も作業した。平日なのにそれだけやった。
「休日なのに何十時間も作業した。偉いなあ、俺」って自分で思ったってしゃあないじゃん。1円も稼げてなかったらね。
誰かは褒めてくれるかもしれない。
彼女や奥さんや友達は「凄いな。頑張っているんだな」って褒めてくれるかもしれないけど、褒められたって1円にもならんでしょう。
何か救われた気になるかもしれないけど、そんなものは何の価値もないってことにみんな気づいた方がいいと思いますよ。
自己満足には何の価値もないですね。
ここで言うところの自己満足にはね。
ちなみに今した話は、組織の経営幹部とか役員クラス・経営者クラスの人間は全員が要求されるマインドセットです。
間違いなく普通の一般従業員には誰もこんなことを要求しない。
だけど、自分で商売をしようとしている人は、当たり前に持っとかなきゃいけないマインドセットだし、雇われていたとしても役員クラスだったり、あるいはうちの会社は今俺とジュンの2人でやってるけど、ジュンは俺のパートナーだから、俺はジュンには今言ったようなことぐらいは求めたいんですよ。本人も向上心があるから。
ジュンに限らず、例えば自分とこの社員が何人もいて、向上心も別に特にないと。
会社で自分のやるべきことをやって、それでお給料がもらえればしっかりやることやって「それで僕は満足です」って言うんだったらこんなことを要求はしないけど、それ以上狙ってるんだったらそこまでは要求するかなって感じですね。
数字を上げてくること。
「売上を上げてくることが1番価値のある仕事なんだよ」って言いますけどね。
それ以外のことがどんなに大変な作業であろうが、どんなに身体的・精神的に苦痛を伴うような作業であろうが、価値はだいぶ低くなるのかなと思いますけどね。
1番評価されるのは「直接売上を作ってくること」。
特にうちのような零細企業においては、それが1番重要だし、それが全てと言っても過言ではないでしょう。
HQ-MIND始めていきます。
今日はモデリングという話をしたいと思います。
モデリングについては、たくさんこれまで色んなところで話してきましたし、今も口を酸っぱくして色んなところで「モデリング、モデリング」って言ってますけど、改めて「何を話すんだ」って思うでしょ?
でも、話すこといっぱいあるんですよ。
これまで恐らくお伝えしたことがなかったような話も含まれると思うので、モデリングはどこまで行っても重要な成長・成功の一番と言っていいぐらいの要素なので、「またか」と思わずに聞いてもらえたらいいんじゃないかなと思います。
モデリングの基本は、もう分かってる人がほとんどだと思うんですけど、よく言われるのが、
自分が欲しい結果、欲しい現実をすでに手に入れている人を見つけて、その人をロールモデルにして、とにかくとことん真似をする
っていうことですよね。
「何もかも真似をするっていうところから始めるんだ」っていうことを言ってる人が多いと思います。
このモデル探しの部分で結構つまずいている人が多いかなと思っていて、まずロールモデルは一人じゃなくていいんですよ。
僕がよく師匠がどうとか、メンターがどうとか、兄貴分がどうとかっていう話をするので、「その時期その時期に一人しか設定していないのかな」「一人しか設定しちゃ駄目なのかな」っていう風に何となく思ってる人も多い気がするんですけど、全然そんなことはなくて、ロールモデルなんて複数いていいんですよね。
というか、複数人必要になってくると思います。
例えば、僕で言うとこれまでモデリングをした人の人数とかで言うと、それこそ十人とかいるんじゃないですかね?
例えば、喋り方だったり、立ち振舞だったり、あとは考え方に関しては、師匠と言っている人の存在が大きいし、その人をとことん会社員時代にモデリングしてたっていうのがあるし、あとはかつてのメンターですかね。
メンターとか師匠とか紛らわしいんだけど、僕が二十代前半ぐらいの時にお会いして、それからしばらくかなり崇拝レベルで観察し続けていた人がいました。
ちょっと健全さを欠くぐらいのレベルで崇拝していたので、「それはどうかな」って今はちょっと思います。
今は疎遠になってしまったんですが、その人からは本当に思考の根っこっていうのを学びましたね。
その人の喋り方からも影響を受けているので、僕の喋り方は[6割師匠:2割メンター]。
あとの2割は色んな人が混ざってたりします。
文章もロールモデルがいるし、これも一人じゃないんですよ。
これも多分複数人の参考にした人がもうぐちゃぐちゃに混ざって、今の僕の文章が出来上がっているし、それを言い出すと全部そうなんですよね。
服装もきっと誰かいただろうし。
だから、何人いてもいいし、時期が全然かぶっていてもいいです。
なぜなら、完全無欠のロールモデルなんていないからです。
モデリングをするような人をメンターって言ったりしますけど、100%完璧なメンターなんていないんですよ。
これが注意点の一つ目で、みんなそういう人を見つけるとなんか崇拝しちゃうというか、宗教の教祖みたいな見方をしちゃう人が多いんです。
それってちょっと危険だなって思うんですけど、なぜなら彼らは完璧じゃないんですよね。
なので、近くなれば近くなるほど絶対にアラが見えてきます。
どうしても受け入れられない部分って見えてくるんですよ。
「ここどうなの?」「ここ結構、この人あんまり良くないな」「しょぼくない?」「ダサくない?」みたいな意外に「ここ駄目だな」とかそういう人間的な部分が、近づけば近づくほど見えてくるんですよね。
同じ人間なので、当然です。
当たり前です。
だから、いくら「この人は俺のメンターだ」「この人は俺の欲しい現実を既に手に入れている」って思っていたとしても、「期待し過ぎない」ってことですね。
完璧を求めちゃいけないってことです。
だって、人間なんだから。
だから、「欲しいスキルだけモデリングする」っていうぐらいカジュアルな関わり方でいいんじゃないかなっていう風に思うんですよ。
ちょっと本題からズレるんですけど、これ言っとこ。
「メンターと教え子」とか「師匠と弟子」みたいな関係ってあるじゃないですか。
「兄貴分と弟分」みたいなね。
すごく尊敬し尊敬されっていう関係があると思うんですけど、これって結構維持するのが難しくて、例えば教え子はメンターに対して威厳を感じてるんですよ。
メンターは教え子に対して威厳を放っているんですよね。
そして、メンターは教え子に対して可愛げを感じてるんですよ。
教え子はメンターに対して可愛げを放っているんですよ。
他にも言い方があるかもしれないけど、威厳と可愛げ。
主にこの二つで成り立っているのが、「メンター・教え子」「師匠・弟子」「兄貴分・弟分」とかっていう関係だと思うんですけど、これって近づけば近づくほどお互いアラが見えてくるんですよ。
長く一緒にいる時間が長くなれば長くなるほど、だんだんと威厳以外の部分が見えてきて、威厳がちょっとずつ削がれていくんですよね。
逆に近づけば近づくほど、長く一緒にいるほど、可愛げがなくなってくるっていうのがあるんです。
お互いちょっと盛ってる状態で出会ってますからね。
それはやっぱりあると思います。
例えば、ブランディングビジネスなんかやってると、キャラクタービジネスのブランディングみたいなことを考えてやってると、やっぱり自分をどう思ってほしいのか、どんな風に見てほしいのかっていうとこまで計算してある程度やってますから。
そういう風に見られるんだったら、それは計算通りなんですよ。
だけど、やっぱりそれは理想の自分であって、まだそこに到達していないっていう人がほぼほぼですよね。
そんな状態でお互い近づいていくと、教え子に関しても、自分を気に入ってもらいたいからね。
だから、凄く可愛げがある感じで近づいていくんですよ。
だけど、どんどんアラが見えてくるというか、ボロが出てくるんです、お互い。
それはすごくお互い難しいので、「初めから期待し過ぎない」っていうことですね。
もうちょっとカジュアルにフランクに、考えて行かなきゃいけないのかなと思います。
だから、アラが見えたからといって、それでいちいちガッカリしない。
「人間だからそんなもん当たり前なんだ」と。
ただその人が持っていて、自分が持っていないものがあって、それが今の現実の差になっているということを考えるのであれば、学ぶことはたくさんあると思うんで、それぐらい余裕を持って接するのがいいんじゃないかなと思います。
これが一個伝えたかったことですね。
で、モデリングの二大要素として挙げられるのが、まず一つ目。
「見える部分をモデリングする」っていうことです。
これはみんなやってると思います。要は行動ですよ。
言語化された部分というか、「メンターがやってる目に見える部分の行動を真似る」っていうことは多くの人がやってると思います。
でも、これだけだと、あんまりうまくいかないんですよ。
モデリングでうまくいってる人って、二番目の要素をすごく大事にしているし、二番目の要素の恩恵を多分に受けてます。
僕がその一人なんですけど、何かって言うと「見えない部分をいかにモデリングできるか」っていうことです。
まだ言語化されていない部分というか、言語化されていない見えない領域を、自分の中で明らかにしていくっていう作業ですね。
これが凄く大事なんですよ。
これができていない人は、ただの猿真似になってます。
それでは結果って出ないんですよね。
なぜなら、行動の裏には必ず思考があるからです。
その思考っていうのは、意図だったり目的ですよね。
あるいは感情とか「なぜそれをやっているのか?」っていう部分が分かっていないと、ただの猿真似で終わるんです。
ここを自分の中ではっきり正しく、そこにアジャストしていく必要があります。
なので、メンターがいるんであれば、直接聞くのがいいんじゃないかなと思います。
「すいません。この行動にはどんな意図があるんでしょうか?」「どんなことを思われて、どんな感情でそれをやられているんでしょうか?」ってことを直接聞いたらいいと思います。
大抵は「何でって言われても・・・何でだろう?」っていう反応になるかもしれないけど、でもちょっと考えたら「あ。こうだからかな。こういうことを考えてるよ」「こういう意図があるっちゃあるかな」とか答えてくれるんですよね。
それが自分が考えてる想定と近ければ、間違ってないってことになるじゃないですか。
明らかに離れすぎていると、ちょっと方向性を間違ってる可能性があるので、修正しなきゃいけないってことになってくるんですよね。
見えない部分がある程度自分の中で言語化され出すと、「こういうことなんだ」っていうのが分かってくると、ちょっとずつ感覚が移ってきます。
その人の感覚って説明しづらいですけど、ただこれはもう体で感じるしかないです。
なぜなら、感覚だから。
感覚って移るんですよ。
ミラーニューロンって言葉があるように感覚は移ります。
だから、その人のモデリングをすればするほど、その人が「何を考えてこの行動をしているのか?」。
「思考がどうリンクしてるのか?」っていうのが感覚で分かってくるんですよ。
そうなると、あとはもうオートメーションです。
考えなくても、それが自然にできるという状態になります。
ただ一つ「悪いことも写っちゃう」っていうことだけは気を付けておいてください。
だからこそ、ロールモデルの良いところ、良くないところ。
あまり影響を受け受けたくないところを、自分の中ではっきりさせた上で、そこは割り切って良いところだけをフォーカスしてみるようにしたらいいんじゃないかなと思います。
僕も師匠のことはすごく尊敬してますけど、至らない部分をたくさん知ってます。
「ここはさすがに影響受けたくねえな」「ここはいただけないな」と思う部分は幾つもあるんですよ。
そこはもう見ないようにしてます。
見ないようにすると、「真似したくない部分は移らない」っていうこともだんだん分かってきてます。
なので、その辺はうまくやってもらえるといいんじゃないでしょうか。
ということで、今日もちょっと長くなってしまったので、これで終わりにしたいと思います。
ではまた。
ありがとうございました。
]]>HQ-MIND始めていきます。
今回は「嘘と演出の違いを知ろう」というテーマで話したいと思います。
このテーマなんですけど、Junくんからのリクエストというか、こういうテーマで話したらいいんじゃないですか、有意義なんじゃないですかって提案があったので、なるほどと思って話そうと思いました。
じゃあ、なんで「嘘と演出の違い」を知る必要があるのか、改めてこの話をする意味があるのかっていうと、大前提として僕らはリーダーになっていかなければならない存在なんですよ。
「存在なんですよ」っていうか、これを聞いてる時点で何かを成そうとしてるわけですよね。
人生において何か目標があって、何らかの理想があってそれを達成するために、おそらく何かしらの頑張りを毎日やっているんだと思うんですけど、そのためには何かしらリーダーになっていかなきゃいけないって僕は思っています。
大それた話じゃないんですよ。
例えば、子供がいるんであれば、子供のリーダーである必要がありますよね。親として。
会社で部下や後輩がいるのであれば、彼らのリーダーである必要がありますよね。先輩として上司として。
あるいは、極力誰とも関わらない生き方を選んでいる場合であっても、そこに自分の理想的な人生を目指すものがあるんであれば、それは自分自身のリーダーになっていかなければならないと思うんですよ。
なので、何かを達成したい人にとっては、リーダーになるということは避けて通れない目標だと僕は思っているんですよ。
リーダーの仕事って責任が重いというか、難しいんですよね。
リーダーの仕事は人を導くことです。
あるいは、自分を導いていくことです。
人を導くって結構シンドくて、まず大前提として自分自身の大きな理想世界というか目標があるわけじゃないですか。目的があるわけじゃないですか。
それを達成するために、賛同する仲間を募っていくっていうフェーズがありますよね。
彼らと一緒に頑張っていく中で、彼らに適切な教育を施していくフェーズがあったり、その中で彼らに何かしらの利益をもたらす。
そして、喜んでもらいながら結果、自らの目的も達成するという基本的にはWin-Winを目指していかなきゃいけないのがリーダーなんですけど、これは言う程簡単じゃないわけですよ。
自分の理想に対して共感者が現われて、賛同者が現れて集まってきてくれて、コミュニティができたらいいけど、「君たちのその考え方ではなかなか難しいんじゃない」っていうこともあるわけですよ。
だから、「その考え方だとちょっと難しいので、こういう考え方に変えていきましょう」みたいなのが「教育」ですよね。
こういうことをやっていかなきゃいけないし、「そんなこと言ったって、自分はこの考え方がいいと思うんですけど」みたいなやつも出てくるから「いや、それじゃダメなんだよ」って再教育を施したりとかして、大変なわけじゃないですか。
中には言っていることはわかるけど、「自分にあんまりメリットないなあ、得がないな、なかなか利益が降ってこないな」なんていうこともあって、それではその人たちが離れていくことになるしね。
っていうことで、結構リーダーって色んなことに目配り・気配りしていかなきゃいけないし、Win-Winってやっぱり綺麗事ばかりでは成せないっていうのがあると思います。
子育てなんかしてると、すごくよくわかります。
子育てっていうほど、僕は息子と常に一緒にいるわけじゃないし、生活が違うので偉そうなことは言えません。
が、昔なんかは、例えば息子はすごくわがままで、こう思うと他の意見を受け入れないみたいな子だったので、例えば病気になってもお医者さんからもらってきた薬は、素直に飲んでくれないんですね。
苦いだの、面倒くさいだの、ああだこうだ言って拒むわけですよ。
その時にこちらが取る手段としては、「人それぞれ意見は違うよね。考えは違うよね。じゃあしょうがないか」・・・じゃあ話にならないですよね。
子供には元気にすくすく育ってもらいたい。
そして、立派な大人になってもらいたい。賢い子になってもらいたい。
人を導く子になってもらいたいっていう、僕自身の個人的な願いや理想があって、それを達成するためにはやっぱり教育をしていかなきゃいけないわけです。
面倒くさいとかに、苦いから飲まないっていう考え方では駄目なわけですね。
それを強制していかなきゃいけない。
じゃあ、僕が取る手段としては何かというと、無理矢理「飲め」って言って、口をこじ開けて、薬を口に放り込んで水をゴクゴク無理やり飲ませるのか。
あるいは、とくとくと「薬というものはだな」とか言って説得するのか。あるいは、ジュースに薬を砕いて混ぜて溶かして、騙し討ちみたいな感じで飲ませるのか。
いろんな選択があるわけですけど、僕はよくジュースに混ぜて飲ませるという戦術を取っていたわけですね。
こういうことをやらなきゃいけないんですよ。
例えば、これを「嘘じゃん」「そんな騙し討みたいなやり方は卑怯だよ」「目的のためには手段を選ばないのか」って言われても、「そんな綺麗事ばかりじゃダメでしょ」って思うわけです。
これって子育てだけじゃなくて、ビジネスでも教育現場でも何でも一緒なんですよ。
自分自身を成長させていく面においても、言うたらこれが演出になってくるんですけど、この考え方を持って、柔軟に発動させていかないと、なかなかリーダーは務まらないのが僕の考え方なんですね。
そこで大事になってくるのが「嘘と演出の違いを知る」っていうことなんですよ。
言っても人ってやっぱり身勝手な生き物だし、自分が1番可愛い生き物ですから、「これは演出なんだ」「方便なんだ」と思っていても、「それはただの嘘だよ」っていう場合もあるんですよ。
あるいは「こんな嘘いいのかな?」「だまし討みたいなことやっていいのかな」「これ嘘じゃん」って思っていても、逆に「それって嘘も方便でしょ」「それはただの演出でしょう」「相手のためでしょ」っていう場合もあるんです。
だから、それを自分でちゃんと「これはこうだな」「この場合はこうだな」って判断できる理解を持っていないとリーダーはしんどいってことです。
ということで、嘘と演出の違いを説明していきたいんですけど、Googleで調べるとこんなことが書かれてます。
嘘は事実ではないこと。人間を騙すために言う事実とは異なる言葉。
一方、
演出とは物事を表現するときに、それを効果的に見せること。
と書かれています。
言葉の印象も言葉の意味も全く違うこの両者ですけど、時に人はこれをゴッチャにしてしまうわけですね。
方便っていう言葉を混ぜて説明した方が分かりやすいですね。
方便って何かって言うと、方便って仏教の言葉なんですよね。
方便とは人を真の教えに導くための仮の手段
転じて一般に目的のために利用する便宜的な手立て
と書かれています。
こんなことも書かれています。
特に密教では自利と利他、向上と向下の両義取り、自利利他の実践を完成することとする。
これちょっと意味が分からないと思うんですけど、要するに自分の利益と他者の利益。
この両方を達成してこそ、方便が成立すると言ってるんですよ。
だから、自分のためだけについた嘘はただの嘘。
自分のため。そして、それが相手のためにもなる。
今回の話で言うと、自分の大きな目的。
例えば、子供にすくすくと元気に育ってほしい、立派な大人になってほしいという大目的があって、それを達成するための嘘や演出は相手のためになってるわけだから、それは方便として成立してますよ・・・みたいな話だと思います。
例えば、ビジネスだったら、「生きたい自分の人生を生きる」っていう大目的があって、同じ目的を持つ人たちと一緒に楽しく人生を謳歌していくみたいなのが大目的としてあるとしましょう。
でも、なんでも物事を先送りにするとか、清潔感がないとか、その目的にそぐわない考え方や行動振る舞いをしている人は、何らかの手段を持って教育していかなきゃいけない。
それを強制していかなきゃいけないわけですね。
そういう場面に立たされた時に、「嘘と演出」とか「嘘と方便」とか、この辺のことをはっきり理解しないと、自分自身が迷ってしまうってことです。
ぶれてしまうっていうことですね。
嘘は自分のためだけにする行為です。
相手のためにならない。相手を欺く騙す行為だから、基本的に嘘はよくないですね。
人間は身勝手で、自分が1番可愛い生き物ですから、全く嘘をつかずに生きていくなんてことは、僕はおそらく不可能だと思います。
僕だって嘘をつくことはありますよ。
だけど、いつも嘘をついていたのでは勿論駄目だし、大事な場面においては誠実に振る舞わなければならないわけですね。
嘘って基本的に自分のためについているものですから、バレるんですよね。
そこに無理があるというか、不自然というか。
だから、基本的に嘘はバレるものだという前提も持っておいた方がいいです。
極力嘘はつかない。特に大事な場面においては、誠実さを絶対に優先するっていうことは大事です。
嘘をつくリーダーとか嫌じゃないですか。
どんなに立派なことを言っていたとしても、嘘をつく人に賛同とか応援とかできないですよね。
そんな人のコミュニティにいたくないですよね。
だから、基本的に嘘はダメだって思っておいた方がいいですね。
だけど、方便・演出は必要になってくるんですよ。
このバランスがやっぱり難しい。
Googleで調べるとこんなことも書かれてあります。
仏が衆生済度(しゅじゅうさいど)にあたっては、方便として嘘をつくこともあるということから、大きな全公の前では偽りも認められるということ。
こんなことが書かれてあります。
なので、あくまで相手を導くために、その手段として真実ではないけど、それは結果的に相手のためになるし、大局を見ると自分自身の大義を達成することにも大きく貢献する・・・みたいなことですよね。
方便は責任を持って使っていくものだと思うんですよ。
軽々しく何でも「嘘も方便だ」って言って無責任にやってると、それが仇となることは往々にしてあるので、簡単な気持ちでやっていいものではないです。
だけど、そこには信念や大義みたいなリーダーとしての、理想世界みたいな大目標みたいなものは、きちんと必要なんだけれど、それがあるんであれば、こういうものも効果的に使っていきたい、使っていかないと、とてもリーダーなんてやっていけないっていうものなんですね。
ここにリーダーという役割の難しさってあると思うんですよ。
このバランスが下手クソな人は結構苦労しているし、このバランスの取り方がすごく上手な人は、比較的成功してるのかなって思いますけどね。
最後にこのマインドセットを授けたいと思います。
これは僕がすごく大事にしていて、みんなに持ってほしいマインドセットなんですけど、「誠実の上のあざとさ」ということです。
あざとくやっていかないと、とてもこの世の中はなかなか生きてはいけない。
綺麗事だけでは生きていけないわけです。
だから、あざとくやっていきたい。
嘘も方便っていう考え方も、言うたら「あざとさ」じゃないですか。
だけど、あざとさを使ってはいくんだけど、土台は誠実じゃないと、人はついていかないよということです。
大義なんて達成できないよということです。
あくまで誠実に。
だけど、あざとく。
っていうことですね。
でも、土台に嘘とかあざとさがあったら、そんな人に誰もついていかないからね。
あれですね。「嘘と演出」っていうか「嘘と方便」っていう話になっちゃいましたね。
どっちでもいいです。
大事なことを喋ったつもりです。
ではまた。
ありがとうございました。
]]>HQ-MIND始めていきます。
今回は「これができないやつは、残念ながら理想には一生たどり着けない」という話をしたいと思います。
もう何年も前の話なんですけど、僕が出したコンテンツの中に「理想に近づきたいのであれば、既にその理想であるかのように今から振る舞え」っていう話をしたことがあるんですね。
要するにそういうことなんですけど、例えば僕の場合。
まだ全然女性にモテていなかった時期から、もうすでにモテる男であるかのように振る舞っていたところがあるし、あるいはまだぺーぺーの頃からもうすでに役職者かのように、あるいは経営者かのように考え行動していたところがあるんですよ。
まだボロアパートに住んでいた時から、すでに高級住宅に住んでいるかのようにイメージを繰り返ししていたっていう時期があるんですよ。
今言うと恥ずかしいんですけど、具体的には例えば仕事が終わるじゃないですか。
終わった後家に帰る前に、地元の高級住宅街があったんですけど、そこに車をちょっと走らせて、車でその住宅街の中を怪しくない程度にウロウロして、そこに立っている家を眺めて、自分のイメージを深めていたみたいなことをよくやってました。
僕自身こういうふうにやっていたんですよね。
学生時代のことを思い出すんですけど、僕は学生の頃はすごく勉強ができなくて、劣等生だったんですね。
だから、勉強の復習はもちろん、予習をするとかって意味がさっぱり分からなかったんですよ。
だって、まだ習っていないことを、これから習うのに、「なぜ自ら時間を使って勉強しなきゃいけないんだ」というふうに思ってたんですよね。
でも、今なら少し分かる気がするんですよ。
勉強とは少し考え方違うのかもしれないけど、社会人になってからは勉強以外の分野においては、僕はもう完全に「予習人間である」という自覚があります。
これを聞いてる人はいろんな目標を持っていると思うんですよ。
経営者になりたいって思ってる人が多いのかな?
経営者というか独立したい。自立して自分で食っていける自分1人の力で稼いでいける人間になりたいって思ってる人が多いと思うんですけど、そうなりたいのであれば、今そうじゃないってことですよね。
今そうじゃなくても、もうそうなっているかのように、もうそのつもりで考え行動しないと、そうは絶対なれないって思った方がいいですね。
じゃあ、今仮に会社員だとしても、従業員だとしても、「会社員だから。従業員だから」といってまだ自分はそのステージじゃないからといって、自分がその立場じゃないからっていう理由で、今の自分の仕事しかできない人間、今の自分の仕事しかやろうとしない人間は一生今のままなんですよ。
これは経営者YouTuberの竹内社長も全く同じことを言っていて、すごい共感しました。
思い出します。会社員時代のことを特に。できるだけ社長と同じ環境で働くっていうことを僕は心がけてやってましたね。
だから、有給とかなんて主張したことはなかったです。でも一応、他の社員たちは有給制度があるんですよ。
あるけど割とブラックな感じがあったんで、誰も取れないんですよ。
それを影で愚痴っているんです。
でも、僕はそもそも有給なんて使いたいとも思わなかったし、だからと言って愚痴なんて絶対言わなかったし、休みがすごく少なかったっていう話を何度かしたことがあると思うんですけど、実は半分は自ら働いていたっていうところもあるんですよ。
社長のつもりというか、社長の仕事を半分しようというつもりで働いていると、休んでられないぐらいやることがたくさん出てくるんですよね。
だから、あれもしたいこれもしたいっていう気持ちになってきて、「これは休んでる暇ないな」ってなってくるんです。
でも、これは1個落とし穴があって、みんなここで挫折しちゃうんですけど、会社員の立場でそれをやると、周りからウザがられるっていうのがあります。
でも、経営者の目には止まるんです。
それをやっている姿を見て「うざいな」「あいつ面倒くさいことやってるな」って思う人間は、これからもずっと同じ場所にいる人間です。
それを「あいつ見込みがあるな」って思う人間は、自分が目指している場所にいる人間です。
「さあ、どっちから評価されたいですか?」ってことです。
僕は当然後者を取りました。たぶん「ウザいな。面倒くさいな」って思われていたと思いますよ。
「あいつの前では手は抜けないな」って思われていたと思います。
上司ですら僕のことを煙たがっていたと思います。
だけど、僕が目指しているのは上司じゃなかったんで、周りの人間じゃなかったんで、社長を目指していたので、気にしないようにしてました。
そうやってどんどんもう既にそうであるかのように振る舞っていると、やっぱり見込みがあると思われるんですよね。
可愛がってくれるし、色々教えてくれるんですよ。
「他の社員には絶対言ってねえな」と思うことをどんどん僕にシェアしてくれるんですね。
だから、当時の社長も「こいつが目指しているのは高いところなんだな」っていうのを分かってくれて、どんどん僕をティーアップしてくれる。
だから、24歳ぐらいで役職をもらったんですよ。
それもおそらくそういう風に行動していたからです。でも、当時はまだ全然未熟でしたよ。
他にも先輩がたくさんいたし、僕よりも仕事できる人がたくさんいたんだけど、僕のマインドを買ってくれて評価してくれたっていう成功体験が1個あります。
どんどん引き上げてくれるんですね。
っていうのも、「もう今はそうじゃないかもしれないけど、理想があるんであれば、もう既にその理想であるかのように振る舞う」っていうのをやれれば、自分のマインドも変わるし動きも変わるし、周りの反応も変わってくるんですね。
それに全てが最適化されてくるということなんですよ。
だから、逆にこれができない人は、今はまだその立場じゃないし、そのポジションじゃないから、今のポジションの仕事をします。
「今のポジションで与えられた環境で生きるよ」っていう人は残念ながら、もし理想がある場合はその理想には一生たどり着けないということは、僕はわかってます。
じゃあ、どうやってすでにそうであるかのように考え行動すればいいのか?
「どうやって理想側の考えや行動を知るのか」っていう話になってくるかもしれないけど、「だから、モデリングをしなさい」っていつも僕は言ってるんですよ。
口酸っぱくして言ってますよね。
収入を上げたいのであれば、収入が高い人や収入を上げ続けている人の仕事とか習慣とか環境とかを今のステージのうちから実際に落とし込んでいかないとそうはなれないですよね。
だから、そういう人達を見てモデリングをするんですよ。
だから、僕がいつも言っているモデリングは、先取り体験みたいなもんなんですね。
他人の技術を真似しながら自分自身で体験する。これがモデリングです。
先取りって言いましたけど、先取り志向っていう言葉が分かりやすいかもしれないですね。
先取り思考がないやつは、一生理想にはたどり着けないと僕は思います。
なぜなら、今自分ができることしかしないからです。
勘違いしてほしくないんだけど、今自分ができることをキッチリやるのは素晴らしいことなんですよ。
多くの人に求められている素養なんです。
ただ僕がここで言ってるのは「理想に近づきたいんであれば」って話をしています。
であるならば、先取り志向で今の自分よりももっと上のステージの考え方や行動を積極的にしていかないと、まず自分のマインドが変わらないし、周りもそのつもりにならないんですよ。
周りも「今のこいつはずっと今の連続で生きてるんだな」っていうふうな気持ちになる。もちろん意識はしないですよ。
無意識にそういう気持ちになるので、今のままの環境をいいとこを与え続けてくれるっていう感じじゃないですかね。
今回の話は、若い人は特に覚えておいた方がいいと思います。
若いうちは結構こういうことをどんどんできると思います。
歳を取ると難しいですね。
30代半ば過ぎて後半とか40過ぎてくると、なかなかこういう気持ちで取り組むって結構な覚悟やコミットがないと難しいんじゃないかなと思います。
それでも理想を追い続けているんであれば、先取り志向でやっていかなきゃいけないので、それを忘れないでほしいなと思います。
ということで、今日は以上。
ありがとうございました。
]]>HQ-MIND始めていきます。
今日は「人から大切にされる人は何をやっているのか?」っていう話をしたいと思います。
これは意外に深い話になってくると思うので、是非最後まで耳を傾けてほしいです。
人から大切にされる人。
これは単純な話で、一言で済みます。
彼らは何をやってるかって言うと「人を大切にしている」んです。
これに尽きます。
「人から大切にされる人は、人を大切にしている人」です。
この一言で、済む話なんですよ。
ただ、この「人を大切にする」のが、言うほど簡単ではないんですよね。
自分は人を大切にしている。そういう気持ちを大切にしている人ほど、実は大事なところでそれができてなかったりするんですよ。
僕のエピソードを聞いてください。
僕の経験の話なんですけど、僕には師匠って呼んでる人がいます。かつての会社員時代の社長だった人ですね。
僕がもう20歳の頃からお世話になっていて、27歳で会社を辞めました。
会社を辞めてからも、ずっと付き合いがあって、つい最近もお会いして夜遅くまで楽しくお酒を飲みながら、おしゃべりさせていただいてました。
その師匠に対して、(僕は不義理だと思ってるんですけど)不義理を働いた時期があったんですよ。
その話をする前にかなり時を遡りたいんですけど、20歳で会社に入って、最初に会った時の「師匠の衝撃」は今でも覚えていて、「凄い人だな」「俺もこんな風になりたいな」「なれるのかな」「なれたらいいな」って思って彼を見てましたね。
会社の中でも、すごく威厳があって、とても体育会系な人、体育会系な会社でした。
「まるで天皇陛下みたいな人だな」なんて思っていたことを今でも覚えてます。
それから20代半ばを差し掛かったところぐらいで、僕は独立を考え出したんですよね。
それぐらいからちょっとずつ師匠のことが、昔ほど尊敬できなくなっていってたんですね。
すごいアラが目立つようになったというか、アラが見えるようになったというか。
「この人こんなとこあったんだ」「この人こんな程度だったのか」とか生意気にも思うようになっていきました。
それは僕自身がいろんな人の話を聞いたり、色んな人の本を読み合ったりとか恐らくしていた時期で、外の世界をこれまでは全然知らなくて、ちょっとずつ外の世界に目を向け出して、殻を破ろうとしてたんじゃないかなと思うんですよね、自分なりに。
だから、外の世界を自分なりに見て「この人思っていたほど、そこまでじゃなかったな」なんて思うようになった時期があったんですよね。
そこから独立することを決めて、27歳ぐらいで会社を退職します。
もちろん尊敬はずっとしてたんですよ。
でも、気持ちにやっぱり変化が現れ始めたっていうような時期ですね。
独立してからも、自分のことを考えるので手いっぱいで、人のことを考える余裕なんてありませんでしたけど、事業の方が、30過ぎてだんだんと軌道に乗ってきたんですね。
色んな人の話を聞いて、外の世界に目を向けるようになって、「自分もこれからどんどん外に出て行こう」って思い始めた時期が、30代の前半ぐらいだったんじゃないかなと思います。
それぐらいの時期ですかね。
「なんだ。俺が昔心酔していたあの人は、そんな大した人じゃなかったんじゃないか」と思ったのは。
まあ、そこまで思ってたのかどうかも、よく覚えてないですけど、だいぶ彼に対する熱は冷めてたのかもしれないです。
ただSNSを通して、彼の姿はよく見てたんですよ。
なので、「元気されてあるんだな」なんて思いながら、それから何年か僕は僕で仕事を頑張りながら過ごしていたんですが、そうしていく中で僕も一通り色んな人達と出会って、色んな人達の話を聞いたりしてました。
自分なりの幸せみたいなものがだんだんと分かり出して、自分の実力とか自分の領域(器)も、だんだんと分かり出して、自分の居場所というか、生きるべき場所や行きたいと思う場所が分かってきました。
「俺が本当に行きたいと思ってた場所は、若い頃に思い描いていたような、派手でビッグな世界ではなかったんだな」ってことに気付いて、それからだんだんと師匠のSNSがやたらまた目に入ってくるようになって、そこでまた師匠を意識し出したんですよね。
まあ、言っても師匠は師匠でずっとすごい人ですから、色んなことやってる人なんですよね。
今の自分よりも、すごく楽しそうにノビノビ生きてらっしゃる彼の姿が、やたら目に入ってくるようになったんですね。
そんな中で、色んなことを思い出すようになっていって、昔師匠から教わった大切な考え方とか、今も自分の心に根付いてることを再確認したりとか、「あの人がいたから今の俺がいるんだな」なんてことを考えたりとか。
とにかく走馬灯のように、師匠との思い出や、師匠に対する敬う気持ちが蘇ってきたんですよ。
それが大体30代の半ばちょっと前ぐらいだったと思うんですよね。
会社を辞めて、それを思うまでにおそらく2回ぐらいしか師匠とは会ってないですね。
でも、そんな風に思い出して僕の方から師匠に連絡を取って「もしよろしければ食事でもご一緒できたら嬉しいです」ってことを言ったんですよね。
そしたら、すぐ「是非一緒に行きましょう」って返事が返ってきました。
会社員時代の、怖くて威厳があって天皇陛下みたいな独裁政権みたいなイメージが全くなくて、凄くまろやかで、温厚な丸いソフトな感じの印象にはなってましたけどね。
当時の彼はまだすごく若かったので、イケイケだった部分もあると思うんですけど、「年を重ねるごとにそうやって丸くなっていかれたのかな」なんて思ってね。
そこからもうずっと、年に2回ぐらいかな。
毎回僕の方から連絡をして「是非行きましょう」って言って飲みに行ってますけどね。
で、この間も飲みに行ってきたばっかりで、毎回楽しい時間を過ごさせてもらうんですけど、会えば会うほど今更ながら味が出てくるというか「俺やっぱこの人好きだな」「やっぱりこの人すごいな」「俺なんか全然まだ敵わないな」なんて思うわけですよ。
何が言いたいかって言うと、例えば師弟関係とかあるじゃないですか。
まあ、なんでもいいですよ。
先生・生徒
兄貴分・弟分
先輩・後輩
何でもいいんだけど、あえて便宜上「上下」っていう言葉を使いますけど、下の人間って上の人間の凄さとか威厳に憧れて近づいていくわけじゃないですか。
上は「下の可愛げ」みたいな部分を買って、色々と目をかけてあげるわけじゃないですか。
そうやってお互い惹かれあうと思うんですよ。
だけど、近くなれば近くなるほど、お互いに「素」が見えてくるんですよね。
上の者の素って何かって言うと、だんだんと威厳が薄れてくるんですよね。
時間がたてばたつほど。近くなればなるほどね。
「この人意外と普通だな」みたいなね。
下のものからすれば、そんなふうに見えてくる時期って必ずあるんですよね。
人間ってそんなもんなんですよ。
威厳とかオーラみたいなものって、言うたらキャッチコピーみたいなもんなんですよね。
コンセプトみたいなもんなんですよ。
その人が周りに自分が与えたいと思っている理想的な印象だったりするんです。
でも中身は当然同じ人間ですから、やっぱり素の姿って普通に人間的なものなんですよね。
逆に下のものは下のもので、近くなればなるほど、長い時間一緒にいればいるほど、上の人から見ると可愛げがなくなってくるんですね。
「最初の可愛げは、どこに行った?」となってくるんです。
ここでいう「下のもの」は、大体上よりも若いことが多いです。
若いってことはエネルギーがあって、勢いもあって志もあって野望もあって・・・ってことですから、成長著しいんですよね。
成長すればするほど、やっぱり色んな世界を見ることになりますから、だんだんと師匠とか先輩とかに対する、最初に抱いていた気持ちが薄れてきて、要するに軽く見出すんですよね。
大切にしなくなるってことです。
上は上で威厳がなくなる。
下は下で可愛げがなくなる。
そうなってくると、お互い距離を取り出すんですよね。
お互いがお互いを、大切にしなくなってくるんですよ。
だって、上としては自分のことを昔のように敬ってくれないわけだから、可愛げがないわけだから、だんだんと距離を置くようになってくる。
下としては、威厳がなくなってくるわけだから、「なんか・・・この人もういいかな」ってなって、だんだんと距離が離れてくるっていうことなんですよね。
こうなってくると、疎遠になるわけです。
でも、そういう相手の表面的な部分だけを見て判断するんじゃなくて、その人の素の姿や本質を全部見た上で、温かく見守る気持ちって大事だと思うんですよ。
僕は自ら経験してるから、これが言えると思ってるんですけど、僕がかつて師匠に対して背を向けてたわけじゃないけど、距離を取ってた時も、師匠は僕のことを温かく見守ってくれていたと思うんです。
別に突き放すようなことを言われたこともされたこともないし、僕が連絡すればすぐ返事をくれるし。
自分から連絡をしてこられるような方じゃ昔からなかったので、おそらく僕はずっと大切にされていたんですよね。
僕が彼のことを大切にしてなかったんですよ。
しかし、今は違います。
1周回って彼の人間性とか凄さは改めて痛感してますし、表面的な薄っぺらいものではない魅力みたいなものをすごく感じるんですよね。
彼の方が、僕の失った可愛げのなさを温かく見守ってくれていたのかななんて思います。
だからこそ、僕自身も彼の魅力に改めて気づけたっていうのもあると思うんですよ。
それに気付けたことが、僕自身の人間としての器を一回り広げてくれたのかななんて思ってます。
なので、人を大切にするって言う程簡単なことではないと思います。
これを聞いてる人、一人ひとりが自分の心に聞いてほしいんですけど、あなたが今大切にしているその人は何で大切にしているのか?
何か損得や利害があって大切にしているのか。
あるいは、そんなものがなくても、本当にその人のことを心から純粋に大切にしているのかっていうのを、ちょっと問うてほしいです。
そうすると、何か一つ二つ自分の中での課題みたいなものが見つかるかもしれないですね。
とにかくキャッチコピーだけで判断するんじゃなくて、キャッチコピーはやっぱりどんな商品でも派手なものです。
最初に目を引かせるために必要なものだったりするんですよね。
だけど、大切なのは商品の中身の方ですよね。
中身もダメならクソなんですよ、それは。
そうだとしたら、別に大切にする必要もないのかななんて思いますけど、中身が本当にいいものであるんだったら、派手ではないかもしれないけど目を引くようなものではないかもしれないけど、じっくり見るとすごく魅力的な商品だなっていうものって、世の中にたくさんあると思うんですよね。
そういうものほど大切にしたいと思うし、そういうものをちゃんと見抜いて大切にできる人が、色んな人からその何倍も大切にされるんじゃないかなって、僕は今だからそう思えているのかもしれないけど、正解だと思ってます。
ということですね。
ちょっと長くなりましたけど、以上になります。
ではまた。
ありがとうございました。
]]>HQ-MIND始めていきます。
今日は、「仕事ができる奴とできないやつの違い」って話をしたいと思います。
かなりストレートなテーマなんですけど、久しぶりにこういう話をしたいと思います。
仕事ができる奴とできないやつの違いや特徴はいくつか挙げられるんですけど、まずこれを話す前に「仕事」というものについての、僕の意見をシェアさせてもらいたいんですよね。
で、世の中には様々な仕事がありますけど、僕はその中でも二つに分けられるという風に思ってるんですよ。
それは仕事と雑用です。
僕の中では仕事と雑用は明確に違います。
仕事っていうのはナマモノなんですよ。
で、状況って常に変わってるんですよね。
どんな仕事でも同じだと思います。
変化のスピードは業種や環境とかによって違うかもしれないけど、例えばお客さんの要望って常に同じとは限らないじゃないですか。
流行り廃りもあるだろうし、常に何かを変えていかなきゃいけない。
特にネットとかITの世界は流れが早いんで、これまでの当たり前が来月は通用しないってのは全然ある世界なんですね。
そういうのにちゃんと対応していくのが仕事だと思ってるんですよ。
一方で雑用って何かって言うと、ずっと変わらない作業のことです。
無責任にやれる作業のことです。
無責任にやっている仕事のことです。
頭を使わずにやれる事っていうか、頭を使わずにやっている作業そのものが僕は雑用だと思ってるんですね。
これがまず最初に話しておきたい、仕事と雑用の違いっていう僕の仕事観なんですけど。
で、次に仕事ができる奴とできない奴はどんなところが違うのかっていう話で、これは一言でいうと、よく言われることではあるんだけど、仕事ができる奴はできる方法を真っ先に考えようとします。
仕事ができない奴っていうのは、できる方法よりもできない理由を真っ先に考えようとします。
分かりますか?
仕事ができる人は、「じゃあ、これやって」とか「じゃあ、これちょっとどうにかやりたいんだけど」っていう議題が上がった時に、「どうやったらできるかな。これまでのやり方とかこれまでの考え方だと、ちょっとこれは厳しいなあ。じゃあどうにか工夫して、打破するアイデアってないかな」って考えるんですよね。
で、代替案とか自分なりの方向性みたいなものをシェアするんですよ。
これをそのまま実現することは現状厳しいかもしれないですけど、ちょっと工夫してこういう風な形に変えれば、お客さんの要望は十分に満たせるんじゃないでしょうか。
うちにとっても利益が残ると思うんですよね・・・って代替案を提出したりとか、それができる努力をするんですよ、仕事ができる人ってのは。
だから、できる方法しか考えないんですね。
一方で仕事ができない人は、真逆の思考パターンを持っていて、できない理由を常に探してるんですね。
何で出来ない理由を探すのかって言うと、これまでの流れとは違う流れだったりするからですよ。
これまで通りの流れでの、その延長線上での仕事だったら普通にやるんだけど、でもこれまでとは違う流れや、これまでとは違う形の仕事をやらなければならないという状況になってくると、「いや、それはできないでしょう。それできませんよ」って言っちゃうんですね。
なぜなら、これまでのやり方、これまでの考え方、これまでの方向性では、それは実現不可能だと思うから。
だから素直に「できません」って言っちゃうんですよ。
分かりますか?
悪気が全くないことがほとんどだと思うんですけどね。
そうそう。サラリーマンの時の話を思い出した。
僕が勤めてる業種って、現場仕事によってお金をいただくんですね。
だから現場ってのがあるんです。
常に現場に行く作業員さんがいるんですよ。
僕がよくある作業員さんとぶつかってたんですけど、そのリーダー的な人とね。
この人は僕よりも一回り以上年上の人で、その仕事ももう10年ぐらいやっていて、いつもリーダーとして現場に行って、スタッフ達を引っ張っていくっていう人なんですよ。
すごい好かれてたし、信頼も厚かったし、仕事もきっちりしてくるので、会社として重宝していたんですけど、いつもぶつかってたんですよね。
なんでぶつかるかって言うと、「〇〇さん、ちょっと今回はこの現場ね、こうやってきてもらえます?お客さんからちょっとその要望が出てるんですよね」って言うと、「え?それ、できんよ」って言うんですよ。
あるいは、僕といつもぶつかるもんだから、「できんよ」とは言わなくても、何か難色を示すんですよね。
「でも、こうなったらどうする?」とか「そうは言っても、こっちをかなり手抜かなきゃいけないから、それは駄目やろう」とか何か色々難色を示してくるんですよね。
でも、お客さんはその時に「今回に限ってはこうして欲しい」って言ってきてるんですよ。
だから、その要望に応えるために僕は工夫して欲しいと思って、それを伝えてるつもりなんですよ。
だけど、できないっていう前提で話をされるんですよ。
なので、話が噛み合わないんです。
僕はできるっていう前提で考えてほしい。アイデア出したり工夫してほしい。
しかも、それができる力を持った人だと思ってたから、当時はね。まあ、持ってるんだけど、考え方の問題でね。
僕はできる前提で話をしてるのに、向こうは出来ないって前提で話をしてるから話が全く噛み合わないんですよね。
で、最終的には「いや、もうやって」って、結構強めに言うんですよ。
これやらないとクレームになるし、お客さん的には今回はそういう形でやってほしいという要望が向こうから出てるんだから、それを今回はやって欲しいから「やって」って突っぱねるんですよね。
しぶしぶ行きますよ、現場に。
そして、やってくるんですよ、ちゃんと。
「できるじゃん」と思うんですけど、なんか「できんよ」って反発するのが、その人のなんか性格って言うか、癖でしたね。
すごくいい人だったんですけどね。
で、そういうこれまでしてきた色々な経験を考えた時に、できないことよりもできることの方が圧倒的に多いんです。
最初に挙げたプラン通りにはいかないかもしれないけど、いろいろ工夫して代替案出したりとかして、なんとか形にはなるんですよ。
だから、できることの方が圧倒的に多いはずなのに、逆に「できない事って何」って考えるんですよね。突っぱねるからできないわけで。
これまでのやり方や考え方ではできないだけであって、それを少し変えて、発想変えて、工夫を変えてアイデアを出せばできるんですよ、ほぼ何でも。
こういうところがまず、仕事ができる人とできない人の違いかなって考えました。
で、最初に仕事と雑用の違いを話しましたけど、雑用も考え方が変わればそれは仕事に昇華するんですね。
例えばコピーとり。「これコピー取ってきて」っていう仕事があったとして、雑用感覚だと、ずっと同じ事やってるだけじゃないですか。
そこに責任もないし、ただコピー取って、「はい」って渡すだけだからね。
頭を使わずにやれるしね。
だから、これが雑用感覚だと、もしそのコピー取りが仕事的に意味がないことだったとしても、なんとなく流れでみんなやっちゃってるけど、実はそれって根本的に考えて「意味ねーよな、全部 Eメールでいいよな」って疑問すら浮かばないんですよ。
雑用感覚でやってると、何の疑問もなくやり続けるんですよ。
だけど、これを仕事感覚になれば、そこに意味を見出そうとするんです。
「これってよく考えたら意味がないよな。だってこのコピーって、この仕事の流れ、文脈で仕事が発生してるわけでしょ。だったらこのコピーっていうプロセスは省略して Eメールにしてしまえば、ワンクッション減るわけだから効率も上がるし、結果お客さんにとってもいいことじゃん。」みたいな感じになるわけです、仕事感覚だと。
世の中にあるどんな仕事でも、それは雑用になりうるし、どんな雑用でも仕事になり得るんですよ。
僕が昔やってた便所掃除の仕事。これって最初雑用感覚でやってたから、むちゃくちゃ地獄だったんですよね。
地獄。
心を殺さないとできない仕事だったんですよ。
でも、いつしか仕事感覚でやるようになったんですね。
そしたら心を殺さなくてもできるようになったし、時間が経つのがすごく早くなりました。
これが仕事と雑用の違いなのかなと思います。
あと、もう一個ある。
仕事ができる奴は、結果を出している人の話をよく信じます。
ってゆーか結果出してる人の話だけ信じます。
結果も出していないのに、偉そうにあーだこーだ言ってる人の話は、話半分に聞いてます。
話を聞いてる体だけちゃんと保って、きちんと耳を傾けるのは結果を出している人の話だけ、っていう特徴があります。
でも、できない人ってのは、結果を出していない人の話にまで耳を傾けて信じちゃうんですよ。
だから、何がいいのかわかんない。例えば独立起業をしたいとか、こういう事業をやりたいと思った時に、親とか周りの友達とか恋人とかに、ガチで相談しちゃうんですよ。
その人達って、親とか友達とか恋人が起業とか、なんか事業とかで成功してる人なら相談してもいいかもしんないけど、だいたいそうじゃないじゃないですか。
大体そうじゃないし、多くはその道で成功してもいないのに、否定する人たちばかりなんですよ。
でも、そういう人たちの話を聞いてしまう。耳を傾けてしまう、そして信じてしまう。結果を出している人の話よりも、そっちを優先させてしまうということなんですね。
これはかなり大きな違いだと思うんですよ。
この辺をちょっと考える必要があるんじゃないかなと思いました。
ということで、今回は以上です。
ではまた。
ありがとうございました。
]]>
モチベーションに関するメッセージが読者さんから来ていて。
なんか「今更こんな質問して申し訳ないんですけど」って前置きがあって、やっぱりモチベーションが続かないっていう。
例えば、その人筋トレやってるらしいんだよね。
筋トレやる前はすごく気合いが入っていて情熱もあって、色々器具とかも買って、動画教材とかも見てやってたけど、3〜4か月今続けてるんだっけな?
だんだんとモチベーションがなくなってきて、でもやらなきゃって思うんだけど、やることを考えるとすごい億劫になると。
結局グダグダ時間を過ごして、気づいたらもう夜遅くで、完全にエネルギーが尽きてて・・・っていう典型的なパターンですね。
これを結構繰り返しているらしくて「何か策はありませんか」っていう話だけど、モチベーションに関しては本当に色んな所で話してきたし、語れることはたくさんあるんだけど、ちょうど筋トレの話だったからね。
今言えること、言いたいことを言うと、すごい気持ちは分かるんだよ。
俺も偉そうに「もうモチベーションがどうとかって、ちょっと言わないでほしい」っていろいろ言ってるし、「もうモチベーションぐらい何とかして」ってスタンスでやって来たところはあるんだけど、やっぱりなんだかんだ気持ちはわかる。
俺だって筋トレずっと続けてはいるけど、ずっと高いモチベーションで高いエネルギーでやれているかっていうとそんなことないし、最近だって引っ越しがかぶってた時とかはほとんど筋トレできなくて、じゃあ落ち着いたから前みたいにがっつり再開できるかっていうとそうでもない。
体も疲れやすくなってるし、何より体が怪我しやすくなってんだよね。
もう歳だからとはいえ、筋トレ始めた5〜6年前と同じような感覚でやっていて、気持ちは同じなんだよ。
だけど、その頃と同じ感覚でやってるとすぐ怪我するのね。
だから、やり方も変えなきゃいけないし、トレーニングボリュームもちょっと減らして、いかに短時間で質の良いトレーニングができるかってことを今は追求してるんだけど、それとは別にやっぱりモチベーション。
その人の言ってることはすごく分かる。
朝一にできればめちゃくちゃ楽だってことは分かるんだよ。
朝一筋トレを1時間か長くても1時間半。バシッとやって、そこから1日高いクオリティで過ごせるっていうのはもう頭では分かってるんだよね。
だけど、朝のこの貴重な時間を筋トレじゃなくて、今は仕事が忙しいからそっちに回したいとかっていう気持ちも出てくるし、夕方やろうとか、犬の散歩をする前にやろうとか、犬の散歩して犬にご飯あげて自分も飯食って落ち着いて今日夜トレーニングしようとか・・・って思うんだけどダメね。
時間がたてばたつほどモチベーションがなくなってきて、だんだんとやるのが億劫になってくるんだよ。
その気持ちはすごいわかる。
じゃあ、どうやって俺が筋トレに関しては維持してるのかっていうと、筋トレに限らずなんだけど情報から離れだすともう終わりだと思った方がいい。
情報から離れるってどういうことかって言うと、もう本当にそのままで、筋トレだったら筋トレに関する情報があるわけじゃない。
例えば、自分の憧れの体とか、なんで筋トレを始めようと思ったのかっていう動機とか。
色んな情報が自分の「筋トレする」っていうモチベーションに当初駆り立てたんだと思うんだけど、そういう情報から離れだすともう終わりだと思ったほうがいい。
例えば、俺の場合は今日もそうだったんだけど、常に最近はメンズトップフィジーカーのYouTubeをずっと流してるんだよ。
例えば、俺の好きなトップフィジーカーで言うと田口純平さんとか、あとは田口純平さんはあまりYouTubeをあげてないから、他の人のチャンネルで彼を見るしかないんだけど、最近は佐藤正悟さんっていう人がいて、この人は俺と同い年でそれでもオリンピア目指して頑張ってるし、見てたらすごい力になる。
同級生ってすごいよね。
怪我しやすくなったとか、歳取ったとか言ってる自分がなんか情けなくなる。
まあまあそういう人がいて、その人のYouTubeずっと流してる。
筋トレに対する考え方とか、なぜ自分が筋トレをしようと思ったのかっていうことを語る会があったりとか、あとはコンテストの試合の模様とかが常に流れている状態だよね。
それを流しているとガン見はしてないんだけど、弱火なんだけど、筋トレ熱がちょっとずつ高まっていってて、次第に気持ちが沸騰してきてるっていう感じになるのね。
だから、そういう状態にあるとなんか嫌でも離れられないというか、「筋トレしなきゃ」って思う。
週に1回こういう機会を使って、筋トレもやったりとかするし、だから情報から離れたらもうおしまい。
ビジネスだって恋愛だって一緒で、情報から離れないっていうことを意識したほうがいい。
モチベーションに問題意識を感じるのならね。
筋トレは収入に直結するわけでもなく、これ以上鍛えたからって具体的なメリットがあるわけでもなく、ただこのまま辞めちゃったら、せっかくつけてきた筋肉もなくなって、だらしない体になっていって・・・っていうデメリットは想像ができるんだよね。
だけど、メリットも忘れないように、常にそういう情報に触れ続けるってことかな。
意識して情報に触れるっていうのが結構重いから、俺みたいに意識してなくても耳に入ってくるっていうね。
それこそ音声教材とかYouTubeを流すでもいいし。
何度も言うけど「情報から離れたらアウト」です。
終わりです。
]]>結果よりも努力やプロセスが大切だとよく言われますが、ビジネス関して言えば結果に結びつかない努力やプロセスは、ただの自己満足であり何の価値もないというのは真実ですね。
まあ、そこまで言ってないですね。
誤解がないように言っておくと、プロセスって僕結構大事だと思ってるんですよ。
プロセスが人を育てるんで。プロセスにこだわるってことはすごく大事だと思ってるんですね。
例えば、たまたま当てずっぽうで出した広告が、たまたま当たってヒットして、それで売上が来ました。
じゃあ、「それは価値があるのか?」って考えた時に、それは評価するべきだと思うんですよね。
売上をもたらしたってことはね。
だけど、それに継続性があるかって考えたら、多分次はうまくいかないですよね。
だって、当てずっぽうで何の戦略もなく何の考えもなくやって、たまたま当てたんだから。ってことは、外す可能性も同じだけあったわけですよ。
2分の1の確率でたまたま当てた。10分の1の確率でたまたま10分の1を引いたっていうだけの話かもしれない。
それに継続性はないじゃないですか。
だから、きちんと考えて予測を立ててリサーチして、「これがうまくいくんじゃないか」っていうある程度の根拠のもとに出した広告が当たって売り上げが上がった。
これはめちゃめちゃ評価すべきですよね。
っていう意味で、その努力とかプロセスってすごい僕は大切だと思うんですよね。
これができない人は一発屋で終わる人だし、会社にとっては結構危険な人ですよね。
割と調子に乗ったりするタイプの人なので。
だけど、努力やプロセスにしか価値を見出せないっていうか、そこでしか自己表現できなくて、努力やプロセスを「見て見て。俺こんなに頑張ってるんだよ。だからいいでしょ。」っていうような人ってやっぱいるんですよ。
そういう人にはちょっとケツ叩きたいって話ですよね。
「あなたのその努力やプロセスはお認めしますが、いつ結果を出してくれるんですか?」って話です。
冷たいですね、そういう人には。
だから、努力やプロセスが大切じゃないという話では全くないですよね。
凄く大切。プラスちゃんと結果まで辿り着けてるかどうかってことですよ。
やる気があって、結果出す人って最高だよね。
次に偉い人は、やる気がないのに結果を出してくる人。
周りに良くない影響を与えるぐらいやる気がないと駄目だと思うんだけど、結構大企業のトップ営業マンとかでいるようなタイプですね。
すごくマイペースで協調性もなくて、自由奔放にやってるんだけど、結果だけはバンバン出してくるみたいな。
だから、そういう営業マンの上司って部下に周りの人たちにこう言うんだって。
あいつを真似しちゃいけないと。
真似できるんだったら真似していいけど、真似するにしても結果もセットで真似して来いよ・・・みたいな。
「あいつぐらい自由奔放にやって、マイペースでやって、それで結果が出なかったらただのバカだから」って言うって話を聞いたことがあるかな。
ホントにその通りだと思う。
一番危険というか、一番いて迷惑なのが「やる気のある無能」だよね。
よく言われるじゃん。やる気のある阿保が一番迷惑って。
本人からしてみればひどい話なんだろうけど、「やる気があって一生懸命やろうと思って結果が出ないだけなのに、何でここまで言われなきゃいけないの?」って思うかもしれないけど、厳しい世界ですよ。
努力とプロセスだけにしか価値を置かない人は、もう少し意識する必要がありますね。
そうですね。
結果ありきですね。
結果を出すことを前提に、努力やその過程があるわけですから。
「結果は置いといて、努力や過程だけを見て評価して」って言ってるような人が危険だっていう感じですね。
例えば、僕は情報という商品を販売していますけど、みんな僕の提供する商品の会員ページが欲しいわけじゃないじゃないですか。
僕の何時間にも渡る音声コンテンツが欲しいわけじゃないんですよね。パッケージが欲しいわけじゃないですよね。
何が欲しいかって言うと、多分皆さん結果が欲しいんだと思うんですよ。
僕が「この教材を買って勉強すればモテるようになりますよ」って言って売るとするじゃないですか。
そしたら、その教材が欲しいわけじゃないですよね。
音源データとか映像データが欲しいわけじゃないですよね。
結果が欲しいですよね。
であれば、もしそういう教材を学ぶというプロセスを全部省略して、結果だけを脳にインストールする技術がもしこの先できたとしたら、それが一番いいじゃないですか。
お金を払って、結果というデータをもらう。
そのデータを脳に直接インストールすると、その結果を出せるぐらいのスキルやマインドセットが瞬時に手に入るってなったら、そんな技術があったら最高じゃないですか。
だから、結果が欲しいんですよね、みんな。
商品が欲しいわけじゃないんですよね。
って考えたら、努力やプロセスだけを頑張って、そこを見て「どうか私を評価してください」なんて言ってる逃げ従業員っていうのは、かっこいいパッケージの商品を作って、それをただ提供してるだけなんですよ。
「結果は出ないですけど、こんなに見た目のいいかっこいいデザインの商品なんです。これで私を評価してください」みたいな。
これ買っても結果出ないですよ。
内容とかもうそんなのは期待しないでください。
結果は出ないけど、この商品めちゃめちゃかっこよくないですか?
このデザインを作るのに、僕すごい頑張ったんですよ。
もう何時間も寝ずにこのデザインを作り上げたんですよ。
めっちゃいいでしょ?買ってください。
ただし、結果は出ないですよ。結果は考えちゃ駄目です。
って言われたらどうします?
評価できますか?その人のこと。
できないですよね。
それと同じなんですよ。
だから、「努力やプロセスだけを見てください。結果はちょっと勘弁してください」っていう人はそれぐらいおかしなことを言ってるってことです。
一番その人が求めているのは何か。結果を求めてるっていう現実は忘れてはいけないことだなという風に思いますけど。
プラス努力やプロセスが見えたら、やっぱり人間的にも好きになるし。
っていうことなんじゃないですかね。
今のたとえでわかったかどうかちょっと微妙だけど、そういうことだと思いますけどね。
HQ-MIND始めていきます。
今日は「豊かになる人と貧しくなっていく人の違い」みたいな話をしたいと思うんだけど、こんな話をしだすと、いくらでも上げられるんだけど、最も根本的な違いに焦点を当てたいと思っています。
「豊かになる人はこうですよ」「貧しくなる人は逆にこうですよ」っていう形で、今日は話していきたいと思うんだけど、一番の違いっていうのは「提供」に関するマインドセットだと思ってるんですよ。
「与える」ってことね。
豊かになる人って、常に提供するってことを考えてるんだよね。
「自分にできる提供は何かな」ってことを常に考えていて、あるいは自分が提供すべき人が誰かってことがちゃんと分かってんだよね。
自分自身の表現方法の一つに「提供」っていうスタンスがあって、あり方って言っていいのかな。
生き方って言ってもいいし、とにかく誰かに価値を提供するっていうことが、生きるための基本スタンスになってる人。
こういう人は、遅かれ早かれ豊かになっていくと思います。
思いますっていうか、周り見ててもそうだからね。
一方、貧しくなる人って逆で、常にしてもらうことばかり考えてるわけですよ。
受け取ることが最優先。
自分から何か提供するっていう発想がないんだよね。あったとしても本当に身近な存在。
例えば、飼ってるペットに餌をあげるとか。自分が飼ってるんだから、それは当たり前じゃん。
だから、これもうちょっと後で言おうと思ったんだけど、要するに言葉が悪いんだけど「飼い犬マインド」か「飼い主マインド」の違いなんだよ。
悪く受け取らないで欲しいんだけど、結局貧しくなっていく人は、自分が飼ってる範囲がめちゃくちゃ狭いんだよね。
飼われてる範囲がめちゃめちゃ大きいっていうか。
豊かになっていく人はその逆なんだよね。
っていう違いが、一番大きな違いかなと思っていて、じゃあそこから派生して考えていくと、提供されると、当然感謝ってあってしかるべきじゃない。
当たり前だと思うんだけど、豊かになる人ってのは「してあげるのが当たり前」なんだよね。
でも、してもらうのは特別なのよ。だから、してもらうとすごい感謝できる。
当たり前に感謝が溢れてくるんだよね。恩を忘れない。
一方貧しくなる人は、「してもらうのが当たり前」「してあげるのは特別」。
してもらっても感謝がない。あるいは、かなり薄い。
で、自分がたまにしてあげると、すげえ恩着せがましいっていうことだよね。
あるじゃん。こういう違いって。
明らかにあると思う。
あんまり極端な人っていないかもしれないけど、「自分はどっちよりなのかな?」っていうことを考えながら、この話を聞いて欲しいのね。
全体的にどっちよりかなっていう視点でも聞いて欲しい。
こういうコミュニティでは、自分はこっちよりだな。
家族に対しては、割と提供マインドなんだけど、会社の中では自分は結構貧しくなる方のマインドよりだな…みたいな。
そういう視点で考えてみて欲しい。
人っていろんなコミュニティによって、顔を使い分けてるからそのトータルスコアがその人の人生だと思うんだよね。
提供してもらうと、当然感謝があるんだけど、豊かになる人と貧しくなる人ではそれだけの差があるってことだよね。
で、もうちょっと話を広げてみると、みんな自由が欲しいと思うんだけど、例えば感謝って話をしたんだけど、豊かになる人・豊かな人っていうのは、例えば、自分が提供しましたと。
で、何も返ってきませんでした。
それでも提供し続けるのかっていうと、そんなこともないんだよね。
世の中には、奪う趣向の人がすごく多いから、そんな人と関わっていては、人生の無駄になってしまうわけ。
だから、そういう場合ってどうするのかっていうと、そっと去っていくわけですよ。
そっと去っていく。
その人が気づかないぐらいの足音で去っていく。
逆に、とにかく何かしらの価値を返してくれる人とは、どんどんいい関係を築いていける。
結果的に自分にできることが増えるし、応援してくれる人や協力してくれる人も増えるじゃん。
そうやってどんどん自由になっていくわけ。
豊かな人ってのは。
じゃあ、逆に貧しい人ってのは、提供しましたと。
で、何もしてくれないと騒ぎ出すわけ。そうなったら、豊かな人はそっと去っていく。何も言わずに。
貧しくなる人はとにかく騒ぐんだよね。
してもらうのが当たり前になっちゃってるから。
してくれないと騒ぎ出す。「わーわー」言ってね。
で、最初に言ったんだけど、結局そういう意味で買い犬マインドだから、どんどん自分を鎖に繋いでいく状態になるわけ。
あれもしてこれもして、あれもちょうだいこれもちょうだい。
もらって当たり前…みたいな感じなんだよ。
そこに自分にとっての、価値があるかないかとか、自己投資がどうとかっていう基準じゃなくて、もらえるかもらえないかみたいな。
そういう基準だったりするから、それって買い犬マインドだから、どんどん自分を鎖に繋いでいってんのね。
で、どんどん不自由になっていくわけですよ。
こういう自由の分かれ道がある…っていうことなんだよね。結果的に言うと。
なんというか、主張する部分が違くて、豊かになる人と貧しくなる人は。
「権利と義務の捉え方の違い」が大きな分かれ道になっていて、豊かな人っていうのは義務を果たすってことが最優先なのね。
自分の権利の主張って結構二の次なんだよね。
権利を主張してる豊かな人ってあんま見たことなくて、「権利って主張して何になるのかな?」みたいな。
「それって自分に得ある?」みたいな感じで考えてて、それよりも自分が果たすべき義務を果たすことが、一番自分の人生を良くするってことが感覚的に分かってるから、義務を果たすことにしか興味がないのね。
自分が持ってる権利とかを主張する暇がないっていうか、暇ならやるみたいな。
そんな感じ、逆に貧しい人ってのは、権利ばっか主張するじゃん。
あるのかないのか分かんない権利ばっか主張して、果たすべき義務はちっとも果たさない。
そんなとこかな。
「提供」っていう部分から始まって、色々と話が展開していったんだけど、結局こういう話になってくるんだよね。
何度も言うんだけど、飼い犬なのよ。結局貧しくなる人っていうのは。
繋がれてる状態なんだよね。組織の中でもどこのコミュニティに行っても。
そういう感じで、貧しくなる人よりの思考でいるから、結局輝けないし、どんどん鎖に繋がれていって不自由になっていく。
そういう人って輝いて見えないじゃん。魅力も感じないしさ。
例えば、若くて綺麗な女性とかだったら、まだ許されるかもしんないね。需要があるから。
若くて綺麗な女性が飼い犬として、自分に懐いてきたら、ちょっと飼ってあげてもいいかなと思うじゃん。
だから、パパ活みたいな世界が成立してると思うんだけど、賞味期限はあるよね。
30過ぎて
40過ぎて
50過ぎて…
それは通用しないでしょ、現実問題として。
ましてや、いい歳こいた大人がこんな飼い犬マインドで、どこに価値があるよって思うわけですよ。
あんまり極端な人はこれ聞いてる人の中ではいないかもしれないけど、「自分はどっちよりかな?」「もしかすると、あのコミュニティではこっちよりかな?」ってちょっと考えてみる余地はあるのかなと思う。
自分はどんな場面においても「豊かになる人マインドの方ですよ」「完全にそっちよりですよ」っていう人は多分もう既に豊かになってると思うんだよね。
結構理想的な人生送ってると思うんだよ。
既にそうじゃないんだったら、まだまだ改善の余地はあるし、見直してみる価値はあるんじゃないかなと思う。
というわけで、かなり重要な話だと思います。
では、今日は以上。
ありがとうございました。
]]>HQ-MiND始めていきます。
今、福岡空港のラウンジの電話ブースの中で喋ってます。他に喋れる場所がなかったんで。
というわけで、今日は「セルフイメージを制すことができないものは成功できない」という話をしたいなと思ってます。
セルフイメージを制すって言葉が正しいかどうかは怪しいんだけど、最初にちょっと最近僕が思ったことをシェアさせてください。
数日前なんですけど、福岡の歓楽街の中洲という場所を夜中一時ぐらいに、車で走行することがあって、その時に見かけた光景で、お相撲取りさんが綺麗なお姉さんと一緒に、信号待ちをしてたんですよ。
今ちょうど九州場所の最中なのかな。
お相撲さんたちをよくあちこちで見るんですけど、お相撲さんが恐らく飲み屋さんで飲んで、そのままお姉ちゃんをアフターに誘って、アフターに行く最中みたいなシチュエーションだったんだと思います。
あれは恐らく間違いなくそうなんですけど、ちょっと驚いたのが別に飲み屋に行ってお姉ちゃんアフターして、、、まではいいと思うんですけど、普通にタバコ吸ってたんですよ。
あの辺って、歩きたばこしちゃ駄目なんですよね。
普通に罰金に取られるんですけど、多分それを知らなかったのかなとは思うんですけど、知らないにせよ、あんな目立つお相撲取りさんが、体も大きいし髪型も格好もどこからどう見ても力士なわけですよね。
「堂々とやっちゃいけない場所で、歩きたばこをするか?」ってちょっと思ったんですよ。
人それぞれかもしれないけど、そこで思ったのは、たぶんトップの力士たちはそんなことやってないじゃないですか。普通に考えて。多分やってないんですよね。
これ勝手に下っ端だって決めつけて話してるんですけど、もしかしたらその力士の方は、トップ力士かもしれないけど、そういうトップ力士がいたとしても、そこは真似すべきではないと思うんですよね。
下っ端だと仮定して、下っ端なのにトップがやってないようなこと、マイナスなことを堂々とやってるわけですよ。
ここからもう完全に僕の推察なんですけど、その下っ端力士は恐らくトップが日々やってる本当に重要なことっていうのは、やってないんだろうなって勝手に思ってたんですよね。
誰よりも稽古するとかね。ちょっと分かんないけど。
力士を見てそんな風に思ったんですよ。
理屈抜きで、「パッと見、なめてんなこいつ」って単純に思うんですよね。
その力士に限った話ではなくて、こういう光景って僕この仕事をしてて、普段けっこう目にする光景と言うか、要するに「セルフイメージが下っ端のまま」なんですよ。
まだ成功していない人間のセルフイメージのままっていうのがあって、コンサルやってていつも思うんだけど、僕は「モデリングしろ」って言ってるんですよね。
基本的な学習方法としてモデリングっていうのは絶対だから、それはやりなさいって言うんだけど、結構みんな上っ面の部分だけを真似して、「そこ絶対真似しろよ」って思う重要な部分は無視したり、はしょったりしてるわけね。
それは自分の頭で考えて、「これはやる」「これはやらない」みたいに意識して考えている訳じゃないと思うけど、おそらく顕在意識でジャッジしてるんですよ。
要は自分の好みが入ってるんですね。
これはやっててストレスじゃないからやる。これはストレスがかかると。自分が好きな作業じゃないから何となくやらない、、、みたいな感じで、そういう自然のジャッジが入ってるんですよ。
これでやってる限りは、結果を出すってかなり難しいことで、潜在意識から変えていくしかないんですよ。そういう思考の習慣とかっていうのは。
人間って習慣の生き物なので、習慣でしか現実って変わらないんですよね。
現実を変えたいんであれば、その現実にふさわしい行動とか思考とかを、当たり前にやるっていう習慣を身に付けないと、それは絶対に無理なんですよ。
習慣を変えるっていうのはどういうことかっていうと、潜在意識が変わるってことなんですよね。
言い換えるとセルフイメージっていうことになってくるんですけど、セルフイメージが変われば、別に頭でごちゃごちゃ考えなくても、思考とか行動が全部結果を出す人のそれになってるので、後は楽なんですよね。
そのためには、やっぱりもうすでに成功してる人を徹底的にモニタリングして、オーディオ教材とかそういうものがあるんであれば、常に耳に入れるようにしたりとかして、無意識から潜在意識を変えていくしかない。
そうやってセルフイメージってできてくるわけですよ。
事実べースの話として、成功者は、成功する前から成功者のセルフイメージを持ってるんですね。すでに手に入れているんですよ。
成功したから、そのセルフイメージがあとからついてくる、、、じゃないんですね。
全然逆で、これが結構みんなわかってないから、結果が出ない人が多いのかなって思います。
セルフイメージさえ手に入れていれば、まだ自分が成功していなくても、もうその段階で成功者が普段絶対やらないようなことっていうのは、自然と是正できるんですね。
自分を律することができる訳です。
例えば、道端に財布が落ちてて、その中にお金が入ってたら交番に届けることもなく、それをネコババするみたいな。
そういう習慣があったような人が、意識的にその習慣を変えるのってめちゃくちゃ難しいんですよ。
いくら頭の中で「こんな自分は嫌だ」と思って変えようとしても、セルフイメージがネコババをするレベルのセルフイメージだから、それを変えられないんですよね。
だけど、潜在意識が変わって、セルフイメージが変われば、自然とネコババなんてしなくなるんですよ。
落ちてる財布の中に、何万円何十万円たとえ入っていようが、当たり前にそれを交番に届けるっていう行動ができるんですよね。
人の悪口を言う陰口を叩くっていうのが習慣になってる人が、意識的にそれを辞めようとしたって、誰かから注意されたって、それは変わらないんですよ。基本的には。
だって、そういうセルフイメージなんだから。
だけど、セルフイメージが変われば、当たり前にそんなことやらないんですよ。
もし、それを思わず魔が差してやろうとしても、その瞬間自分を律することができるわけです。
自分が目指してる、憧れてる、成功してるあの人は絶対にこんなことをしない。
絶対にこんなことを考えない。
そういう基準で自分を是正することができるので、そうなってくると嫌でも成功者に近付けますよね。
ということでございます。
そんなところで今回の話は以上にしたいと思います。
ではまた。
]]>HQ-MiND始めていきます。
今日は「チャンスの掴み方」という話をしたいと思います。
昔同じような話をしたことあるんですけど、大事だと思ったので改めて話しますね。
チャンスって、どんなタイミングをそもそも言うのかっていうところで話をしていきます。
チャンスってどんなタイミングを言うのか。
例えば、何か新しい目標が見つかった時とか、あるいはいい儲け話が舞い込んできた時とか、新たな可能性を見出した時とか、新しいアイデアに触れた時。
最近だったら、新年の目標を立てたタイミング。こういう時って全部チャンスと言っていいと思うんですよ。
新しいものを手に入れるチャンス。自分自身が変わるチャンス。それで考えるとみんな結構日々チャンスに触れているんですよね。
チャンスを実らせる機会は日々あるんですね。
だけど、結局実らせられない人が殆どなわけじゃないですか。
で、今日はチャンスの掴み方って話をしたいと思うんですけど、じゃあなんで実らせることができないのかっていう根本原因を考えていきたいと思うんですよ。
よく言われるのが、「チャンスの女神は前髪しかない」って言われますよね。
ほとんどの人がこの言葉の意味を分かってると思うんですよ。
要するに、チャンスの女神様っていうのは、目の前にいるその時にその前髪をつかむぐらいのつもりで、積極的に行かないと、女神が横切ってもう過ぎ去ろうとしているタイミングで掴もうとしても、もう後ろ向いちゃってるから。
で、その女神さんに後ろ髪がない。だから、掴む場所がないみたいな。で、過ぎ去っていくだけっていうね。
そういう解釈の仕方で合ってると思うんですけど、これは何かって言うと要は賞味期限の話をしてるんですよ。
チャンスには賞味期限があるっていうことなんですね。
何か新しいものに触れた、チャンスを感じた、チャンスだと思ったその瞬間腐り始めるってことです。
その瞬間の決意とかモチベーションとか感動とか感激とか、そういう気持ちって賞味期限があって生モノなんですね。
生モノって一日でも常温で放置してたら、ちょっと悪くなるじゃないですか。
それと一緒なんですよ。
で、悪くなるスピード感も、生モノの魚と同じぐらいのスピード感で悪くなっていくってことですね。
全然持たないんですよ。腐ってしまうということです。
なんでチャンスは腐ってしまうのか。
どんどん深く入っていきたいと思うんですけど、腐ってしまう原因。僕は2つ主にあると思っています。
1つが時間が経つと腐りますよね。当たり前のことなんですけど、我々人間のチャンスっていうところでいうと、例えば寝るとダメです。
基本的に寝る前に何か決意した、モチベーションを上げた、感動したっていうのも、寝ると良くも悪くもリセットされるんですよ。
だから、嫌な出来事も一旦寝たら、少しは和らいでるじゃないですか。
あれはいい風に捉えることができるんですけど、ただポジティブなチャンスとか、チャレンジとかっていうのも、リセットされるっていうね。基本的に寝るとダメです。
だから、寝る前に何かしら足跡を残さないといけないわけですね。
「よしやってやるぞ」「これは素晴らしいアイデアを見つけた」「新しいアイデアを聞いた」。
その一番高揚してる瞬間に爪痕を残すっていうことです。
何でもいいですよ。スマホでもパソコンでも何でもいいからアウトプットするとかね。書き残しておくとか。必ず見返す場所にね。
時間が許す限り、何時間でもいいから何かそれにまつわる作業をしておくとかね。記憶に焼き付ける。体で覚えさせるっていうことをやっても良いし。
それでも足りないかもしれない。
じゃあ、その瞬間誰でもいいから、誰かに連絡を取ってそれを宣言するとか。「やるよ」って。「ちょっとこのアイデア見つけたから、ちょっと自分の記憶に刷り込むためにも、お前を利用させてもらって申し訳ないけど、今連絡させてもらった」っていう連絡をするとかね。
いろんなやり方があるかもしれない。
とにかく時間ですよね。
繰り返すんですけど、基本的に寝て起きたらもう腐ってると思った方がいいです。
生モノってそうですよね。
食べようと思って、冷蔵庫から出して、食べるつもりでそこに置いといたのに、忘れてそのまま寝落ちて、朝まで放置しておいてしまった。
朝起きたらちょっと変なにおいがしてる。
それぐらいのスピード感なんですね。
腐ってしまう原因の1つ目は時間です。
2つ目。これは外部からの邪魔ですね。
僕らって常に何かしらやってる訳ですよね。
LINEが入ってきたり、電話が鳴ったり、誰かに声かけられたりね。
予期せぬ邪魔って常に入ってくるわけです。
何かしら入ってくるんですね。
例えば、「数時間後これやろう」って思って、やる気になっていたとしても、何か1本連絡が入ってくるとするじゃないですか。
そしたらその内容が何であれ、気は逸れるんですね。多少なりとも。
それが何かのトラブルの連絡だったりしようもんなら、もう1時間後にやろうとしていたことなんて忘れちゃいますよ。
じゃあ、それいつするんですか?
明日ですか?明後日ですか?
いや、もうその時点で腐ってますって話なんですね。
たった1本の連絡が入ってきただけで、もう気が散って忘れてしまうんです。
常に僕らは邪魔に晒されるっていうことを、頭に置いておかなければならない。
これがチャンスが腐ってしまう主な原因になってます。
じゃあ、僕らが考えるべきことは何かって言うと、これは一つです。スピード感を大事にするっていうことです。
時間が経つと腐ってしまうと。邪魔が入ってしまうと、そのことを忘れてしまって放置してしまうと。
気づいたら腐ってしまっていると。じゃあどうすればいいか。スピード勝負なんですね。
何事もスピードが大事って言われるのは、本当にこういうことなんですよ。
特にビジネスとか取引とかってなってくると、スピードしかないんですね。大事なものっていうのは…っていうぐらいスピードが大事なんです。
それを思った瞬間、とにかく最優先で時間を確保して、何かやらなきゃいけない。何かインプットする。何か行動する。アウトプットする。何かしらの爪痕を残すっていうことが、すごく重要なんですね。
後でやろうってみんな思うわけじゃないですか。僕も思います。
後でやろうと思った瞬間もうそれは終わりの始まりだと思った方がいいです。
後でやろう。これ絶対ダメ。明日やろうもダメです。
明日やろうっていつかやろうって言ってるのと同じレベルなんですね。
で、いつかやろうってもうやらないって言ってるのと同じレベルなんですね。
だから、明日やろうと思った瞬間もうやらないって言ってるのと同じレベルだっていう自覚を持った方がいい訳ですよ。
いつかやろうって言っちゃうと、なんか俺ダメな人間だなって感じやすいじゃないですか。
いつかやろうなんて言ってる俺はもうその時点でダメだなって思うんだけど、明日やろうだったら、明日やるつもりなんだからなんとなくその罪悪感も薄れるというか。
明日やろうってのは、結局自分に対する甘えというか、ごまかしなんですね。
「明日やろうは馬鹿野郎」なんて言いますけど、それぐらいの意識でいいと思いますよ
じゃあ明日からやろう。明日に備えて今日はおやすみなさい。
・・・
この瞬間もうダメなんですよ。
この瞬間あなたが見た可能性は、もう遥か遠くの手の届かないところまで行ってると思った方がいいです。
これがさっき言ったチャンスの神様には前髪しかないって言われる所以だと、僕はそう解釈してます。
で、こんなこと言ってる僕自身も、こういう経験を散々してきたんですよ。
今もしてると思います。偉そうなこと言いつつも。
過去のことを振り返っても、思い出せないぐらいチャンスの女神様をスルーしてきたっていう経験をたくさんしてるんですよね。
なので、恥ずかしい話ですけど、僕が実らせたチャンスっていうのは、実際に僕の目の前に訪れたチャンスの、何十分の一・何百分の一っていう話だと思うんですよ。
今思うと凄くもったいないですけど、その経験があったから今こうやって語れることもあるのかななんて思いながら、大事な話を今日はしたつもりです。
ということで、新年始まってまだ間もないですけど、もう既に腐りかけてる目標あると思うので、まだ間に合うんで、腐らせないようにスピードを大事にして頑張ってまいりましょう。
自分自身に言い聞かせるつもりで、今日の音声を取りました。
ではまた。
]]>新年明けましておめでとうございます。
HQ-MiND始めていきます。
さて、2024年が始まったわけですけど、別の音声でも言ったけど、2024年は出だしがかなり波乱の幕開けになってますね。
我々はもう個人レベルでできることは、たかが知れてるので、たかが知れてるけれどできることをちゃんとやっていくしかないですね。
なので、今回の話は2024年今後どうなっていくかっていうような話ができるかなというふうに思ってます。
天災とかもらい事故みたいなものは、防ぎようないんだけど、防ぎようがある災難もあるわけだから。
そこはちゃんとコントロールしていきたいっていうところですよね。
で、一昨年の暮れぐらいから「2023年以降はかなり変革の年になるよ」って話をしてたと思うんだよね。
その流れでHQ-TRiBEの募集をやったってのもあるんだけど、本当に言っていた通りというか、言っていた以上に激動の年だったなっていうふうに思っていて、みんな感じてると思うんだよね。
わかりやすいところで言うと、円安がめちゃくちゃ進んだよね。
その一方で、世界各国ではインフレが進んでるし、日本みたいに物の値段が高くなって所得は上がらないみたいなことにあまりなってないから、インフレと所得の増加が相まって特に我々日本人からすると、国際的な物価のバランスがかなり大きく変わってるなっていう印象になってると思う。
要するに、我々が海外に行くと「全部高えな」って感じるになってるわけです。
以前は「手が届きやすいな」って感じられたような海外の商品とかサービスが、なんか高いし日本とあんま変わらないし、何なら日本より高いなってなってるしね。
例えば、東南アジアのタイとかの日本食レストランでは、日本の東京の高い地域よりも高いから。
国内の価値水準との差が拡大してますよ。世界と比べるとね。
そういうのがかなり進んだと。
それも相まって日本人というか、日本国の海外における影響力も目に見えて下がってるし、首相が首相だからってのもあるかもしれないけど、いろんな要因でそうなっていることを感じますね。
海外からはかなり好印象なのが日本で、なんでかって言うと「安いから」よ。
コスパがめっちゃ高いわけ。円高とかも相まって受けられるサービスとか体験とか。飯もうまいしさ。
そういうコストで考えた時に、すごく安く行ける国だから「日本ってめちゃくちゃいいぜ」って感じみたい。
日本人が昔東南アジアとか「楽しいのにめちゃくちゃ安いよ」って言ってたように今見られてるって感じだね。
「安くていい国」っていう評価って外国人が言ってるかもしんないけど、日本人にとっては国際的なプライドに関わる問題じゃん。屈辱的な評価とも取れるわけで。今までそうじゃなかったわけだから。
とは言え、そんなことに屈辱感を覚えていてももうしゃーないわけよ。
この流れっていうのはなかなか止められない流れだし、だから我々ができることは個人で何とかしていく、個人が強くなっていくしかないと思ってて、今はGoogleの検索とか以外にも、チャットGPTとかあるから、GPTに聞いてもいいよ。
「これから日本どうなっていくの?」みたいな質問から始めて、細かいとこ突っ込んでいけばある程度わかると思うよ。
俺にこんなこと言われなくても、その意識(危機感)を持ってる人は持ってるし、それでも持てない人っていうのは、結局持てないのかなっていうのが現状だと思う。
で、じゃあ2024年以降どうなっていくかっていうと、、、わかりません。
それは正直わからないけど、今言ったような状況が続くっていうのは、あんまりにも楽観的すぎるし、能天気すぎかなとも思う。もっと状況悪くなっていくんじゃないかって思うのが普通の感覚だと思うんだよ。
状況が悪くなっていくっていうのは、HQ-TRiBEのレターにも書いたけど、分かりやすいところで言うと貧富の2極化ですよ。
「年収600万円以上or200万円以下」っていう話もしてるけど、もう実際すでにそうなっているし、それは加速していくと思うし、もしかしたら150万円以下あるいは1000万円以上とかになるかもしれないよね。
それは当然の話で、求められているものが変わってるわけ。社会で。
人々が感じる価値も変わって、求められているものを変わってると。
昔みたいに物が増えれば豊かに感じるっていう時代じゃないのにも関わらず、ものばっか作ってても売れねえし、そういう会社にいる人達って潤うわけないじゃん。
だから、これまでのパラダイムで、これまでと同じような何十年と続いてきた伝統的な仕事をずっとこれまで通りやってる人たちは、潤わないし、だんだんとニーズもなくなってきて、貧乏なっていくわけよ。
そういう人たちが年収200万円以下に落ち着いてくるわけですよ。
じゃあ、一方で求められているもの、世の中のニーズ、世界的な動きってのを察知していて、今何が世の中で求められているのか?
個人レベルで考えられることでいうと、コンテンツビジネスが一番わかりやすいんだけど、俺らの仕事って主に個人が悩んでいることに焦点を当てて、それを解決しますよっていうオファーを出し、それを実際に解決するコンテンツを提供して対価をいただくという仕事じゃん。
一番わかりやすいから例に出すんだけど、要するに、この一連のやり取りができる人達っていうのは、個人として強いと思うんだよね。
何が求められているのかっていうのが分かって、自分に求められているものをわかるし、それを解決するようなコンテンツサービスを実際に作って生み出して、それを意図して選んでもらうっていうことができるわけだから。
つまり、マーケティングができるわけです。
あるいは、自社ブランディング、セルフブランディングもできる。そういう人がやっぱり力を発揮していくんだろうと思う。
一部の富裕層と言われる人たち。大企業のトップだったりとか、あるいは社会的にも影響力を持ったインフルエンサーだったり、著名人たちを除く、俺たちみたいな個人が年収600万円以上の層として、これからも幸福に生きていくためには、そういう個人の力を伸ばしていくしかないと思う。
というか、それ以外にある?
なかなかないと思うんだよ。
マクロの視点で見ると、日本がこれからどうすればいいのかとか、国際社会でどういう立ち回りで、どういうポジショニングでやっていけばいいのかとかさ。
言えることはいろいろあるかもしれないけど、個人レベルでそんなこと考えたってしゃあないじゃん。
だから、結局個人として力をつけていかなきゃいけないってところに落ち着くわけですよ。
結論が言いたいことはたくさんあって、そういう世の中だし、これからその流れは加速していくし、もうすでにその流れの中にどっぷり浸かっているわけですよ。
これって10年前から言われてたことだから。
だから、今できることは、個人として強くなっていくこと、力をつけていくこと、それを目標として去年1年間はHQ-TRiBEをやってきたわけですよ。
で、急にHQ-TRiBEの話になるんだけど、紆余曲折あってHQ-TRiBEの募集は一旦中止しようという話になりました。
なんでかって言うと、こういう話をずっとし続けているけど、やっぱ反応してくれる人って少ないし、多くはない。
で、反応しても一瞬で終わる人が多い。
つまり、自ら気づいて、自ら長期的な視点を持って動ける人じゃないと対応していけないのかな…っていう風に思ってるんですよ。
ある程度、長期的な学びを提供するサービスじゃん。
だから、ある程度ちゃんと考えて、長期的に危機感を持って取り組める人じゃないと、受講してもらう意味もあまりないのかなっていう風に正直思っています。
なので、あんまり準備を万端にして、メリットを提示して、危機感を煽って、受講者を増やしても、ビジネス的には正解なのかもしれないけど、なんか違うなと思ったわけよ。
なので、大々的に仕切り直した上でオファーしますよっていうのは中止にします。
ただし、今回のこの話を聞いたりとか、去年色々コンテンツを再配布してきたと思うんだけど、ああいうのを見聞きして「そうだな」「立ち上がらないいけないな」「学び直さなきゃいけないな」っていうふうに思ってくれてる人が、もう勝手に検討してくれたらいいと思ってる。
一応扉はオープンにしておくけど、必要以上にオファーしたり煽ったりとか一切やらないから。まあ、リンクぐらいは置いとくよ。
一応募集は「1月12日いっぱいまで」開けとくつもりだから。
なので、必要だと思ったらレターとか読んで、コンテンツが見て入ってきてください。
HQ-TRiBEに関しては、もともとそういう思いで始めたサービスだし、そういう思いを共有して同じ思いを持って、未来に向かって希望を持って、取り組んでいける仲間が集まればいいなと思って、始めたサービスだから。
煽り散らかして売るもんじゃねえなと思って。
まあ、元々煽り散らかしたりはしないけど、そんな風なところで、、、ちょっと仕切り直しの話は中止でお願いします。
ただ申し込めるようにしておくので、12日までに必要だと思ったら勝手に申し込んできてください。
ちなみに言うと、前回のオファーの特典である「新時代のための発想力と想像力」。
これに関しては特典コンテンツとしてそのまま付与しますから。
そして、今月1月から始まる新シーズン。また3ヶ月間やるけど、これは「新時代のための求心力と影響力」ということで、ガッツリとリーダーシップの講座をやっていきます。
これに関してはコンテンツビジネスやってる人はもう必聴だと思います。
さっき言ったように、個人の力を高めていかなきゃいけないって言ったけど、特に「発想力・想像力」そして「求心力・影響力」。
この話は、コンテンツビジネスをやっていくなら、稼ぎに直結するスキルなので、絶対学んでおいてほしいなと思います。
というわけで、どうでしょう?ジュンから何かありますか?
何かが起こる気しかしないよね。
大地震って言っていいぐらいの大きな地震だよね?あれは。
今もまだ救出を待ってる人たちがいると思うけどさ。
大事故ね。
ありえないよね。あれって管制官のミスになるのかな?
不幸中の幸いではあるね。
なるほどね。まあ、最初に言ったように個人レベルでコントロールしていけることはあるから、しっかり自分の人生の手綱を握るって事だよね。
必要なスキルっていうのは、効率よくしっかりと身につけていって、これから2年3年5年10年先を見ながら、大事に生きなきゃいけないなと思うよね。
息子にもそういう話してるよ。最近ずっと。
いや、めちゃくちゃ感じてる。
「じゃあ、自分が成人する頃にはどうなってんの?」みたいな話もするから、今こんな状況でゆくゆく…はみたいな話をしたら、「俺の6年後は20歳…どうなるんだろう?」みたいな。
日本がスラム街になるとか、そういう話じゃないけど、スタイルは変わるよね。
まだ何とか中流層という存在感があるっぽいような感じなんだけど、そういうのも「もう明らかにないよね」っていう空気感に変わっていきそうだな。
明らかに「あの人ちょっと貧乏な層の人たちだ」みたいな暗黙の視線があちこちで投げかけられるような。
そうだね。
コミュニティの時代でもあるから、そういう貧しい人たちは貧しい人たちのコミュニティをどんどん作って強化していくし、富裕層は富裕層のコミュニティを作ってどんどん強化していくし。
完全に目に見える二極化が進んでいくよね。
そんな時代を迎えることがもう分かっているから、俺らは自分たちのことはもちろん、自分たちの子供にもちゃんとした豊かで幸福な人生を用意しといてあげたいからね。
とりあえず言いたいことはそんな感じです。
新年早々暗い話だったかもしれないけど、我々は希望を持ってコンテンツ配信してるんで。
ぜひよければ入ってほしいし、今後のうちのコンテンツにも注目しておいてください。
では、ありがとうございました。
]]>HQ-MiND始めていきます。
今日は時間がないという多くの人が抱える問題について、ちょっと話していきたいなと思います。
「時間がないからできない」って結構みんな口走ることだと思うんだよね。
みんな目標を持っているっていう前提で話してるんだけど、目標って勉強と行動をワンセットで行う必要があって、かなり当たり前の話をしてるんだけど、ビジネスだったらマーケティングとかコピーライティングとかやらなきゃいけないことがいっぱいあるけど、勉強しながら実践するじゃん。
筋トレも、例えばYou Tubeでトレーニング動画を見ながら、やり方を見ながら、実際にダンベル扱ったりすると思うんだよね。
料理だったらもっとインプットとアウトプットを同時にする人が多いと思っていて、レシピを学んで後日調理する人ってあんまりいないと思うんだよ。
主婦でも誰でも、俺ですら「何か作りたいな」と思ったら、クックパッドとかでレシピ見ながら、同時に調理するわけ。
こういうことをやっていかないと、基本的にスキルって身につかないし、目標って達成できないよね。
だけど、多くの人の問題思考パターンってのがあって、それは、
っていうことじゃないですか。
で、ここでかなり多くの人に嫌がられる発言をしたいと思うんだけど、
「時間はあるものじゃなく作るもの」です。
当たり前の話だけど、あんまり聞きたくないと思うけど、ここにどれだけ現実的な問題として目を向けられるかどうかが大事だと思うんだよね。
待ちの姿勢では時間ってやってこないし、攻めの姿勢で積極的に作っていかないと時間なんて一生できないわけですよ。
だから、多くの人にとっての現実は、「時間がないからできない」ではなくて「やるつもりがないから時間がない」んだよ。
それが正解だと思います。
例えば、極端な例かもしれないけど、外出していて、突然警察から電話かかってきましたと。
このたとえ俺よく使うんだけど、今まさにあなたのお宅に泥棒が入ってますっていう連絡を受けたとするじゃん。
そしたら何を差し置いてでも、駆けつけると思うんだよね。
「家には何も取るものがないですよ」っていう人は別かもしれないけど、一生懸命働いて貯めた現金100万円を置いてますとかだったら、絶対行くじゃん。
今の例は恐怖に突き動かされたパターンだから、ちょっと参考になりにくいかもしれないけど、やりたくてしょうがない、ワクワクしてしょうがないっていうものって、結構何を差し置いても、寝食忘れてやったりするじゃん。
俺そんな感じで、子供の頃ゲームをよくやってたから。だから、単純に時間は作るものなのかなって思います。
それでも時間がないって人がいることは僕はわかってます。
多忙すぎて物理的に無理がある。物理的に時間がない。ジュンはけっこう共感できるんじゃないかな?昔そうだったよね?
まあ、それでも何とかジュンはやろうとしてたけど、結構無理ゲーだったじゃん。
そうそう。
それでも何とか工夫して頑張ってはいたと思うんだけど、多分あれ以上の頑張りってできないと思うんだよね。
もし、同じような状況なら、こういう人は人生レベルでちょっと真剣に考える必要があって、ハードワーカーと社畜の違いっていうのをよく理解しておかなきゃいけないです。
一般的に言われるハードワーカーって、自らの意思で働いているわけですよ。イーロン・マスクがハードワーカーだっていう話を最近よく耳にするけど、彼はやりたくてやってるから。
で、時間をコントロールしてるんで。だから、社畜とは違うんだよね。
社畜っていうのは外部からの強制力によって働かされてる人たちのことです。自らの意思ではない。コントロールできてないんだよね。
かつてのジュンを社畜とは俺は言わないけど、ただ追い込まれていたわけじゃん。
だから、社畜さんの場合は、そこにいる以上、想い描いてる未来って残念ながら来ない。これが現実です。
あんまり無責任なことは言えないんだけど、さっさと辞めるべきだと思う。
で、こういうとみんな「生活がかかってるからやめられない」とか「家族が路頭に迷うからやめられない」とかっていうし、それは本当なんだと思う。
でも、この状況って極めて不健全だよ。
そういう状況がずっと続いていった先に待っている未来は、かなり絶望的で、まず精神を病むよね。
うつ病とか簡単になっちゃうから。
あとはそんな状態で、家族を守ってたって家族がつらいよ。家族との心の距離は離れていく一方だし、本人は追い詰められる一方じゃん。
そこでやっぱり逃げ道がないと、人ってやっていけないから、この逃げ道がまた不健全なのよ。
例えば、Tik TokとかYou Tubeショートみたいな動画をひたすら見て、それが心の栄養になっちゃうっていうか、精神安定剤みたいなところがあるじゃん。
完全に現実逃避だよ。
あとは、ひどい人になると、コメント欄にやたら書き込むとか、炎上してる火事場に好んで参上するとか、更に不健全になっていくと。最悪早死ですよ。
だって、寿命削ってるじゃん。
だから、そういう人がもし聞いてる場合はやめる方向で人生設計しましょうっていうのが、僕からのメッセージです。
「やめてどうすんの?」って言われても「そんなん知らんよ」としか言えません。
それは自分で考えましょう。色んな道があると思います。
とにかくいずれにしても、未来に意識を向ける必要はあるなと思ってます。
っていうのが、現場から考えても何も進まないんだよ。
っていう未来から逆算して考えないと、今の延長線上にない未来って絶対作られないわけじゃん。
だから、常に何を考えるにしても、未来から逆算する。未来に意識を向ける必要は絶対あると思う。
で、未来を作れる人は、インプット1つとっても違うんだよ。
ただの勉強はしてないというか、ただの勉強では意味がないわけだよ。
なりたい自分になるためのインプットをしてる。成功してる人っていうのは。
だから、このインプットが自分のなりたい自分に貢献するのかどうかっていうのを、ちゃんと考えてるし、考えたら無意識にそういう思考パターンになってるし、不必要な勉強しないし、自分にとって必要な勉強しかしない。
で、もっと言うとアウトプットってみんな実践だと思ってるじゃん。
例えば、ライティングを学んで、ブログを書いてみるとか、メルマガを自分なりに書いてみるとか。
でも俺から言わせると、これって実践ではなくて、説明が難しいんだけど、俺の中のアウトプットって「理想の状態を表現と体現とかしてるその瞬間がアウトプット」なのね。
例えば、じゃあメルマガ書きますと。
メルマガで理想の自分を表現してるみたいな。
「この人なんか凄そうだな」とか、読んでる側からすると「この人の言ってることすごく役に立つな」「この人自身たくさん勉強してきたんだろうな」とか勝手に想像しちゃうじゃん。読み手としては。
でも、実はまだその状態じゃないっていうこともあるよね。
余計なことは言わなくていいと思うんだけど、どっかで言ったのが、
「理想の自分になるには、もう既にそうであるからのように振る舞うこと」
っていう話を昔どっかでしたことあります。
自分の理想があって、そこに近づくためには「もう既にそのような状態であるかのように振る舞う」。
それはメルマガ書くにしても、ブログ書くにしても、動画作るにしても、周囲の人間に対してもそうだよ。
サラリーマン時代は俺それよくやってたよ。
周囲の人たちに対して、理想の自分側から発言する。聞いてる人たちからすると「普段からこいつそういうふうに考えてるんだろうな」っていうふうに映るわけよ。
もちろん、下手クソな時もあったかもしれないけど、これが俺の中でのアウトプットかなっていうふうに思ってる。
自分の世界だけで完結するアウトプットは、アウトプットじゃないというか、人を巻き込んでこそのアウトプットなんだろうなと思う。
なぜなら、未来の理想の自分は人を巻き込んでるはずだから。
…っていうのも未来に意識を向けてるってことじゃん。未来から逆算してるってことじゃない。
そういうふうなインプット・アウトプットの理解じゃないと、なかなか現状って変わらないと思いますよ。
だから、話をちょっと最初に戻すと、「時間がないから出来ない」っていう言い訳は、もう誰も必要としてないというか、一番必要としないのは自分自身だよね。
「やるつもりがないから時間が無い」っていう意識をどれだけ持てるか。
そして、未来から逆算して、いかに自分の今の行動に落とし込めるかっていうことが、重要かなと思います。
っていうところで、今日の話は以上です。
ありがとうございました。
]]>HQ-MiND始めていきます。
今日はあるTwitterのツイートを紹介しようかなと思ってて、ちょっと珍しいんですけどね。
テストステロンさんっていう本とかたくさん出してて、調べてもらったらわかります。
テストステロン。ちょっと変わったニックネームなんですけど、すごく面白くて本もとても分かりやすくて、具体的で役に立つ本ですね。
筋トレとかボディメイクとか健康管理とか、そういった分野で活躍してる起業家の方なんですかね。
ちょっと本名とか素性は明かさない方なんですけど、結構この人が好きで色々ウォッチしてるんですよ。
Twitterとかも面白くて。
ちょっと面白いツイートというか、それのコメントが結構響いたんで、そこまで紹介したいんですけど、Tweetが
趣味に熱中してると「何を目指してるの?」「何かの役に立つの?」と否定してくる人がいるかもしれないけど、「楽しいから。やってる時幸せだから」と正直に答えればいい。人生は楽しんで幸せになったもん勝ちなんだから。これ以上に正当な理由はない。楽しくて幸せとかめちゃくちゃ役に立ってるでしょ。
っていうTweetですね。
これすごく納得ですね。
特に「何目指してんの?」「なんかの役に立つの?」「そんなにモテたいの?」とか言ってくる人いるんですよ。
彼らの多くには悪気ってないんですよね。
友達とかよく言ってくるので、本当に悪気ないんだろうなって思ってます。
何も考えずにステレオタイプと言うか、自然に出てきてるんだろうなって思うんだけど、だから過剰に反応する必要もないと思ってるんですよ。
筋トレ始めて初心者とか、2年目3年目ぐらいの人って、そういう言葉に過剰に反応してしまうので余計な対立を招いたりするんですよね。
「そんな怒らなくていいじゃん」って相手は思うから。
ニコッとこのテストステロンさんが言うように「やってる時幸せだから」って言えばいいと思います。
同意します。
あと面白いコメントがあって、これ言いますね。
最近いい年して筋トレなんかしてるけど、「何目指してんの?」と言われます。その度に「立派な死体」と答えています。
このコメントへの返信もみんな結構面白くて、分かりますと。
最近筋トレを始めた理由は、この体型で交通事故にあったりして運ばれたら恥ずかしすぎる。今は絶対死ねないと気づいたからです。
みたいな。
いや、これ言われたらめちゃくちゃ分かるなあと思って、僕結構死んだ後のこと考えるんですよ。
もし突然死んだら、突然は困るけど、もし病気か何かで死ななければならなくなったとしたら、数ヶ月しか生きられないとしたら、残された大切な人たちに何ができるかなぁ、なんて思ってるんですよね。
これまでに作ってきたコンテンツをちょっと編集し直して、息子に然るべきタイミングで見れるように仕組み化するかなとか。
お金はどうしようかなとか、色々と死んだ後のことも考えちゃうんですけど、立派な死体で死ぬっていう発想なかったなーと思って。
でも、これって結構僕の中では大事なことだなって。
「死んだら関係ないじゃん」「自分はいないんだから」という考えもあると思いますよ。
それはそれでいいと思うんだけど、僕はそうじゃなくて、僕が死んだ後も世界は続くと思っているので、死んだ後に残された人たちのことは結構考えますね。
やっぱり立派な死体で死にたいなって、これを見てそう意識し始めました。
なので、僕はこれからより良い身体作りをしていこうと思うし、ボディメイクも体が動く限りは一生続けていこうと思ってるしね。
ただ何年も前みたいに、ゴリゴリに週6筋トレとか1回1時間半やるとか、そんなことはやらないです。
怪我するし、ずっと続けていきたいから、緩く自分のペースでやっていけたらなという風に思っています。
どうでしょうか。
共感してもらえたら嬉しいんですけどね。
「ブヨブヨの体で突然死ねないでしょ」って僕は思います。
で、このテストステロンさん繋がりなんですけど、この人がプロデュースしてるアプリがあって、これがめちゃくちゃ良さげなんですよ。
さっきインストールしたばっかりなんですけど、見てみてください。
OWNっていうアプリなんですけど、これすごいっすよ。
ダイエットから筋トレから食事管理、睡眠管理、全てこのアプリ一本でできてしまう。
運動も「今日のあなたのメニューはこれです」って言われたのを、ビデオを見ながら行うことができるんですよ。
だから、まるで目の前にトレーナーがいるかのようにやれるっていうコンセプトなのかなって思いました。
運動が続かない、ダイエット、筋トレが続いたことがないっていう人いると思います。
ほとんどだと思います。
ただ健康への意識は日々高まりつつあると。
年齢とともにね。そこにずっと問題意識を持ち続けている人もいると思います
是非そういう人は自分の根性とか気持ちとかに頼らずに。そんなもんに頼って今まで散々裏切られてきたでしょ。
分かってると思います。
今の時代はこういうアプリがあるんで、こういうの利用して健康管理やってみてください。
共に綺麗な死体を目指して、これからも生きていきましょう
ということで以上。
ありがとうございました。
]]>HQ-MiND始めていきます。
今年に入ってずっとコンテンツを作ってるんですよ。
HQ-TRiBEが始まったから、週に1回ウェビナーをやってるから、知恵熱出るぐらいの勢いで集中的にやってんだけどね。
で、HQ-MiNDも相変わらずやってるし、とにかく俺にとってのコンテンツ作りは、ライフワークだし、生きることそのものになっちゃってんだよね。
どっかでも言ってるけど、息子がもう結構いい年というか、色々と息子自身も将来のことなんか心配し始めてるし、その息子のためにも何か残してあげたいなって本気で今思ってて、今息子に残すってこと前提にコンテンツを作ってるみたいなことあるから。
HQ-TRiBEのコンテンツに関してはね。
だから、本当に人生そのものだから、遺書を残してみたい感じもあるんだよね。まあそんな毎日ですよ。
これが楽しいのかって言われると、作ってる時とかずっと楽しい理由はないじゃん。
産みの苦しみがあるから。だけど、それがどこかで生まれた時なのか、あるいは脚光を浴びた時なのか、誰かの役に立ったと実感した時なのかわからないけど、すごく喜ばしい瞬間はあるわけですよ。
だから、それの連続かなっていうふうには思っているんですよ。
で、そこから繋がる話なんだけど、「自由」っていうものについて、「真の自由」っていうものについて考えていて、自由ってよく言われるのが、
とか、四大自由みたいなことが言われるじゃん。
それは良いし、そこそこに対する渇望は行動力の源泉になるから持ってもらった方がいいと思うんだけど、本当の自由って、あれもこれもそれもできるって選択肢のある自由ってのは表面的な自由の方で、本当の自由って違うと思ってんのね。
あえて、「不自由を作り出す理由」みたいなものを考えていて、そこに確信を持って、もう何年も前からやってることなんだけど、例えば、朝起きるじゃない。
やることは決めてるんだけど、イレギュラーはあるんだけど、散歩して風呂に浸かって瞑想して…みたいなことは、結構ハマってやってるのね。
毎朝同じことやってるって選択肢が少なすぎるじゃん。
俺なんか別に勤め人じゃないから、何やったって良いわけ。
朝からNetflix見てもいいし、酒飲んでもいいし。まあ、さすがにそれはジュンに怒られるかもしれないけど、こっそり嘘ついてやれるじゃん。
ジュンは仕事してるのに、俺はやってるよ感を出して、嘘ついたりとかして、オナニーしてもいいじゃん。
でも、あえて犬の散歩させながら、日の光を浴びて、帰ってきたら、ちょっと汗ばんだ体を洗い流すのと一緒に瞑想なんかしてる。
何か不自由すぎるでしょと思うんだけど、でも俺にとってはそれだけを毎朝やることが俺の望む人生に繋がってるっていう確信を持ってるからそれを選択してるわけ。
それを選択するってことは、他の選択肢を排除してるわけですよ。
だとすると、自分を不自由にしてるんだよね。
これは何に関しても言えることで、ビジネスに関しても言えることですよ。
これまではコンテンツビジネスというものを主体と言うか、自分のライフワークにしながらも、「あれもいいな」「これもいいなぁ」なんて思いながら、浮気してたんだよ。
サプリメント作ってみたり、パーソナルジムやってみたり、居酒屋とか美容室のコンサル入ってみたりとか、それはまだまだ俺が自分の道というものを見出しなかった。幸せって何かもはっきりわかってなかったし、方向性もはっきり定まってなかったと思うんだよね。
だから、あれもこれもそれもって思ったけど、今ははっきりと自分の方向性が分かってて、何をやってる時が幸せで、何が幸せにつながってるのかってのを、今は理解してるから、だからこそ情報コンテンツビジネスだけで俺は食っていくし、ビジネスを大きくしていくって決めてんだよ。
それ以外の可能性とか選択肢を排除したんですよ。
だから、誰に何を言われようが、ブレないんだよね。
こういう話を最近よくしてるんだけど。
「こんないいビジネスあるよー」とか「このビジネスで儲かったよー」とか「仮想通貨・投資話がどうじゃいこうじゃい…」。
全然気持ちが傾かないというか、ブレないんだよね。
それはすごく俺にとって心地いいと言うか、自由を感じるんだよ。
選択肢がないことに自由を感じる。
自分の決めた進む道が明確になってると、それを目指したらいいって思ってるからめちゃくちゃ自由度が高いんだよね。
選択肢がありすぎると自由すぎると逆に不自由なんだよ。どこに行っていいか分かんない。何をしていいかもわかんない。
ジュンは呪術廻戦見てないと思うんだけど、見てる人も多いと思うから話すんだけど、作中最強キャラがいて、五条悟って最強系キャラがいるんだよね。
五条悟が繰り出す奥義みたいなのがあって無量空処(むりょうくうしょ)って言って、宇宙空間みたいな所に相手を巻き込んでいくっていうか、それを発動した瞬間に周りが宇宙みたいになって、五条悟の領域に取り込むんだけど、その無量空処(むりょうくうしょ)の空間の特徴ってのは、あらゆるものが可能性があるって言うか、全てが解放されるんだよね。
あらゆることができるんだよ。あらゆる概念が無限にあるからこそ、敵は一歩も動けない。
あらゆる可能性が無限にあるからこそ、何もできないっていう状態に陥るのね。
めちゃくちゃ恐ろしい技なんだけど、なんかそんな感じなんだよね。
選択肢が少なければ少ないほど、自由。やることが明確だから。
他の例でいうと、ファイナルファンタジー10がすごく興味深くて、それまではファイナルファンタジーとかって、飛空艇であっち行ったりこっち行ったり、ある程度自由度が高かったのが、ファイナルファンタジーのセオリーだったけど、
ファイナルファンタジー10は、かなりグラフィックの精度が高まったのはあるんだけど、ストーリーが一本道になっちゃったのね。
あっち行ったり、こっち行ったりできないわけよ。
だから、ゲームなのに映画を見せられてるような感じになって、それで賛否両論あったんだけど、俺はそれがめちゃくちゃ良かった。
あれはちゃんとストーリーがあって、進むべき道が決まってて、決まってるからこそ、一本道のストーリーでも、ゲームだとしても、俺はそれがすごく良かったんだよね。
いろんなこと考えないで済むから。
だから、俺の1日の理想は秘書がいて、分単位で自分のやることを全部決められている方が、俺は楽。
「あれやってください、これやってください」って指示されながら、それをこなしていく。それで一日が終わっていくのが理想なんだよね。
やることとか、自分の幸せが何かとかが決まってなかったら辛いと思うよ。やらされてるだけだから。
選択肢がない方が楽だし、自由を感じるんだよね。
俺はそれが「真の自由」だと思っているという話です。
では、今回は以上。
ありがとうございました。
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今日は・・・・・・ちょっとタイトル考えてなかった。「人は見えるものではなく、見たいものしか見ようとしない」みたいな話をしたいと思います。
YouTubeとか見ていると結構顕著に表れているんですけど、僕はよくYouTube見るし、好きで見たりもするし、研究と言うかそういう目で見たりもします。
例えば、同じ人間の動画だとしてもちょっと鼻につくような態度だったりとか、ちょっとイラッとするような言動が見える動画になってくると、なんか揚げ足取りみたいなことが始まるじゃないですか。
で、1人2人3人ぐらいちょっと揚げ足を取るような指摘するようなコメントが出てくると、他の人も集まってきて、なんか「自分の気持ちを代弁してくれた」と思える人間が出てきたと思うんですかね。
そういう人たちに賛同して、よってたかって叩きにかかる。
いじめ心がくすぐられて参戦するやつも出てきたりとか、よくある光景だと思うんですよね。
一方で、同じ人間の動画でも心が洗われるような人間性が見えたりするような動画だと、うって変わって称賛大会が始まるんですよね。
その人のいいところをつらつら書いて、「この人はこういうところがこうだから、人には結局好かれるんだと思う」「炎上することもあるけど、基本人に好かれる心の持ち主だから・・・」あーだこーだ・・・。
自分は何もかも分かってるよと。
こんなとこまでちゃんと見ているよって言わんばかりに長文を披露する人とかも現れ出したりとかして、見ていて面白いなぁと思います。
実際、例えば去年まで叩かれていた人間が、先月まで叩かれた人間が、先週まで、あるいは昨日まで叩かれた人間が、今日は賞賛されているなんてことがあるわけですよ。
ホリエモンとか結構いい例で、しょっちゅう炎上しているじゃないですか。
例えば、去年かおととしに起こった餃子屋の炎上の時は、ボロカスに言われていたわけですよね。
動画コメント欄はそのことで溢れかえっていて、人間性にまで石を投げられるみたいなことがあるけど、ちょっと好感度が上がるような動画が出てくると、うって変わって称賛されるみたいなことをずっと繰り返していますよね。
結論なんですけど冒頭で言ったように、人って自分が見たいものしか見ようとしないんですよね。
見えるものを見てるんじゃないんですよ。見たいものしか見ない。
それで感情が動かされて、それを行動の基準にしている人がほとんどだってことです。
今日はYouTubeのコメント欄みたいな所を取り上げましたけど、あそこにコメントするような人達って少数派だし、少数派の中でも言っちゃ悪いんだけど低俗じゃないですか。はっきり言うと。もちろん全員じゃないですよ。
動画によってもその質は変わってくるし、ただ低俗の人が多いですよ。暇人も多いし。
だから、あそこ自体が特殊なんですけど、ただ「人は見えるものではなく、見たいものしか見ようとしない」っていうことを考えた時に、典型的なそのパターンが垣間見えるなぁと思うんですよ。
じゃあ、今回の話を役立てようとするならば、情報発信が主になってくると思うんですよね。
要するに、人はそういう性質があるわけだから、簡単に情報操作ができる。印象操作をすることができるってことです。
ビジネスで考えると、お客さんに対しては世の中の真実ではなくて、見込み客が見たいと思ってるものを見せるってことです。
例えば、太っている人。ダイエットしたいなって思っている人。
いつもそう思うんだけど、うまくいかない。失敗し続けている人に対しては、自己管理できないあなたのマインドに根本的な問題があるんですよって真実ではなくて、
あなたは悪くないんですよ。今の世の中自体が太りやすい環境にあって、普通にしていれば誰だって太るんです。
しかも、日々一生懸命働いているような人ほど、ストレスとかそういったものに晒されるので、やっぱり肥満に陥ってしまう可能性が高くなる。だから、あなたは悪くないんです。
さて、どうすればいいでしょうか。
世の中にはあなたと同じような環境にさらされていながらも、肥満を回避することができている人々が実際います。
彼らは何をやっているのか。実は努力をしているかというとそんなことはないんです。
実はあるたった1つの成分を毎日摂取する習慣があるんです。
その成分というのはこれです。
この成分を凝縮してサプリメントにしました。
このサプリを毎朝・毎晩飲むことによってあなたは何の努力もなしに、元のスリムな体型をちょっとずつ取り戻していくことができるでしょう・・・みたいな。
ちょっとベタベタな話でしたけど、そんな風にして何しろ彼らが見たいと思っているものを見せるって言うのも、1つのビジネスのやり方として世の中に蔓延してはいますよね。
ここではあえてそういうやり方を否定はしないですけど、ただ本当にお互い発展していこうとするなら、長期的関係を築いていって長期的にビジネスを成功させていこうとするんであれば、最初は彼らが見たいと思っているものから、それを提供するところからスタートしていけばいいんだけど、
そこから徐々に真実を共有していって、最後はお互いに真実を追求していって、本当に正しいことは何なのかってことをみんなで議論する。
そういうことができる場を作っていくことが理想かな、なんて考えていますけどね。
これが本当の教育かなとも思っていますし。
最後ちょっと話がずれましたけど、今回の話からはそういうところを学んでもらえればいいんじゃないかなと思いました。
ということで以上です。
ではまた。
ありがとうございました。
]]>HQ-MiND始めていきます。
昨日、東京から帰ってきて3日間息子と久しぶりに男旅をしてきました。
息子が謎の反抗期に入ったのが、もうずいぶん前で小学校4年生ぐらいかな。
それぐらいから行かなくなってたから6年ぶりとかかな。
そんな感じで東京に行ってきたんですよ。
なんか急遽富士急ハイランドに初日に行きたいって言い出したから、急遽ホテルとったりとかしたんだけど、予約したホテルが平日でも部屋が空いてなくて、どうしても隣接のハイランドリゾート&スパみたいなホテルが良かったんだけど空いてないのよ。
他の部屋を調べてみたら、無駄にスイートとかしか空いてなくてね。
スイートって言うても5万ぐらいだったけど、もうそこしか空いてなかったから、しょうがなくそこに泊まったんだよね。
3日間晴天だったから天気にも恵まれて、楽しい一時を過ごして、富士急から東京まで戻る電車は(行きはバスだったんだけど、狭すぎてもう嫌だったから)グリーン車で戻りました。
で、東京で泊まったホテルが、東京タワーのすぐそばの芝公園の中にあるホテルなんだよね。
割と良いホテルで、いろいろ割引になってたり、楽天のポイント使ったりで、半額ぐらいで行ったんだけど、14歳の息子を連れて行くには、とても贅沢なホテルだったかなというふうに思いますよ。
そんなこんなでいろいろ観光して、俺は東京何十回と行ってるけど、観光とかまともにしたことなかったから、浅草行ったり、東京タワー行ったり、ベタにスカイツリー行ったりとかして、帰ってきました。
で、帰りは国内線のファーストクラスで帰ってきました。
なんでちょいちょい高級感を挟んでるのかっていうと、今回いろいろ意図がありました。
なぜこの旅行したのかっていうと、もちろん純粋にプライベートで息子との旅行ってのもあるんだけど、前から話してるけど、息子が高校行かずに働くって言ってるから、コンテンツビジネスを今勉強させてんだよね。
で、中学卒業してからと言わず、もう今から稼げるように…っていうところで、勉強させていたりするんですよ。
今回いい経験だったから、いろいろ体験させてあげようと思って。
そこまで馬鹿高級な体験をさせたわけではないし、そんな必要はないと思ったんだけど、ある程度豊かでないとなかなか選択しないような部屋とか、飛行機のクラスとかを選んだわけですよ。
観光も妥協しないし、「ここはちょっと節約しとこう」みたいなことをあえてしなかったんだよね。
普段はするんだけど、今のうちにそういう体験をさせてあげて、「ちゃんと自分で稼げるようになったら、当たり前にこういうことができるんだよ」っていうのを教えたかったんだよね。
だから、次息子と旅に行くことがあっても、無駄にお金を使うような旅にはならないと思うし、いつもの普通の旅になると思うんだよね。
次息子が、今回と同じようなちょいハイクラスの経験をするということがもしあるんだったら、それは自分で稼いだ金で行くか、あるいは会社にめっちゃ利益をもたらすようになって、堂々と経費で行くか。どっちかかなと。
それを教えたかったってのがあるんだよね。
その意味で、うまくいったんじゃないかなというふうに思っていて、意図も息子にはっきり伝えたし、「もう次はこんなチートみたいな、何の努力もなしに、こんな旅行はできないぞ」「自分でできるように頑張りなさい」みたいな話はしたんだけどね。
ここから派生して、もう1個伝えたいことがあって、身の丈に合わない経験をあえてして、頑張った先には「これが日常になってるんだ」っていうモチベーションって大事だと思うんだよね。
最近ではそういうのはバカにする風潮というか…、なんかラグジュアリーホテルのカフェとかアフタヌーンティーとかに背伸びして行って、「こういう体験をしてきました」みたいなことをSNSで投稿するみたいなのを「安易だな」と思う人はいるんだけど、全然いいと思うんだよね。
ちょっと自分の未来を先取りして、そういう体験をすることで、今この瞬間の作業というか、未来を作る作業に貢献できれば、俺はすごく良いことだと思う。
一方で、ずっと堅実に身の丈にあった生活をしながら、コツコツ頑張るっていうのは、日本人は結構好きそうじゃない?
だけど、それではなかなかブレイクしないんだよね。
もちろん、お金とか時間とか自分が今持ってるリソースの中で、何とかするしかないんだけど、もし当面使わない貯金だったりとか、ずっと使ってない有給だったりとかが、あるんだとしたら、そこに投資してみるのは良いと思う。
もちろん、ちゃんと意味のある投資にしないとマジで意味ねえから、その経験を宝物にするって言うことを1回やってみることをお勧めします。
みんなブレイクしたいと思って、こんな音声聞いてると思うし、何かしら人生をブレイクさせたいと思ったはずなんだよ。
変わり映えしない日常の延長線上には、欲しい未来はなかなかないよね、っていう話です。
打開策の1つとして、少し身の丈に合わないかもしれないけど、未来を先取りするような体験を1回挟むっていうのはいいことだと思います。
今回はそんな話でした。
では、以上。
ありがとうございました。
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