どうも、Aunこと西祖です。
HQ-MIND始めていきます。
この世の中で最も辛辣な悪口ってなんですか?
あなたにとっての辛辣な悪口。
最も不名誉な評価と言ってもいいかもしれません。
これを言われたら本当にショックだし、立ち直れないぐらい落ち込むし、言った相手のことがすごく許せないっていうような悪口ってあると思うんですけど、何ですかね。
例えば「頭が悪い」はどうですか?
人によっては頭に来るかもしれないですね。
他には、「学歴コンプレックス」とか「要領が悪い」って昔から言われてるような人が「頭が悪いなお前」って言われたらカチンとくるかもしれない。
僕は頭が悪いって言われてもそんなに堪えないと言うか、ある意味「まあ、頭は良くないと思うけど」って自分で思ってるから、別に何も感じないですね。
あとは不器用とかどうですかね。
僕は不器用な方じゃないんで、不器用なんて言われても「何言ってんだこいつ?」って思うぐらいです。
「俺をそういう評価をしてしまう、こいつが相当頭が不器用なんだな」って思うぐらいで僕は何も感じないですね。
じゃあ、低学歴とかどうですか。
僕はこれも何も感じないですね。
でも、低学歴と言われてカチンとなる人もいると思います。
あとは甲斐性がないとかですかね。
バカとかアホとかそういう子供みたいな悪口は置いといて、何かと色々あると思うんですよね。
これだけは許せないって言うね。
でも多分誰が言われてもショックで、受け入れがたく一瞬考え込んでしまうような悪口があると思います。
悪口って言っていいのか、不名誉な評価と言っていいのか。
それは何かと言うと「偽善者」って言葉です。
偽善者って言葉は割と簡単に口にする言葉だと思うんですよね。
だけど、これほど言われてショッキングな言葉はないのかなと思います。
例えば、自分の旦那を人に紹介する時に、
「うちの旦那はすごく不器用で、頭の回転も悪くて、甲斐性もなくて、学歴もないし、顔もあんまりよくないし、稼ぎも少ないし」とか。
この時点で、相当な悪口だと思うけど、ここまでは何とか許せても、「あと偽善者だし・・・」ってくれば聞いてる方としては一瞬時が止まりません?
「え?偽善者?それちょっと笑えなくない?」みたいなね。
あとは、自分の子供を紹介する時に、
「うちの子はちょっと発達障害で、他の子よりも勉強もゆっくりなペースで、学校にも行ってないし、フリースクールには行ってるけど、勉強も1年ぐらい遅れてるし、ゲームが大好きでゲームばっかりしてるし、基本引きこもりだし、(これうちの息子のことなんですけどね)・・・で最後に「あとは偽善者だし・・・」って言ったらどう思います?
「あなたの子供偽善者なの?」「それはちょっと深刻なんじゃない?」ってなると思うんですよね。
自分の知り合いとか身内をさして「偽善者」ってなかなか言わないですよね。
ましてや、自己紹介をする時に、
「私は〇〇学校を卒業し、〇〇会社に就職し、こういう人生を歩んできました。私の性格はこーであーで優しいといつも評価を受けていて、気が利くし、いつも人のことを考えて先回りできるし、仕事のポテンシャルも高いと自分で自負しているし、そしてまぁ偽善者の面はありますけど・・・」
「ちょ、待って。偽善者?」って聞いている方としてはなりますよね。
面接官としては聞き逃せない言葉だと思うんですけど、それだけ偽善者って言葉は特別なんですよ。
なぜこんなに特別なのか?
全員に共通して聞き捨てならない、言われたらショックで深く考え込んでしまう。
嘘つき呼ばわりされるよりも、偽善者って言われた方がショックだと思うんですよね。
なんでみんな同じようにそういう風に思ってしまうのか?
それはみんな偽善者だからです。
つまり図星だってことです。
誤解を恐れずに言ってますけど、ここからフォローアップっていうか説明していきたいんですけど、もちろんこれを話してる僕もおそらく偽善者です。
人間の行動って主に3つぐらいに分けられると思うんですよ。
1つ目。実際の行動とその事実。
2つ目。何を口にしたか?発した言葉。
3つ目。何を心で思ったか?
この3つは三位一体です。
何も思わないのに、いきなり行動が来たりはしませんね。
何も思わないのに、言葉がついてきたりしませんよね。
全ては「思うことから」始まってるんですよ。
仏教とかだと「心でどう思ってるか」を何より重要視してるみたいですけど、ただ現実世界や法律の世界では「何をやったか(事実)」が重要視されるじゃないですか。
それによって裁かれるのか、裁かれないのかが決まる。
あるいは、道徳とか倫理の世界では「何を言ったか」が大事です。言っちゃいけないことを言った場合は、人々の評価として跳ね返ってきますよね。
心の中で思った事って、ただ思っただけだったら、誰にも迷惑をかけないし、自分の心の内に留めておけば、それで済むわけですよ。
だけど、言葉では良いこと言ってる。すごくいい行動をしている。
例えば、僕は今音声コンテンツを通して、あなたに学びを提供しているつもりですけど、これは僕の行動です。
言葉では、それが伝わるように、僕なりに言葉を尽くして言ってるつもりです。
だけど、心の中で「お前らみたいな低脳で無能な奴らには分からないだろうけどな」と思いながら、言ってたらどう思います?
偽善者ですよね。
もちろん、そんな事は思わないですよ。
「理解してくれるかな?理解してくれたらいいなぁ。もっと言葉を尽くさないといけないな。あの時のコンテンツはあれじゃわからなかったかなー」とか、色々考えながら喋ってます。
だけど、僕は本当にこれを聞いてる人の心の平和や人生においての成功とか幸福とかを100%の気持ちで望んで発信してるかって言うと、僕はとてもイエスとは言えないです。
やっぱり自分の身が可愛いし、自分の身内や近しい人達の幸せを第一に願ってしまうしね。
僕が言葉で「みんなのために」といくら言っても、そしてそれを裏付けるような質の高いコンテンツを提供していたとしても、心の中ではそんなに対して思ってなかったりするわけです。
口や行動でやっているのと、同等の気持ちがあるかって言うと・・・正直な話。
「そこまではないんじゃないかな」って思います。
つまり偽善って言われても仕方ないんですよね。
ってとこまで考えたら「俺って偽善者なのかなあ」なんて気持ちが心のどこかにあるんですよ。
心のどこかにある状態で誰かに「あなた良い事言ってるけど、実は偽善者でしょう」って言われたら「なんだと?それは聞き捨てならんな」ってなるわけですよ。過剰に反応してしまうわけです。
なぜか?
それ図星だからです。
1ミリもそんなこと思ってなかったら「何言ってんのこいつ?」って思うだけなんです。
さっき言いました。
「あなた不器用ですね」って僕が言われたら、自分のことを不器用だなんてこれっぽっちも思ってないんで、「僕のこと不器用だって評価するぐらいこの人の頭が不器用なんだな」って思うだけだって言いましたね。
偽善者って言われても、僕は自分のことを偽善者なんて1ミリも思ってなかったら「何言ってんだろこの人」「頭いっちゃってるなー」って思うだけなんですよ。
だけど、心のどこかで思い当たる節がなんとなくあるから、過剰に反応してしまうんですよね。
偽善という言葉には、人間の闇が潜んでるのかなと思います。
ダークサイドなんて言ったりしますけど、そんなに僕は完璧にできてないわけですよね。
理想は「心も言葉も行動も一致していること」だと思いますよ。
だけど、それが出来ないからみんな葛藤してるし、ちょっと大きな話になるかもしれないけど、人生を通してそれを克服しようとする人もいるかもしれないし、どこかでそれに気づく人もいるかもしれないし、何らかの自分の答えを見つける人もいるかもしれないしね。
人それぞれ辿る道は違うし、出す答えも違うのかもしれないけど、そういう不完全な自分と、醜い心の側面を持った自分とともに歩んでるっていう自覚を持つだけで、だいぶ心が軽くなると思います。
「偽善者なんだ」って認めることによって、また生き方のアプローチが変わってくるなって最近思ってるんですよね。
はっきりと「こう変わりますよ」っていうのは、僕もまだ道半ばも半ば。
本当に一歩踏み出したぐらいの所だと思うんで、それを示す言葉を持ってないですけど、ただ現時点で言えるのはそれを認めるだけで心が楽になるってことです。
認めたことによって、「じゃあ一歩でも理想の自分に近づくためにはどうすればいいか?」って考えることができるって事ですね。
客観的に自分を見ることができるようにもなるし、一歩も二歩も人として前に進むことができるんですよね。
これは人間力という観点からすると、かなり大きな前進だと思うんですね。
だから、それに気づけた事が、最近の僕のクリティカルヒットだったかなと思うところかなと。
そんなふうに思ったりなんかしてます。
ということで、今日の話は以上。
ありがとうございました。