どうも、西祖です。
HQ-MiND 始めていきます。
今日は辛辣な意見とかアドバイスとかお叱りを受けたときに、結構みんな傷つくと思うんですけど、ほとんどの場合は必要以上に傷つかなくていいっていうか、傷つくことすらしなくていいよっていう話をしたいと思うんですよね。
令和の虎の話なんですけど、この話題かなり久しぶりですね。
最近もまた見てるんですけど、見ていて改めて思ったことというか、経営者とか事業オーナーって普通の人とはちょっと違うんですよね。
例えば、ワガママだったりとか、いわゆるADHDみたいな人も多いし、極端に子供っぽいところがあったりとか、あるいは感情の起伏が激しかったりとか、そういう人たちが比較的多い気がしています。
令和の虎なんですけど見てると、志願者さん達が社長さん達に厳しい言葉を浴びせられていて、かなりけちょんけちょんにされてる場面って結構あるんですよ。
それも1つのエンタメで人気の秘密だと思うんですけど、普通なら言われる側の気持ちも考えると、そこまで言わなくていいんじゃないかとか、ちょっと言いすぎなんじゃないかとか、もうちょっと優しくしてもいいのかなとか、もうちょっとソフトに言ったほうが逆に伝わるんじゃないかなとか、思うところは多々ある訳ですよね。
見ていて面白いなと思うのは、その社長さんたちはロジカルだし合理的に考えてて、論理的に説明をする人たちなんだけど、よく観察してると結構好き嫌いでものを言ってるというか、例えばある志願者さんに対しては、いつもは温厚なある社長が結構厳しくけちょんけちょんに言ってたりとか、ある社長さんはいつもは厳しいのに、その志願者さんに対しては結構ソフトだったりとか。
要するに、自分の好き嫌いとか、その時の気分とかで対応が全然違ってたりするんですよね。
これが良いとか悪いとかそういう話じゃなくて、世の中にはそういうタイプの人がいるっていうことなんですよ。
ワガママな人、好き嫌いが激しい人、ちょっと空気が読めない人、子供っぽい人、感情の起伏が激しい人、とかね。
結構いて、そしてそういう人たちが組織のリーダーだとかコミュニティのリーダーを張ってたりするっていうのが、この世の中の現状なのかなという風に思います。
成功者って結構サイコパスっ気があったりとか、ソシオパスっ気があったりすることが多いなんてことが言われると思うんですけど、ホリエモンとか完全にソシオパスでしょって僕は思うんだけど、つまりどういうことかっていうと、そういう世の中でやっぱり叱られることとか、辛辣な意見をもらうこととかもあるんですよ。
一生懸命仕事してたらそういう厳しい言葉を浴びせられることもあるし、挑戦してればいろんな厳しい意見が飛んでくるし、何が言いたいかっていうと、いちいち叱られたり辛辣なレビューをもらって傷ついていたりしたら、身が持たないっていうことなんですよ。
で、そういう人たちの特徴として「言いたいこと言ったら、その後はなんの後腐れもない」っていう特徴も併せ持っているわけですよ。
なんなら後から「ちょっとあれ言いすぎたかな」と思って反省してたりもするんですよ。
なので、言われたことを踏まえて前進するのは、凄くポジティブで良いことだと思うんだけど、傷つくのはちょっと違うかなっていうか、無駄な時間かなと思いますね。
傷つかなくていいんですよね。
それを言った相手の感情とか気分とか、好き嫌いとかそういうものを差し引いて、抽出された建設的な意見やアドバイスだけを真摯に受け止めるというか。
自分のミスとか失敗とかで叱られたんだったら、勿論それも加味して反省した上で次に生かすということですよね。
傷つく人って、自分自身が否定されたような気になってると思うんですよね。
あるいは、「嫌われちゃったかな」っていう気になってたりもするんですよね。
だから、傷つくし引きずるんですよ。
でも、それは大抵間違っています。
言った側はそんなに気にしてないし、なんなら言った側の方が「ちょっと悪いな」と思ってたりするんですね。
なので、この場合は気にしないっていうのが正解だったりします。場面さえ変わればケロッとしてるみたいな。
それぐらいはやっぱり自分のためだし、相手もそういう人間を好みますよ。
僕は少なくともそうですね。
僕もやっぱり厳しいことを言うことは結構ありますけど、昔に比べたらだいぶソフトになってる自覚はあるんだけど、厳しいことを言った後にズルズル引きずってたり、それ以降連絡がちょっと悪くなったりとかっていう人を見ると、あんまり深い関わりはできないなってやっぱり思っちゃうんで、それって損じゃないですか。
なので、もう傷つかない。いちいち気にしないっていうことです。
ちなみに、僕は言う側の気持ちも、言われる側の気持ちも分かってしまうんです。なぜこうなったか分からないです。
だけど、そこは自分なりにバランス取りながら、何とかやっているっていう感じですね。
あと全然関係ない話なんですけど、バランスと言えば、目に見える力と目に見えない力。
この両方の力を信じるバランスが、僕は割とあるのかなと思っていて、目に見える力っていうのは科学的に解明されている力のこと。
目に見えない力っていうのは未解明の力ですよね。
最近よく考えてるんだけど、どっちもわりと信じられます。
前回、遠隔ヒーリングについてちょっと話をして、「詳しい人いたら教えてくれませんか」みたいなメッセージを送ったと思うんですよ。
それで色んな人たちから、色んな話を聞くことができて、凄く参考になったし、感謝してます。
メッセージを送ってくれた人はありがとうございます。
おかげさまでこのテーマについては、とりあえず落としどころを決めました。
自分自身興味があったので、ガッツリ語ろうかなって思ったんだけど、知れば知るほどこのテーマについては触らない方がいいなっていう結論に到達しました。
これが落としどころです。
話を引っ張っといて申し訳ないんだけど、これがいいかなと。
この手のテーマにガッツリ踏み込んでしまうと、それこそいろんな人を傷つけてしまうかなとか、不快な思いさせてしまうかなとか、余計な対立を生んでしまうかなとか、色々考えてそれが分かったので、今回はちょっと触らずにそっとしておこうかなと思います。
オンラインサロンのライブ配信ぐらいでは話すかもしれないけど、表で話すのはやめておきます。
僕の中での目に見えない力は、例えば人間の思い込みの力ってすさまじいと思ってるんですよ。
それは生態学とか脳科学の分野だと思っていて、この分野でも研究がめちゃめちゃ進んでて、日々様々な現象が科学的に説明可能になってる訳ですね。
それこそ学会とかで論文が発表されるレベルの話なんですよ。
一方でそういうレベルじゃなくて、現状ファンタジーレベルの話っていうのも結構たくさんあって、そういうものは、否定はしないけど話半分にしか受け取っていません。
なぜなら、ファンタジーレベルの話というのは、他人の意見がどうこうって言うよりは、自分の中でどう捉えているかっていうのが大事だと思ってるからです。
ファンタジーとかっていうと角が立つな。
有効性が確認された論文すら見つかっていないレベルの話のことですね。
例えば、霊現象と言っておきましょうか。
それこそ信じる信じないっていうのは個人の自由じゃないですか。
好きにしたらいいんですよ。
僕だってご先祖様とか、すでに亡くなってしまった大切な人たちが、どこかで見守ってくれているっていう風に思っているっていうか、信じたいんですよね。
なので、細かいことは全く気にしていない。
ただ自分の心のままに、漠然と信じてるだけなんですよ。
いいじゃないですか。そういうレベルで。
神様の前で手を合わせるし、お墓参りにも行ったりするしね。
いいじゃないですか。個人レベルでそれは。好きにやってるんだからね。
だけど、それを科学的に既に解明されていることかのように説明し、商売に繋げているのはちょっと違うんじゃないかなと。
そうなってくるとちょっと話が変わってくるんじゃないかなって個人的に思ってるんですよ。
このテーマには触れないと言ったので、これ以上の発言は控えておきますが、ただここ数日色々自分なりに調べてたりして、理解したことがあります。
何かって言うと、こんなこと言うと怒られそうですけど、例えばズブズブのスピ系の人だったり、あるいは霊現象がどうとか言っていたり、それに準ずるような言うたらオカルトというか、ファンタジックな話。
そういったものを、さも科学で全て説明できるかのように、科学者でもなければ専門家でもなければ、明らかに不勉強だと見て取れる人たちが、結構目に入ってきたんですよね。
今まで以上に目に入ってきて、そこで分かったのが、単純に彼らってコミュニケーション能力がちょっと足りないというか、欠如してるなと思いました。
例えば、極端な人の例をあげるんですけど、ある遠隔治療家を名乗る人がYou Tubeで動画を上げてたんですよ。
それをたまたま見つけてみたんですけど、その人の説明がびっくりしたんですよね。
まず宇宙がありますよね。
宇宙っていうのはエネルギーでできていると。
ここまではいいんだけど、その宇宙エネルギーの根本っていうのは愛なんですね。ラブなんですよと。
宇宙はつまり愛でできているんだと。
宇宙全体を包んでいるのが愛のエネルギーで、愛のエネルギーがさまざまなものを結びつけていると。
もちろん我々人間もその一つであると。
ご縁があるとかないとかっていうのも、全ては愛のエネルギーで説明ができるんだと。
どんなに距離が離れていたとしても、宇宙空間そのものが愛のシステムでできているので、これはシステムなんですと。
あらがいようのないシステムでてきていると。
全部は1つなので、距離とか関係なくつながっていて、つまり我々は愛に守られている存在なんです。
だから、誰かを強く助けたいと思えば、その思いが素粒子となって、素粒子なので、それが働いてその人にエネルギーとして影響し、何らかの救済となる。
それが癒しにもなるし、治療することもできると。
私はこのシステムに基づいて施術をしているので、どんな人でも治すことができますって言ってるおっさんがいたんですよ。
ツッコミどころ満載なんだけど、内容は置いといて、普通の感覚を持ってる人がこの話を聞いたら怪しいと思うじゃないですか。おかしいって思いますよね。
愛のエネルギーって例えかもしれないですよ。ちょっと抽象度を上げて分かり易く話してるのかもしれないけど、ならそうやって説明した方がいいと思うんですよね。
「愛っていうのはあくまで例えで」っていう説明もないし、「愛のエネルギーなんですね」って言い切っちゃってるんですよ。
そういう話をすると、絶対に怪しいって思われるから、そこには必ず疑問を持たれるから、ここはちゃんと補足しとかなきゃいけないな・・・みたいな配慮も感じられないんですよ。
てか、ないんですよ。
完全に自分の世界だけの言葉とか感覚で喋ってるだけなんですね。
こういう人とはまともにコミュニケーションを取ることはできないし、極端な例だったかもしれないけど、「どっちかって言うとそっちよりだな」っていう人たちって結構多いんで、完全に余計なお世話なんですけど、もうちょっと周りの世界との調和というか、それこそバランスを考えないのかなとは思います。
すいません。最初の話と大分ずれてしまったんですけど、なんかごめんなさい。
ではまた。