俺とクソ親父 – HQ-MIND

俺とクソ親父

どうも、西祖です。

「なんだこいつ、嫌味か?」

と思われるのを覚悟で言うのですが、僕は今、幸せです。

モーニング&ナイトルーティーンを公開しているので、結構普通の(地味な)生活を送っていることはバレバレなんですが、もちろんあれは一部分を切り取っただけでして、

例えば他には、、

息子と桃鉄して遊んだり、
愛犬とドッグランで駆け回ったり、
彼女と温泉旅行したり、
両親を食事や旅行に連れて行ったり
海外に行って非日常を過ごしたり、
出張先で仕事したり仲間とワイワイやったり、
師匠や兄貴分と会ってパワーをもらったり、、、

幸せを感じられる瞬間はたくさんあります。

あまり働かなくても収入が入ってくる「仕組み」や「立場」を作りました。

そのための努力はまあしましたが、インターネットと人脈の存在が大きいです。

若い頃に思い描いていた

経済的、時間的、場所的自由

は手に入ったと思っています。

もちろん、問題やトラブルも起こる時は起こるし落ち込むこともあります。

騙されたり裏切られた数の勝負では、結構勝つ自信あります。騙されたり失敗したりして損した金額も、覚えているだけでトータル1500万円〜くらいあります。

でも、全部一緒くたにして、悪くない人生だな、って。

そう思えることそのものが幸せなんです。

・・・

十数年前の僕が今の姿を見たら、もしかするとガッカリしてしまうかもしれません。

二十代の頃の僕は、

「成功」
「億万長者」
「豪遊」
「権力」
「六本木ヒルズ」

こんなワードに目をギラつかせていたもんです。

ヒルズ族がもてはやされ(ネオヒルズじゃないよ笑)、ホリエモンや村上ファンドがブイブイ言わせていた時代の話です。

それが今では、

「愛息子」
「愛犬」
「親孝行」
「閑静」
「自然」
「温泉」

こんなのに塗れた生活に満足してしまってる。

「小さくまとまりやがって」

若かったあの頃の僕は、きっとこう思うことでしょう。

昔の自分にどう思われようが構いません。心から幸せを感じられない「偽の成功」が世の中には数多く在ることを、これまでの人生経験で知りました。

銭なんて幾らあったって困らんからどんだけ儲けてもいいと思うし、モテなくて凹むよりもモテまくって困る方が何倍もいいと思うけど、

全ての成功は、「幸福感」が土台にあってのもの

だと思っています。

今の僕は、

「成功」ではなく「成幸」

を追求しているんだと思います。

今回は、そんな僕の“原体験”を語ってみるつもりなんですが、まあ、よければお付き合いください。(長いので覚悟してから)

 

分不相応

僕のこれまでの人生は、

自分を好きになるための旅

だった気がします。

僕は、自分が好きじゃなかったんです。

まず、僕は吃音者。

「吃音(きつおん)」という言葉を知らない、あるいは言葉は知ってはいるけどどんなものか詳しくは知らない、と言う人はちょっと検索して調べてみて欲しいんですが、一口に言うと、言葉を発しようとすると、瞬間的に負の感情が襲ってきて、喉元でロックがかかったように第一声が詰まって出てこない。こういう症状。

これを吃(ども)ると言いますが、吃る言葉は人それぞれで、名前や会社名などの固有名詞や、「ありがとう」「こんにちは」「もしもし」などの挨拶言葉なんかで特に発動しやすいです。

緊張してるときに発動しやすいと思われがちですが、そうとも言えず、家族や恋人、友人に対してよく吃る、という人は結構多くて、逆に緊張感がなさすぎることが脳のパフォーマンスを下げ、それが吃音に関与するんではないかと、密かに考えています。

まあ、同じ吃音者にしかわからない話ですが、吃音と共に過ごした青春時代はトラウマとコンプレックスに塗れていました。

電話が鳴っただけで嫌な気持ちになるし、挨拶するだけで緊張が走る。

国語の授業中、本読みを当てられても、「面倒くせー」とか「今日は調子悪いからパス」などと不良っぽく悪ぶって回避することがありました。苦肉の策です。

別に不良でもないのに、たまにそういう大胆な言動があるので、教師やクラスメイトからは不思議な目で見られることが多かったです。

「実は危ない奴かも」
「キレさせたらヤバそう」

陰でこう囁かれていました。

勉強はできず、成績はいつも落第点。

通知表とか全部「1」ならまだカッコのつけようもありそうなものだけど、中途半端に「2」とか「3」がちらほら見えるものだから、カッコのつけようがない「ただの落ちこぼれ」です。

それで、一念発起し、本物の不良の道に走ろうとするも、「親に迷惑や心配をかけたくない」なんて変に優しい性格が仇となり、中途半端に終わります。

とにかくやる事なす事すべてが上手くいかず、何もかもが中途半端でした。

そんな自分が大嫌いでした。

「もう、いつ死んでもいいや」
「でも痛いのも苦しいのは嫌だな」
「みんな一緒なら怖くないかな」
「隕石が降ってきて人類滅亡しないかな」

こんなことばかり考えていました。

ろくでもない人生を送る覚悟が、中学を卒業する頃にはすでにできていました。

どこにでもいるような、絵にもならない、普通の落ちこぼれです。

 

……なのに、です。

そんな諦めマインドを持ちながらも、僕の心の奥深くには常にもう一人の自分がいました。

そいつには「野心」のようなものがありました。

「ねえ。成功しよーよ。金持ちになろうよ。いい家住んで、いい車乗って、いい女積んでさ。お前でもなれる方法あるよ。お前は落ちこぼれだけど、関係ねーよ。見込みあるよ絶対。頑張れよ。諦めんなよ。聞いてる?」

こんな調子で、事あるごとに僕の耳元で囁いてきました。

不思議でした。

自己評価が低く自信がない。こんな自分にどうしてこんなもんが宿っているのか、と。わかりませんが、分不相応だと思いました。

今思えば、この感情があったから今の自分があるのだと思っていますが、それが開花するのはもっと、ずっと先の話です。

当時は、出口の見えないトンネルをひたすら彷徨っている感覚でした。

 

クソ親父

二十歳くらいの時だったか。キッカケなんて忘れましたが、ある日、父親と将来のことについて口論になりました。

その場の勢いで思わず

「俺だっていつかは起業でもして、成功したいと思ってるさ。本だってたくさん読んでる。知ってるだろ?」

と言い放った僕に対して親父は、

「馬鹿につける成功法則なんてあるか、ばぁーか」

と鼻で笑いました。

ムカつきを通り越してショックでした。

信じられますか?

彼は実の父親で、僕は実の息子です。喧嘩の最中でお互いヒートアップしているとはいえ、息子の本気の思いを汚い言葉で踏みにじったんです。

・・・

昔のことを思い出すと、決まって登場する人物が、この父親です。僕のトラウマやコンプレックスは、父親に作られたものがいくつかあります。

未熟な人でした。悪い意味で子供っぽい人でした。

大人気ない、精神年齢が低い、学習脳が未発達、、なんとでも言えます。

 

クソ親父でした。

決して悪人ではないのだけど、たとえば、小さな子供には絶対に言わない方がいいような事を平気で言ったりする人でした。

短所を挙げ出すとキリがありません。

・スグに見返りを求める
・スグに頭に血が昇る
・酒癖が最悪
・簡単に騙される
・器が小さい
・子供に対して叱るのではなくガチで怒る
・極まればスグ手が出る
・女は殴らないが、醜態は簡単に晒す
・突然家を空ける
・暴言を吐く
・喧嘩っ早い
・空気が読めない

etc…

悪気がないのは周りもわかってるんです。でも、悪気が無いから対応にも困るわけで。腹も立ちます。

図体が大きく、見た目もまあカッコよく、若い頃はそれなりにモテたらしいですが、残念な性格のせいで台無しです。

言う事だけは立派だけど、行動はとっても残念。

どう考えても、頭が悪いとしか言いようがないんですが、度があまりにも過ぎる時は、お袋にこっぴどく叱られていたりします。ただ、反省しているのかどうかすらわかりません。

まあ、犯罪者と言うわけではないし、他人を直接的に傷つけたり、大きな迷惑をかけたりするような人ではありません。ヒヤヒヤする事はあるけど。

こういう人って、世の中には沢山いると思うんです。別に珍しくもないし、最悪と言うわけでもないんでしょう。悲劇として語るには、この父親では力不足、と言ったところでしょうか。

ともあれ僕は、自分の父親が、尊敬には値しない男だということを、子供心ながらに理解していました。

・・・

お袋はそれなりに苦労したはずです。それは見ていてわかりました。いつも、お金の心配ばかりしていたように記憶しています。

親父は転職を繰り返すから賞与なんてありません。給料もたかがしれてる。一家の大黒柱としての最低限の責任は果たしてはいたものの、経済的に豊とはとても言えない状況が延々と続いていました。

また、親父は一度起業に失敗しています。僕が小学1年生くらいの頃の話なんですが。起業も失敗も、結局は全部騙されたんだと聞いています。その関係で、結構な額の借金をその時に背負ったということも聞いています。

バブル絶頂期ですら、うちの家計は苦しかったんじゃないでしょうか。

当時は、友達のお父さんが皆カッコ良く、輝いて見えていたものです。友達に自慢できるカッコいい父親というものに強い憧れを持っていました。そうあって欲しいと願っていました。

ルックスは悪くないし、外見にも気を遣っていたみたいで、たまに「西祖君のお父さん、背が高くて体が大きくてカッコいいね」なんて言われることもあって、そのときは一瞬誇らしく思えたりもするんだけれど、要所要所できっちり気持ちを裏切ってくるのがうちの親父なんで。

だけど、そんな残念な親父にも、“いい所”はいくらかあったんです。

それが、せめてもの僕の心の支えになっていました。おそらくは、お袋も弟も同じだったと思います。

たとえば、動物や子供が大好きでとても可愛がるところ。

見ていて微笑ましい。

……を通し越して引いてしまうほどです。なんというか、異常なんですよ。可愛がり方が。愛情の注ぎ方が。

他所の子供だろうが、他所のペットだろうが、親や飼い主の目などお構いなしに戯れあっていました。距離が近く、度を過ぎることもあるため、家族は監視の目を光らせていなければならないんですが。

なぜだろう、と。そこに対してだけ愛情がバグってんのか、そもそも精神年齢が同レベルだからそうなるのか。

わからないけど、まあ、これは評価してもいい部分だと思っていました。

それと、仕事は一生懸命やる人でした。

与えられた仕事には手を抜かないし、営業させては取引先に好かれてしまい受注が舞い込む、みたいなところもあったようです。

何度も転職を重ねてはいたけれど、無職の期間は一度もなかったという話をお袋から聞いています。

協調性がないせいで、上席と揉めて何度も職を変わるのだけど、必ず次の職場を見つけてから辞めるんだと。

賞与こそないけど、毎月の給料は欠かしたことがない(らしい)。あと、ギャンブルはしない(らしい)。女遊びもしない(らしい)。

お袋曰く……なので、まあ概ね正しいのだと思います。

とにかく、最低最悪の親父というわけではないと思います。

 

ダイブ

クソ親父の話が長くなりすぎました。

・・・

吃音者で、落ちこぼれで、何をやっても中途半端。

過去を思い返してみると、楽しい思い出よりも辛い思い出の方が圧倒的に多いことがわかります。

でも、成人して以降、僕は、世の中の辛さや苦しみをもっと経験することになります。

「可愛い子には旅をさせよ」という言葉があります。

「我が子が可愛いなら、親の元に置いて甘やかすことをせず、世の中の辛さや苦しみを経験させたほうがよい」

という意味ですが、今思うと僕は、

自分自身に旅をさせた

んだと思います。

・・・

就職先を探している時期の話です。

僕の心の奥深くに居る、野心を持ったもう一人の自分が、耳元で囁き続けていました。

「嘘だろ普通の会社じゃん。そんなんでいいのか?てか地元でええの?周りと一緒でええの?……やめとけって。どうせなら面白そうな会社に飛び込んじまえよ。地元からも離れるべき。じゃなきゃあ、お前になんて一生チャンスなんか来ねーよ。違うかよ?」

ずっとこんな調子です。

・・・

当時、選択肢はいくつかありました。

1.母親の知人のつてで設備関係の会社に就職
2.1年間バイトした居酒屋でフルタイム労働にシフト
3.求人誌を頼りにひたすら職探しする

どれも普通でパッとしません。

そこにたまたまこんな選択肢が追加されました。

4.友人の父親のつてでビルメンテナンスの会社に就職

これはちょっと躊躇いました。

前情報としては、、、

  • 会社の場所が全く知らない土地で、実家からは車で2時間かかる距離(寂しい)
  • 気合の入りまくった、体育会系を地で行くような会社(怖い)
  • とても若く勢いのある会社で、社長が35歳、他の社員も二十代がほとんど(嬉しい)
  • 業種は総合ビルメンテナンス業(なにそれ美味しいの?)
  • 社長はイケメンでワンマンで相当の変わり者(面白そう)

・・・

「4番一択だろどう考えても」

奴が、“そっちの道”を強く勧めてきます。

クソ親父に「馬鹿につける成功法則なんてあるか、ばぁーか」と鼻で笑われてムカつきを通り越してショックを受けた直後だったこともあり、見返してやりたいという気持ちが背中を押し、僕は思い切って「4」を選択しました。

 

こんなはずじゃあ……

話が違うと思いました。

最初に聞いた勤務体系や労働条件、福利厚生……。色々と話が違います。

総合ビルメンテナンス業……。ただの掃除屋です(少なくとも僕の仕事は)。

若くて勢いのある……。社長にビビってるだけで社内では文句ばかり飛び交っています。

変わり者の社長は……。ほとんど会社には顔を出さない人だっため、どんな人物なのかは1年間くらいわかりませんでした。

・・・

「自分に旅をさせた」

……とかカッコつけて言っては見たものの、本音を言うと、別に知らない土地で一人暮らしがしたかったわけじゃないし、ブラック企業に入りたかったわけじゃないし、ビル清掃なんて、ましてや便所掃除なんてやりたくなかった。

一人暮らしするにしても、いつでも実家に帰ってお袋の飯を食える地元という環境に身を置いていたかったし、職種で贅沢は言えないにせよ自分の時間がちゃんと確保できる仕事に就きたかった。

僕はただ自分を変えたくて、知らない世界に飛び込んだだけでした。何も知らずに。何も考えずに。ただ飛び込んだだけ。

その、期待を胸に飛び込んだ世界がとんでもない場所だった。

こんな程度の話です。

・・・

それでも逃げずになんとかやりました。

家族や友人たちに大見得を切って地元を出た手前、また根性をウリに意気揚々と入社した手前、逃げたくないという気持ちが強かったと思います。

が、一時期は、心も体もボロボロでした。

深夜、ヘトヘトの状態で帰宅し、電気もつけずそのままベッドに寝転がり、

あまりの孤独に真っ暗な部屋でしばらく泣いた

こともあります。嗚咽です。

厄介な顧客に理不尽な言いがかりをつけられた挙句、一方的に悪者にされ、社の人間は誰も助けてはくれず、

帰りの車の中で悔し泣き

したこともあります。ハンドルを何度も殴りました。

誰も助けてはくれませんでした。

別にひどい人たちに囲まれていたというわけではありません。みんな自分のことで精一杯だったんです。

こんなはずじゃなかった……

毎日心の中でつぶやいていました。

 

スキル

それでも根気よく一生懸命やっていると、いいことが待っていました。

色んなスキルが身についた

んです。

主に

コミュニケーション力やリーダーシップ力

ですが、細かくいうと対話力営業力交渉術指導力仕事術といったもの。

また、行動力決断力思考力発想力責任感といった

目標達成・自己実現スキル

も育まれていました。

自然と自信も付いていました。

我武者羅に仕事をしていただけでなく、もちろん陰で時間を見つけては本を読んだり尊敬する人の講演や研修に参加したりして勉強した結果でもあります。

僕の中で最も大きかったのは、「克服困難」や「克服不可能」だといわれている

吃音を克服(※)する事ができた

ことです。

(※吃音における克服とは、症状が無くなることではなく、精神的な苦しみや囚われを乗り越えること。それが達成できれば、次第に症状も落ち着いてくる。)

僕にとってこの経験は、さらに大きな自信を手に入れるきっかけとなりました。

・・・

普段の頑張り、周囲からの評価、仕事での成果が認められ、24歳で課長職に就きました。

課長と言っても社員二十名以下の小さな会社だったので大したことはありませんが、努力がなんらかの形で認められるというのは、この上ない喜びでした。

「俺が本当に欲しかったものはこれだったんじゃないか」

こんな風に思いました。

周囲の態度や対応も変わります。入社時に自分の研修を担当してくれていた18歳年上の先輩が部下になり、それまで偉そうにしていた彼が、仕事中だけは敬語に変わりました。

給料も倍近く増えました。

社長と同行することが多くなり、行く先々で「こいつはうちのエースです」と言って僕を紹介しました。

なにもかもが身の引き締まる思いでした。

この頃には、過去を忘れかけていました。

むしろ、過去なんてなかったかのように、前だけ向いて生きていた気がします。

と同時に、自分のことが好きになっていました。

あれだけ嫌いだった自分のことが。

このときは意識すらしていなかったけど、あの気持ちに間違いはないと思います。

・・・

「独立」や「起業」といった言葉を意識し始めたのは25歳くらいの時だったでしょうか。

もっと自分の可能性を広げたいという気持ちが日増しに強くなっていきました。

27歳になる頃には、いよいよ今の場所に、いや会社員そのものに限界を感じるようになり、退職・独立時期を現実的に模索していました。

それはネットビジネスに出会ったことで一気に現実が動き始めました。

程なくして、明確に退職時期を決めました。

辞意を告げる前、僕のなにやら穏やかではない動きを察知した社長は、「今年中にお前を取締役にしようと思う」と遠回しに引き止めようとしました。

それでも辞意を告げた後、社長からは「お前は会社に必要な人間なんだよ」と言われました。上司からは「お前がいてくれてよかった」と言われ、後輩には「考え直せませんか」と言われました。

信頼関係で結ばれていた取引先の社長や担当者の方らは、口を揃えて「寂しいです」と言ってくれました。

社内は、僕の業務や担当顧客の引き継ぎ作業でしばらくてんやわんやでした。

引き継ぎは大変でしたが、我ながら、この会社における自分の存在の大きさを自分で思い知ったし、自分のやってきたことは間違っていなかったんだと、ホッとしました。

僕が手に入れたものは、一言で、

世の中を力強く生きていくための力
未来を自らの力で切り開いていくための力

でした。

我ながら、とんでもなく価値あるものを手に入れたなと思っています。

変な言い方ですが、

僕は、自分を騙してきた

のかもしれません。

本当は、ろくでもない人生を送るはずだったのに、

「そっちの道じゃない、お前が行く道はこっちなんだ」

と自分を騙しながら、足を踏み入れるはずもなかった舗装もされていない砂利や石だらけの道を、分不相応にも無理やり歩いて来てしまったのかもしれません。

でも今振り返ると、それが正解でした。

実体がないものを信じたり、期待したりすることは大事

だと思います。

なんだって最初は実体がないものなんです。

建築物も最初は構想から始まるわけです。

会社だって、最初はゼロで、創業者の思いから全ては始まるんです。

自信も、人格も、スキルもなにもかもそうだと思います。

なんにもない。ゼロ。
ゼロから創造していくんです。
創造は想像からはじまるんです。

自分を騙そうが、背伸びしようが、無理をしようが、そうやって前に進んでいくんだと思います。

進んでいけば、小さな実態が生まれます。

その実態をはどんどん大きくなり、気づくと誰もが認める創造物が目の前にできてる。

会社、仲間、生活、家族、自信、人格、、、

僕は、自分を騙し続けることで、自分を本当に好きになることができたんじゃないか。

騙す以外にもっとイイ表現があるだろうと思われるかもしれないけど、僕にとってはなぜかこの言葉が一番しっくりきます。

 

「で」→「が」

出社最後の日。

感傷に浸る暇もなく、慌ただしく一日は過ぎてきましたが、それでもまともな時間には仕事は終わらず、社を出たのは深夜2時でした。

車に乗り込む前に、誰もいない社屋に向かって深々と一礼したのは、自己陶酔していたからではなく、紛れもない、感謝の気持ちの表れでした。

二十歳で入社してほどなくして、

「この会社でよかったのか・・・?」

と疑問を持ち、しばらくその気持ちとの戦いでしたが、24歳の頃、頑張りが認められて役職をもらったとき、

「この会社でよかったんだ」

と思えました。嬉しかったんです。

そして、最後の出社の日。

最後の最後に、

「この会社“が”よかったんだ」

と思えたことは、今では僕の中での財産です。

 

深夜2時のクソ親父

以前、深夜2時に実家に帰った時の話です。

深夜だったから、音を立てずにそっと家に入ったわけですが、居間のソファーで親父が寝ていました。

仕事着のまま、思いきり口を開けたまま、イビキを掻いて寝ていました。部屋の照明も、テレビもつけっぱなしです。テーブルには飲みかけのビールも。

仕事から帰ってきて少しだけ横になるつもりがそのまま寝落ちてしまったに違いありません。

・・・

それにしても、随分痩せこけた顔に少し驚きました。

「この人こんなに老けてたん?…爺さんやん」

その日は僕も疲れていたので親父が寝ている向かいのソファーに腰を下ろし、一息つき、何気に親父を見ていたんです。

親父の寝顔をじっくり見るなんて、もしかすると初めてかもしれません。

親父を思い浮かべた時の顔はいつも、目の前にある老けた顔よりももっと若いもので、10年、いや20年以上前。まだ一緒に風呂に入っていたくらいの頃。

子供にとっては少し熱めの風呂でした。

湯船から上がる時、決まって

「よし、あと10秒な!」

と親父から言われ、

「いーち、にーい、さーん……」

と素直に声を出して数えていた無邪気な頃。

……くらいのものかもしれません。

でも、目の前の顔は誰が見ても疲れた老人の顔で、間違いなく僕の父親です。

それもそうか、と。親父はもう、今年で68になるんです。

・・・

こんなこと言うのは、むずがゆいというか、とても気持ち悪いのだけれど、親父の寝顔を見ているとこんな風に思えてきました。

「俺の親父はこの人でよかったんだろうな」
「悔しいけど、この親父で正解だったんだろうな」

と。

・・・

断っておくと、親父は昔と何も変わっていません。

まあ昔ほどではないにせよ、相変わらず酒を飲みすぎてお袋に絡んでいたりするお馬鹿さんです。

こないだなんて、酔っ払い過ぎてトイレに小便を撒き散らし、お袋にこっ酷く叱られていたらしいんです。

そんなションベンクソ親父ですが、でも、この人が親父でよかったんだ、正解だったんだ、と。

もし、父親がこの人じゃなかったら僕は、今の自分を生きてはいないと思います。

たとえば、今の僕の「人格」は、親父を反面教師にした結果作られたものが少なくない。

・スグに見返りを求める
・スグに頭に血が昇る
・酒癖が最悪
・簡単に騙される
・器が小さい
・子供に対して叱るのではなくガチで怒る
・極まればスグ手が出る
・女は殴らないが、醜態は簡単に晒す
・突然家を空ける
・暴言を吐く
・喧嘩っ早い
・空気が読めない

これがうちの親父です。

でも僕は、、、

スグに見返りを求めないし、
冷静だし、
酒癖は悪くないし、
簡単には騙され……るか。

器が小さい方ではないと思うし、
子供の教育のことはちゃんと考えてるし、
手は出さないし、
女性に醜態は晒さないし、
突然家を空けな……くもないか。

暴言は吐かないし、
喧嘩は嫌いだし、
空気は誰よりも読むし。

うん。

という感じで、全部じゃないけど、親父を反面教師にしたからこそ、形成することができた人格だと思っています。

最近一番感じるのは、良くない父親像が最初から明確なっていたおかげで、息子に対する接し方や見せ方に、十分な気を配れていたこと。

これはまあ、諸手を上げて喜べることではないかもしれないけれど、皮肉なしに感謝している部分でもあります。

なにも反面教師だけじゃないんです。

・子供や動物好き
・一生懸命働く
・弱い者に手を差し伸べる
・人から可愛がられる

これら、自分でもお気に入りの性格は、間違いなく親父の影響だったりするんです。

この中の何が欠けていても、今の僕とは違う人間なんです。

つまり僕は、なんだかんだ親父の影響を多分に受けてる。

ってことになるんでしょうね。

正直、1ミリも嬉しくないです。

悔しい気持ちの方が数十倍大きいです。でも事実だから。

・・・

僕は、今の僕じゃない自分なんて嫌だと思っています。

僕は今の俺が気に入っているから。好きだから。

今こうしてここにいるのが、今の「好きな自分」であるためには、この父親である必要があったんだと思います。

ということは、僕は、親父が好きだってことになるのかもしれません。

友達に自慢したかった理想の親父ではないけれど、今だから言えることだけれど、たぶん、このありのままの親父が気に入っているんだと思います。

それに気付くのに30年近くかかってしまいました。まだ生きてるうちにそう思えただけでも良し、です。

……とは言え、何度も言うように、親父は何も変わっていません。

特に何かを乗り越えたとか、ブレイクスルーしたとか、ないです。

ただ、歳と共に自然と角が取れ丸くなっていっただけ。

だから、どうせ、これからも生きてるうちはずっとクソ親父なんだと思います。

妙な言動をする度に、イラついたり、ムカついたりするんでしょう。

極まれば言葉にも出すんでしょう。

そして、ケンカになって、「さっさとくたばれクソ親父」なんて言い放つのかもしれません。

でも、最早そういうなもんだと思っています。

それが僕と親父との関係における在り方の一つだと受け入れています。

だから別に、今さらどうにかしようとも思いません。

彼とは、イラつきながら、ムカつきながら、ケンカしながら、そうやって付き合っていくと決めているんです。

でも、そんな時は、ほんの少しだけ、目の前のこの、口を開けてイビキをかいてる老けた顔を思い出してみてもいいのかもしれません。

ひょっとすると、何かが変わるかもしれません。

……知らんけども。

 

自分を好きになる努力

多くの人々を見ていて思うのは、

“もっと自分を好きなる努力をするべき”

ということです。

“自分を好きになる”

これは、努力なしでは叶わないと思います。

自分の事が嫌いだったり、大して好きでもなかったりする人間が、ある日突然自分を好きなったりはしません。

僕はいわば、様々なコンテンツを通じて、

自分を好きになるための“努力の材料”

を、あなたに提供しているのかもしれません。

もしあなたが、今の人生を大して気に入っていないのなら、あまり難しいことは考えず、とりあえず

「自分を好きになる努力をしてみよう」

と思うことからはじめてみるといいかもしれません。

そのための材料なんて、その辺にゴロゴロ落ちています。

その中の一つとして、僕を“利用”してくれたらいいと思います。

僕が提供できる知識やノウハウは、まあそこそこありますが、最初は「利用してやる」という気持ちで関わってくれて結構です。

ただ、あなたが少しでも、自分を好きになれたと実感できた時、僕に何かしら報告をしてくれませんでしょうか。

その、あなたからの一通の便りで、僕はさらに自分の事を好きになることができる気がします。

そして、もっとあなたに何か価値あるものを提供したい、という気持ちに駆られると思います。

僕らは常に「Win-win」でいきましょう。

・・・

ずいぶん長いメッセージになりました。

お疲れ様でした。最後まで付き合ってくれて嬉しいです。

特にプレゼントなどはないですが、それでもよければ、感想などを頂ければ尚嬉しいです。

返事できるかはわかりませんが、すべてに隅から隅まで目を通します。

ありがとうございました!


・・・


あとがき

とまあ。

実は、この記事を書いたのはもう6〜7年前になります。

当時僕は、34歳くらいでした。

息子が5歳くらいで、親父は68くらい。

今僕は、41歳です。

ビジネスを通じて沢山の人と出会うことができました。本当に貴重な経験をさせてもらうことができました。

可愛かった息子は小学2年生の3学期から不登校になり、フリースクールに通うようになりました。今小学6年生で、立派なクソガキに成長しています。

親父は今年74歳で、さらに爺さんになりました。

タクシーの仕事はとっくに引退し、今では週3回、お袋と共にうちに来て部屋の掃除をせっせとしてくれています。

うちの、無駄に多い窓ガラスがいつもピカピカで綺麗なのは、親父がいい仕事をしているからです。

休憩中は愛犬たちと戯れています。キチガイのように。

・・・

お袋のことはずっと大事にしてきました。苦労してきた分、残りの人生は平穏に過ごしてほしいと思っています。元気で長生きしてほしいとも。

親父には、「どうぞいつでもくたばってください」という気持ちで関わってきました。

でも今は、まあ、長生きしてくれたらいいんじゃないかなと思っています。

では、今日はこの辺で。
ありがとうござました!