どうも、Aunこと西祖です。
今日は少しの重めの話になると思います。
少し前のことなんですけど僕のここ五年来くらいの友人がいるんですけど、このHQ-MINDも聞いてくれてる友人です。
その友人と話す機会があってもう一年ぐらい会ってないですけど、何か月ぶりかに電話で話す機会があったんですけど、それで話しててあることを打ち明けられたんですよ。
その内容がとても衝撃的だったですが、何かというとその人パートナーがいるんですね。奥さんではないけど、何て言うか事実婚みたいなね。そんな感じのパートナーですよね。そのパートナーに大きな病気が発覚しちゃって余命宣告をされちゃった言ってるんですね。
どのくらい生きられるのかっていうと半年ぐらいだとお医者さんには言われていて、持って半年ぐらいじゃないかっていう話をされていて、余命宣告を受けてから1か月ぐらい時間が立ってるってことなんですよ。
それでまだ全然気持ちの整理が付かないと。今は毎日病院に行ってるし、とにかくできるだけ長く一緒にいてあげられるように努力をしていると。それしかできないと思うし、そのあとのことなんかはほとんど考えられないということでした。
ふとした瞬間に半年後こいつがいなくなった後の世界のことを考えたりはするんだけど、ちょっとイメージできないっていうから、今はもうとにかく毎日忙しくしてないと不安で押しつぶされそうになるんだっていうような話を聞いたんですよね。
かける言葉がないってホントこのことだなと思いましたね。だって僕経験したことないから何を言っても軽いなって思うんですよ。ただ僕に打ち明けたってことは何かしら言葉が欲しかったのかなと思いながら、僕にはその経験がないのでどう言ってあげたらいいかも分からなかったです。
その時はとにかく話を聞いてあげてたんですよ。特に僕からこういう風に考えた方がいいよなんていうこともなくですね。まあ、思いつき付きもしないしね。それからずっと僕もそのこと考えてるんですけど、どんな言葉を投げかければ彼の気持ちは楽になるのか。
彼の気持ちが前向きな気持ちになるそのお手伝いができるのかなっていうことをずっと考えてるんですよ。
いまだその答えて出てこないし、これからも出てこないのかもしれないけど、そういうことを考えてる中で、僕もいろんなことを思い出してきたんですね。
彼のように大切な人が余命宣告をされてしまう。最愛の相手っていうヘビーな経験がないにしろ、大事にしていた愛犬や大好きだったお爺ちゃんや身近に生活をしてきたおばあちゃんの死に立ちだったことはあるんですね。
その他に近しい人が亡くなったってことは経験をしていますけど、1番自分の中で記憶に残ってる死というものについて思い出してたんですよ。
最初に思い出したのが中学校1年生が2年生ぐらいの時の愛犬が死んだときのこと思い出したんですね。田舎ですからまだ外で飼うっていうのが当たり前の文化でね。しかも迷い犬だったし、雑種ですからもう適当なんですよ。
本当に健康診断とかワクチンとかなんか予防接種的なことも多分やってなかったですね。そんな感じでした。周りも全部そんな感じで、そのワンちゃんが病気しちゃって、病気をしてるんだけどでも、適切な治療も与えてあげることもできないまま結局手遅れになっちゃって死んだんですけど可愛がってたんですよ。
凄く家族全員みんなでかわいがっていたんだけど、知識もリテラシーも全くなかったから犬を飼うのにふさわしい家族じゃなかったですね。うちはね。まあそれは置いといて。
そのワンちゃんが体調を崩して食欲もなくなって、大好きな散歩もなかなか腰が重いとなって「もうこの子はそろそろ死ぬのかな」って思い始めてくると、ずっとその子のことを考えてるんですよ。
学校に行ってても、友達と遊んでてもその子のことを考えていて、ちょっと早く帰ってあげようとか学校に行ってる時は今どうしてるかなとか。もしかしたら苦しんでたりしないかなとかね。
そんなことばっか考えてるんですよね。
結局ねそのまま亡くなっちゃって凄い落ち込んでたんですけど・・・っていうのをまず思い出しました。
次に思い出したのが18歳が19歳ぐらい時です。父方のお爺ちゃんが亡くなった時のことを思い出して、僕父方のお爺ちゃん大好きだったんですよね。本当子供の頃からたくさん孫がいる中、僕だけ特別可愛がってくれた気がします。
「幸平、幸平」って言って、しょっちゅう色んなとこ連れていって貰ったし、お小遣いも貰ったり、本当に特別扱いされて、他の孫にちょっと嫉妬されるぐらいで可愛がって貰っていました。
僕はそんなお爺ちゃんが大好きでした。
とても尊敬できる人でもあったし、うち親父と違って尊敬できる部分がいっぱいある人でしたから。ずっと元気でいて欲しかったですけど、認知症になってそれで病院に入ってさらにそれが加速して、途中から悪性が発覚してそこからすごく早かったですね。
で、もう長くないだろうという話になる訳ですよね。その話を受けてお爺ちゃん死ぬんだって思った瞬間ぐらいから、またずっとお爺ちゃんのこと考えてるんですね。
寝ても覚めてもずっと考えてるんですよね。今頃病院でまだ起きてる時間かなとか。起きてたとしたらこの時間とかって病院凄い寂しいだろうなとか。今度行ってあげられるかなとか。
そんなことばかり考えてるんですよ。
寝ても覚めてもずっとお爺ちゃんのことを考えているんですよね。お爺ちゃんに遊びに連れていって貰ったこととか、何か買ってもらえたこととか、その思い出がずっと呼び起こされて・・・っていうことを思い出しました。
で、次に思い出したのが今から20年ちょっと前ぐらいだと思うんだけど、10年以上前かな、母方のお婆ちゃんが死んだ時の事でだったんですけど、母方の祖母が本当に口は悪いとんでもねえクソババアだったんですよ。
育ちもやってきた仕事も何もかも多分悪かったでしょうね。気性が荒いし、口が悪いし、性格は悪いしで、同居はしてたんだけど、小学校の高学年ぐらいからずっと中学校ぐらいまで本当嫌でした。大嫌いでした。
友達と遊びに連れてくるたびに恥をかいてました。余計なこと言ったりやったりするからね。それで何度も何度も毎日喧嘩して僕の弟も大嫌いだったし、お袋とも仲が良くなかったし、親父が一応我慢して仲裁役とかいつもしてたんだけど、大嫌いでした。
「死ね」とか「出ていけ」って言葉が飛び交ってまして。そんなことは毎日言っていたような気がします。「本当に本当に早く死なねえかな、このババア」って思ってたし、なんでこんなババアの面倒を見なきゃいけないだろうと思ってたんですよね。
本当にいつ死ぬだろうっていうぐらい大嫌いでした。実際死んだらショックなんだろうけど、喧嘩した時のカッとなった気持ちだと、「早く死ね」そんな感じでした(苦笑)
そのお婆ちゃんも歳取ってやっぱり認知症になったんですよね。
軽い認知症になって老人保健施設に入所しそれから程なくして容体を悪くして、病院に移ったんですよ。病院に移ってから終わっていくそのスピードがまた早くて大体1年から1年半ぐらい入院してたと思うんですけど、だんだんと認知症も進行してきて記憶がなくなってきて、誰が誰だか分からなくなっちゃって、自分の娘のことも時々「あんた誰?」って感じになってたみたいですね。
ただ僕のことだけは覚えてて、いつもおふくろが見舞いに行っても「幸平、幸平」ってずっと僕のことを言ってたらしいんですよね。
それで僕もたまに見舞いに行ったんですけど、何でそういうことになってるのかっていうと、子供の頃は学生時代とかは大嫌いだったけど、ただ社会人になって実家を離れて、自分で稼ぐようになって、たまの休みの日に帰るんですよ。
そしたら凄い優しいんですよね。喜んでくれるしね。クソババアだったって言ってもいつも酷い人なわけじゃないですよ。基本的に穏やかで優しいですよ。でも何かスイッチが入るともうとんでもねえクソになるんですけど、家を離れていつも一緒だったのが、たまにしか会わなくなって、なんか心もほぐれて、そして僕も自分でお金稼ぐだったから、たまに実家に帰った時には1万円ぐらい包んでお小遣い上げてたりして、すごい喜んでくれました。
僕の休みがもう終わって「じゃあ帰るよ」ってなったらもう結構仕事もきつかったので休みの終わりがけになると凄いヘコんでたんですけど、そんな僕の状況を察知してお婆ちゃんがいつも玄関先まで送ってくれて、一言二言を励ますような言葉をかけてくれてね。
「また来なさい」と言って「じゃまた来るよ」と言ってバイバイってしてたんですね。そういうのがあって何か僕のことは認知症になってもずっと覚えててくれたみたいです。
症状がもうだいぶ悪化して「これ長くないよ」って話を聞いて、それからやっぱりずっと婆ちゃんのことを考えるようになったんですよ。
あれだけ大嫌いだったとんでもねえクソババのことをずっと考えてるんですよね。それこそ寝ても覚めてもですよ。仕事してる間もずっと考えてました。
なんか認知症の患者の方が多い病棟だったので、そういうとこに囲まれてつらくないかなとか。でもお婆ちゃん自身も認知症だからあんまりわかんないのかなとかね。
看護師さんとかに酷いやついたりしないのかなとかね。なんかそういうこと考えたりとか、次にはいつ行こうかなとか、そんなことばっかりグルグル考えてるわけです。
やっぱそういうことを思い出しました。
で、何が言いたいかって言うと人間関係って時間制限が発動するとすごくその人のことを考えるようになるんですよね。
そりゃ去っていくっていうことが分かってる訳ですから悲しいけど、これまでになかったほどその人のことばかり考えてるんですよ。
これまでその人のことを考えていなかった時間の方が当然長い訳ですから。時間制限が発動する前はね。だって犬に関しても学校に行ってる時とか友達と遊んでいる時とか寝てる時なんか考えてなかった訳ですからね。
じいちゃんに関してもそうだし、ばあちゃんに関してはもう死ねって思ってたぐらいですから。だけど、これまでの空白の時間をまるで取り戻すかのように時限が発動した瞬間に、その人のことばかり考えてるんですよ。
ずっとその人のこと考えてるんですよね。
果たしてその人が生きてた時間と時限が発動して最期を迎えるその時までの時間どっちがその人のことを考えてるかなって思った時に、「いや今なんじゃねえか」って思うぐらい長時間その人のことを考えているんです。
これはあちょっと言葉間違えると不謹慎かもしれませんが、ある意味贅沢な時間とも言えなくもないかなと思いました。
当然本人にしてみればそんなこと言ってる心境じゃないと思いますよ。とにかくこれからこれからのことを考えると胸が苦しいし、心が痛い状況だと思います。
そういう気持ちが先行してるし、全て自分の心支配してるぐらいに思えるかもしれないんだけど、何度も言うように周りにいる人間はその人のことしか考えてないんですよね。
起きて寝るまでの間ずっとその人のこと考えてる。何なら夢の中でも考えてますよ。24時間その人のこと考えてますよね。
その人と時間を共に今を過ごしているっていうことを意識してね。辛いかもしれないけど日々を過ごしていくっていうのはとても意味があることなんじゃないかなという風に思います。
その人がいなくなった後もやっぱりその人のことを忘れない訳だし、事あるごとに思い出すでしょう。今も僕が中学1年生の時に飼ってた愛犬のことを思い出すようにお爺ちゃんのことを思い出すようにね。
時限が発動してから自分がどうその人のことを考えたか。どんな風にその人のことを見て、その時間を使ったか。その人に対する時間を使ったかっていう、その意識の仕方や気持ちの面がうまく言えないだけど、その人がいなくなった後も自分にとってすごく意味のある財産というか副産物になっていくのかななんて思ってね。
だからこれって時限が発動したからこそ行き着ける境地なのかなとも思うしね。だからって言って前向きに考えるなんて言えないですよ。そんな軽いことではないってことはみんな分かってることです。僕も十分かってます。
だけど、事実として誰よりもこれまで付き合ってきた中で1番その人のことを考えてると思うんですよ。
だから、その時間を凄く大切にしようっていう、その意識だけで相手も多少救われる部分があると思うし、これからも生きていく自分にとっても、とても意味のある時間になるのかなと思います。
結論何が言いたいのかって言われるとちょっと困るんだけど、そういうことを今回の出来事から感じています。
もっと色んな心境の変化や感じることがこれからもあるのかもしれないけど、また引き続き彼とは連絡を取り合って、できれば彼の心の支えの一部になればいいのかなと思います。
ということ今回は以上にしたいと思います。
ありがとうございました。
#323『命の時限が発動してしまったとき』