#457『劣等生が「俺は大した奴だ」と思い込めていた要因』

2022-03-04 Fri.
 

以下、動画の文字起こしです。

もらってた質問っていうのが、俺のステップメールの中で、これまで出したメルマガとかを紹介してるんだけどそのメルマガの1通に対する感想というか質問が来ていて、そのメルマガの中でおやじについて結構語った長文のメルマガがあったんですよ。

その中で自分がまだ社会人として社会に飛び込んでもいない、独立してもいない、成功も何もしていない、結果も何も出していないうだつが上がらない状態で。

もうなんなら学生ぐらいの頃から、心の声が聞こえていたと。

何があっても誰にバカにされても、もう一人の自分がいて、囁きかけて来ているんだと。

成功しようよと。お金持ちになろうよと。

良い家に住んで、いい車に乗って、いい女積んで、お前でもなれる方法あるんじゃないのと。

お前は現状落ちこぼれだけど、関係ねえよと。見込みあるんじゃないの。あると思うよ。絶対あるよ。頑張れ諦めるな。

っていうようなもう一人の自分の心の声が聞こえてきていて。

で、ずっとそういう世界は諦めきれなかったっていう話を、そのメルマガの中でしてるんだよね。

っていうことだったり、あるいは、俺自身が前にHQ-MINDで言ったんだけど、ちょっと勇気を出して言った発言なんだけど、「鬱になってしまう人の気持ちが正直分かりません」っていうことを言ったんだよね。

なんで鬱になってしまうのか。自分は失敗しても、どんなに「駄目だな俺は」と思うようなことがあっても、自分を嫌いになったりしないんだと。

反省したりとか、自分に腹が立ったりとかすることはあるけど、何があっても俺はダメなやつなんだって自分を責めることがないっていうことを話しているんです。

なので、おそらく鬱病になっちゃう人とは、思考回路が違うんじゃないかっていう話をしたんですよね。

そうやって自分を追い詰めてしまう人は、とことん自分を卑下するというか、本当にダメなやつなんだ、自分が悪いんだっていう風に思っちゃうんじゃないかっていう話をしていて。

気持ちが分からないと言ってるぐらいだから、想像でしかないんだけどね。

自分にはそういう気持ちがないからごめんなさいと。

どうしても鬱病になってしまう人の気持ちを理解してあげられない。

一生懸命考えて想像することはできるけど、それぐらいしかしてあげられないっていう話をどっかでしたんだよね。

要するに、「なぜ根拠のない自信みたいなものが元からあったんですか?」みたいな質問をされてます。

成功する前の状態にもかかわらず、強気でポジティブな心の声は、一体何に起因するのかっていうことですよね。

これにとても興味があるというご意見をいただいております。

ずっとそういうことは考えてきてたんですよ。

もちろん、こういう仕事をしてるから、何でもかんでも言語化したい。

なんなら体系化までしたいって思う人種だから、何でだろうなって思ってきて、結局分かんなかったんだよね。

答えが出なかったんですよ。

とはいえ、今日で答えが出るとは思わないから「こういうことなんじゃないかな」っていう想像レベルの話なんだけど、それならシェアできそう。

みんなどうですか?

そういう強気でポジティブな自信みたいなものが自分にもあるっていう人います?

幼少期からの経験というか考え方。やるべきことを重ねれば結果がでるって感じられたかどうか。
男性
男性

うんうん。

でも、それで言ったら別に幼少期ってしてきた経験って、別にそんなポジティブ思考というか、そういう気持ちを持つ決定的要因みたいなものはないんですよ。

別に普通の家庭だったし、おやじはあんなんだったし。おふくろはいつもお金に困ってたし。

普通に弟はいるけど、別に弟も普通の子だし。俺自身別に多分普通だったと思うんだよね。

だから、ちょっと吃音があったりとかして、掴みどころのない性格だと思われてたのはあったかもしれない。

例えば、中学生の頃とか、本読みの授業がある国語って結構きつくて、「教科書で何ページから見開き1ページちょっと朗読してください」とか言って当てられたりするんだよね、授業中に。

それ結構きついんだよ、吃音者にとって。

どもりたくないし、恥ずかしいの嫌だから、今日はちょっと調子悪いなと思う時に限って、当ててほしくない時に限って当てられるのよ。

  • 「何でこんな時に限って、しかも俺を当ててくんだよ」
  • 「しかも、あんたさ、俺のことなんかちょっとおかしいなって分かってんじゃないの?」
  • 「何でそれなのに、俺を当ててくるんだろう?」

みたいな。

で、どんな態度をとってたかって言うと、「今日調子悪いからパス」とか「今日気分乗らないから、もう読みたくないんだけど」って言ったりとかして、不良じゃないのにたまにそういうことを言ったりするやつだったんですよ。

分かりますか?

なんかヤンキーがそれ言うなら分かるじゃん。

別にヤンキーって訳でもないのに急にそんな態度を取ったりするんで、周りはポカーンとしてるんですよね。

「こいつって実はやばいやつかも」みたいな。

こいつって結構キレさせたらちょっと怖いやつかもとか。

そんな風に思われてたっていうのは、自分でも分かってますよね。

でも普段は全然そんなことないし、穏やかっていうか温厚だから、なんで急にそんなことになるんだろうみたいな。

っていうふうには見られてたのはありますね。

だから、強制的にそれをせざるを得なかった状況が功を奏したのは、もしかしたらあるかもしれないですね。

そういうキャラじゃないのに、そういう風に振る舞ってしまうことを余儀なくされて、それによって「こんなに普通な俺でも周りって、驚いてみたりとか、少し何だろう・・・それによって一目置かれるみたいなことはないんだけどね。

急に機嫌が悪くなって、急にちょっとキレたっぽい言動するやつとかは、ちょっとミステリアスというか、なんかそういうのがあるじゃないですか。子供の頃って。

そんな風に見られたりもするんだとか。

ちょっとこわがられたりとか、それは今考えたら格好悪いんだけど、当時はそれが1つの言い方はおかしいけど、妙な成功体験になってたのかなとか。

だから、強気で振る舞えば「俺は自信があるんだ」って言って・・・いや、ないけど「あるんだ」みたいな感じで、思って思って思い込ませて、無理やりそういう経験を積んでいくっていうのは、やっぱり1つあったのかもしれないですね。

そこで変に成功体験みたいなものを積んじゃったんだよ。

そんな態度取られたら先生も「は?」とかって言いつつも「じゃあ、いいや。別のやつ」みたいな。

って感じで、回避できちゃったりしたもんだから、「あー。思い通りになるんだ」って思ったのはあったのかもしれないですね。

より原体験に近い経験をシェアすると、そういうことかななんて思ったりはしました。

まだあるんですよ。

・・・

あとはもう1つ思い出せるエピソードとしたら中学受験。

俺はロクに勉強してなくて、学校の成績ってめちゃくちゃ悪かったんだよね。

それで高校受験で公立と私立一個ずつ受けるんだけど、公立高校の受験に行った日のことをよく覚えていて、ちょうどその年に花粉症になったんですよ。

初めての花粉症。

花粉症っていうものが、そんなにまだメジャーでもなかった時代。

薬とかもあったのかもしれないけど、今ほど確立されていなくて、薬を飲むっていう発想もなかったから、もうずっと鼻グジュグジュで、常に目もかゆいし、涙が出るし、ものすごくつらい思いをしてたんですよ。

3月末がピークだから、受験ってちょうどそれぐらいですよね。

それで試験会場まで行きました。始まりました。

でも、基本的に馬鹿だから、テストの問題も解けないし、もうそういう状態だから体がね。

「これはもう駄目だわ」と思って、二限目の途中ぐらいかな。

もう試験を放棄して帰ったんですよ。

「いいや。もう帰ろう」と思って。

一緒に受験受けに来てた同級生に「もう帰るわ」って言ったら「えっ?大丈夫?」「どういうこと?」「これ受験だよ?」「学校の授業じゃないんだよ?」みたいなことを言われたのも覚えてますね。

でも、どうしようもないし、もう真剣に受けたって受かる気しないから、私立のバカ学校受けるから、そこ落ちることはないでしょう、みたいな話をして帰ったことを覚えてるんですよ。

もちろん不合格だし、親にはそんなことは言えなかったから黙ってて、それでも私立にはそのまま合格して入って、何とかなってんですよね。

何とかなってなくて、そうなってるのかもしれないけど。

俺的には、別に受験を途中で帰っても、別にこの世の終わりでも何でもなかったし、公立高校を落ちても別に想定内だったから何ともなかったし。

そういう意味で、大人の世界っていうか社会を、ちょっとなめてたのかもしれないですね。

「何とでもなるんだ」っていう小さい経験を何度か積み重ねてきて、それを自分の中に蓄積していってたのかもしれないですね。

それも理由としてあるのかな。

だから、世の中別になんとでもなる。

「どうにでもなるのかな」っていう気持ちはずっと持ってましたけどね。

っていうのが、1つかなと原因として。

これは参考にあるかどうか全然分かんないですよ。

参考にならないでしょうね。

だって、再現性ないんだから。

俺はこういう風な幼少期から学生時代にかけて、そういう経験をしてきましたよって話をただしてるだけだから、参考にも何にもならないかもしれないけど、それは1つあるのかなと思いますけどね。

やってみないと分からないことが多過ぎますね。
男性
男性

まあ、そうだよね。

どんなに失敗しても致命傷じゃなければ、ちゃんと受け入れ先があるというか、社会はちゃんと受け止めてくれるんだっていう、妙な安心感は持ってたかもしれないですね。

別に学校の成績が悪くても、落ちこぼれでも、吃音者でも、高校受験失敗しようが、そんなダメなやつでもしっかり社会っていうのはちゃんと受け止めてくれる。

そこまで冷たくない。

どこにも受け入れ先がないみたいなことはなくて・・・っていうのを何となく思ってたっていうのは、結構大きいかもしれないですね。

どんなに失敗しても間違っても、時間がたてばほとぼりが覚めるし、ちゃんと受け入れてくれるところはどっかにあるし、気楽に生きていったらいいんじゃないみたいな気持ちはありましたけどね。

かといって、じゃあ将来は明るかったかっていうとそんなことはないですよ。

当時はもちろんまだ子供だし、情報もないし、「俺の将来どうなるんだろう?今はいいけど、このままマジでどうなっていくんだろう?」っていう不安はむちゃくちゃありましたけどね。

で、もう1つがかなりデカかったと思うんだけど、友達の存在かなって今思ってて。

当時かなり親しい付き合いをしてた、高校ぐらいの時かな。

中学生ぐらいの時からの友達で、高校になってからもずっと付き合いがあって、そいつが凄いおおぼら吹きだったんですよ。

今考えるとね。

よく言えばポジティブ。悪く言えば、ええかっこしというか。

本当に、かっこつけたことばっかり言うやつだったんだよね。

俺は将来こうなりたいし、こうなると思ってるし、俺は全然できると思ってるっていうことを常に言ってるやつだったんですよ。

当時の俺からすると、同級生のそいつがすごいかっこよく映ってたんですよね。

中村君って言うんだけどね。

中村君が俺の中ではかっこよくて、頼もしくて、こいつと友達なんだって思うと、ちょっと誇らしくなるぐらいの感じでした。

「虎の意を刈るキツネ」とまでは言わないけど、そいつといるとなんか自分までちょっと偉くなったというか強くなった気になれる。そんなやつだったんですよ。

他にも、友達がいて、みんなポジティブだったんですよね。

もしかすると中村君に影響されてたのかもしれないけど、なんか個性的で前向きだったんですよ。

俺のことも大事にしてくれたし。

だから、そういうやつらといることによって、その環境が「俺もできるんだ」「こいつらと同じレベルで話せてる」「こいつらと同じ視点で世界を見れてる俺はきっとできるやつなんだ」みたいな。

そういうセルフイメージが育っていったような気がします。

その友達の界隈の1人がショウ君って言うんだけど、そいつもギタリストを目指していて、個性的で心がもろい部分はあったけど、いつも前向きで物知りでとか。そういう面白いやつらに囲まれてたんですよね。

ここでピンと来た人もいるかもしれないけど、中村君とショウ君っていうね。

ナカムラショウさんは、そこから取ってきてるんだけどね。

ただ中村君とショウくんとは、やっぱり大人になって社会人になって、それぞれ別の道を歩むようになって、何となく反りが合わなくなってきて、何となく口喧嘩するようなことも増えてきて、「あ。合わないんだな」っていうことを積み重ねてきて、付き合いがなくなっちゃったんですよね。

ショウ君に関しては、うつ病というか統合失調症になっちゃったんで、もう何年も顔を見てないですね。

まあそれはちょっと余談なんだけど、とにかく言ったら環境だと思うんですよね。

あと、中村君の家にたくさん本があったんですよ。

自己啓発的な本なのかな。

彼のお父さんが画家で、そのすごく物知りで、色んな本を持っていて、彼の家に行くとその本が溢れてたから。

そういう偉業をなした先人たちの知恵みたいなものが、彼の家に行くとたくさんあったんですよ。

それを何となくパラパラ読みながら、「でも、俺これ共感できるわ」「これ言ってること分かるわ」って子供心ながらに思った記憶があります。

そういうのも、多分関係してると思います。

要するに、「こんなすごい人たちに共感できる俺って、やっぱなんか持ってんじゃねえか」って思ってましたね。

だから、主にこの2つの要素かなと思いますね。

変な意味で偶然にも、妙な成功体験を積んできてしまったっていうこと。

それによって、無茶しても何とかなるんだと。

失敗しても間違っても、社会はなんだかんだ受け止めてくれるんだ。

自分の居場所ってどこかしらあるんだっていうことが分かって、なんとなく社会に対する安心感と言うか。

昔こういう表現をしたことがあるんだけど、子供って塀の上からでも、親が手を広げて「おいで」って言えば、自分の背丈よりも高い塀の上からでも平気で親の胸に飛び込んでいけるっていうのがあるじゃないですか。

あんな感じなんですよね。

多分あれって100%親を信用してないとできないんですよ。

本当に受け止めてくれるのかなって疑いがあったら、自分の背丈よりも高いところから、平気で飛び込んで行かないじゃん。

でも、お父さんは必ず自分を受け止めてくれるっていう100%の安心があるから、ダイブできると思うんですよね。

僕は社会に対して同じような感覚があって、どんなに間違っても飛び込んだら受け止めてくれないことはないと思ってるんですよ。

そういう安心感みたいなものは養われたのかなと思いますね。

それが1つ。

2つ目がすげーポジティブな友達という環境ですよね。

その友達との付き合いがあることで、

「俺はこんなやつらと友達なんだ」
「しかも、こんな前向きで凄いやつらで、これから社会人になって活躍していくんだろうなと思うようなやつらが友達で、そいつらが俺を認めてくれてる」

みたいなのがやっぱり自信になった。

だから、俺はそこらのたばこ吸ってバイク乗り回して、ワチャワチャやってるヤンキー共とは違うんだみたいな風に思ってましたけどね。

だから、第2に友達。要は人付き合い。あるいは環境・・・っていうとこですかね。

あとは本を読んだりとかして、その本の著者の考えにすごく共感できたっていうこと。

「この人の考えに共感できる俺だから、俺って駄目な人間じゃないでしょ」っていう風な思い込み。

今のところ、これが考えうる2つの要因かなという風には思いますけどね。

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