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#366『カッコつけてるのにカッコ悪い人。カッコ悪そうなのにカッコいい人。その決定的違いとは。』

2021-04-19 Mon.

どうも、Aun こと西祖です。

HQ-MIND始めていきます。

今日は「かっこ悪そうでかっこいい人と、かっこ良さそうでかっこ悪い人。この両者の違い」という話をしていきます。

同時に得をしているようで、実は大損こいてる人。損しているようで実はかなり得をしている人。この違いの話にもなります。

世の中こういう人はいると思うんですけど、すごいかっこつけてるんだけど、すごいかっこ悪いよな。残念だよなっていう人もいれば、なんかかっこ悪いんだけど、かっこいいんだよなっていう人もいると思うんですけど、その両者を分ける要素は3つあると思っています。

他にも本当はいっぱいあるんだろうけど、特に今から言うこの3つが際立って見え隠れするなと思ってます。

1つ目。謝れるか謝れないかです。

謝るって言うほど簡単じゃないじゃないですか。

10:0だったら、謝るしか道はないですよね。10:0なのに謝らないって人として最低です。

だけど、人間関係のトラブルってなかなか10:0ってないんですよ。

いろんな複雑な要素が絡み合って、トラブルに発展してるから、6:4とか7:3とか9:1とかの割合になってくるんです。交通事故だって10:0ってなかなかないじゃないですか。

それと一緒で人間関係のトラブルは10:0ってなかなかないんですよね。

たとえ自分に非があっても、非がない部分にスポットを当てて、人はそこを主張したがるんですよ。自分に非がない部分って絶対謝りたくないんです。非がある部分がどれだけでかかろうが、そこは置いといて、非がない部分をクローズアップして、なんとかそれを免罪符にしたがるのが人だと思います。

だから、謝るって実はそんなに簡単じゃないんです。あと立場とかもあるじゃないですか。

自分の後輩とか部下とかには、なかなか素直に謝れないと思います。

自分の子供とかに対してもそうですね。

でも、相手とか立場とか関係なく、自分に非がある以上その非をまず先に認めることができる人。こういう人を見ると「かっこいいなー」って思わずにはいられないですよね。

そして、2つ目は「素直か素直じゃないか」です。

1つ目の「謝れるか謝れないか」にも通ずるんだけど、あえて分けました。

素直になるのも簡単なことではなくて、例えばすごい人がいたとしましょう。

自分に持ってない能力を持っている人ですね。その人がすごいってことは分かるんですよ。だけど、認められるかどうかもやっぱり難しくて、なぜなら人間って好き嫌いってあるじゃないですか。

嫌いな人のことを素直に「すごい」って認めるってすごい難しいんですよね。

バイアスもかかるしね。

でも、「あいつはこういうとこはダメだから」と、勝手にダメな部分に着目したりするし、逆に好きな人のことだったら、いくらでも褒めれるし、尊敬できるし、讃えられるんだけど、でもなかなかそれは難しいわけですよね。

あるいは嫌いじゃなくても、自分のライバルとか同僚とかが自分よりも成果を上げたり能力を伸ばしてきたりすると、そこはなかなか悔しくて素直には認められないっていうこともあると思います。

だけど、それは置いといて、事実こいつはここがすごいんだから、ここが素晴らしいんだからと、そこをちゃんと認められるのは、僕はすごい気高い能力だと思うし、そういう能力を持ってる人を見るとすごい尊敬しますし、魅力的だなって感じますね。

あとは感情表現が素直にできる人も魅力的だなと思います。嬉しいことを素直に嬉しいと表現できる人。

感動したら素直に「感動した」と、何らかの形で表現できる人。こういう素直さも僕は個人的に大好きです。

最後の3つ目。

これも他の2つに通じるんだけど「潔いかそうでないか」というところです。

潔いというのはネットで調べると、こういうことが書かれてます。

潔いとは、思い切りがよくてさっぱりしている。澄み切った感じで清々しい。特に態度が未練げもなくさっぱりしている。

という事です。

この潔いの反対語対義語は「未練がましい」とか「女々しい」とか「往生際が悪い」とか、そういうところになってくるんだと思います。

時と場合によって変わってくるんだけど、諦めが悪い奴って僕は基本的に好きなんですけど、例えばもう流れは完全にこっちにないのに、その女の子に振られたとして、相手の子はもう完全に自分に気がないのにも関わらず、女々しく未練がましく往生際悪くアプローチし続けるみたいなね。

そういうことを言うのかな。

とにかく、そこに爽やかさがないと言うか清々しさがないし、思い切りのよさもないので、これが「潔い」の反対になるのかなと思います。

「謝れるか謝れないか」「素直か素直じゃないか」「潔いかそうでないか」。今挙げたこの3つは言い方や言葉を変えただけで、同じような意味ともとれますけど、多少ニュアンスが違うので、一応3つに分けてシェアしました。

で、事例をいくつかあげたいんですよね。

まずカッコ悪い事例なんですけど、1つは最近いつも登場する残念な僕の旧友のIくんですね。

彼がかっこ悪いんですよね。かっこつけてんだけど、みんなからかっこいいって思われたいっていうことを誰よりも強く求めているのに、すごいカッコ悪いんですよね。

例えば、最近あった事で僕はすごい迷惑を被ったんですよ。彼が酔っ払って。

明らかに彼が悪いんです。まあ、100歩譲って9:1ですよ。

僕もちょっと大人げなかったかなと思う部分がなくもないので、9:1ぐらいでしょう。

だけど、彼はその1あるかどうかも分からない、自分の非のない部分に焦点を当てて、なんか10年以上前の昔話とかを持ち出して、「いや、お前はあのときこうだったじゃないか」とか「こんなことでこんなに責められるんだったら、あの時のお前の行動を許した俺がバカみたいじゃないか」とかね。

「え?それいつの話ししてんの?」「しかも、それとこれとは全然話が違うよね」っていうような、すごい無理がある話を展開しだしたりとか、もうそんなことはしょっちゅうだし、未練がましいし、基本女々しいし、なんかネチネチ人のこと憎み続けてるし、そんなんだけど、本人はいろいろかっこつけてるつもりなんですよ。

こういうセリフを言うとかっこいいかな、こう振る舞うとかっこいいかな、こういう見せ方がかっこいいかなって常にそういうことばかり考えてんだけど、でも一番大事な「謝れるか謝れないか」「素直か素直じゃないか」「潔いかそうでないか」そういう部分が全くできてないからカッコ悪いんですよ。

格好良さそうなんだけど、かっこ悪い人の代表格と言うか、政治家さんとかがそんな感じですね。政治家ってひとくくりにしてもダメなんだろうけど、多くの人がイメージする政治家は、だいたい謝らないし、素直じゃないし、往生際が悪いでしょう。

だから、みんな政治家を見て「かっこ悪いな」と思うんですよ。

で、かっこいい方の事例ですよね。

これはもう何年前かちょっと覚えてないんだけど、もう5〜6年前ぐらいかな。

当時パートナーとやっていた QOL系の勉強会があるんですけど、その勉強会に参加して来られたAさんという方がいらっしゃって、この方が吃音者なんですよね。

歳も結構上の方で50代だと思うんですけど、一人一人参加者が勉強会で発表していくんですけど、自分の問題点だったりとか、悩みとかをシェアして、みんなでそれをアドバイスしたりとかするそういう場なんですけど、その人は第一声で何を言ったかって言うと

「私は今日恥をかきにきました」

って言ったんですね。

その方は吃音者で、おそらくそういったみんなの前で喋るということが、得意ではないと思うんですね。

そういう場に勇気を出して参加した。

しかも、参加する人間って、もうその人の息子ほどの年の開きがある人が結構多いんですよね。

主催者である僕ら講師に関しても、一回り以上も年下になるわけですけど、それでもそういう場に勇気を出して参加して来られたのは、その人の持つ素直さと潔さだったのかなと思います。

実際には彼の「今日は恥をかきに来ました」っていうセリフを聞いて後から「恥をかきにきたという風におっしゃられていますけど、実際に恥ですか?」って僕は問いかけたんですよね。

そこの参加者の皆にも「恥だと思うみんな?」って問いかけたら、他の参加者さんは「逆にかっこいいと思います」っていう言葉がちらほら出てきてました。

そういうことなんですよ。

かっこ悪そうでめちゃくちゃかっこいいっていうことですね。

もう一人の事例をあげたいんですけど、Mさんという方なんですけど、この方ももう僕よりもかなり年上で、50代の方なんですけど、これも何年か前の話で、厳密に言うと投資じゃないのだけど、投資っぽい話を持ちかけられたんですね。

彼はずっと僕のクライアントさんで仲も良かったし、信頼もしている方だったので話を聞いた結果「分かりました。いいですよ。」「じゃあ、僕それに乗っかるんで」ってことで投資したわけですよね。

でも、それから何年か後、それがうまくいかなくってかなり僕は損をしてしまったんですよ。

投資なので僕もわかってるんですよ。自己責任だってことはね。

その人も良かれと思って僕に紹介したわけでね。

それに乗っかるか乗っからないかは100%僕自身の選択だったわけですね。

だから、僕は彼を責めるつもりなんてこれっぽっちも無いし、逆に彼が気に病んでんじゃないかなって少し心配してたぐらいです。

僕は投資系の話はどんなに良さげな話でも、人に勧めることはしないですけど、それはその人のスタイルと言うかどっちがいいとか悪いとかの話じゃないので、とにかくその件に関してはMさんが悪いわけじゃなかったんですよ。

仕方のない話だったんですよね。

だけど、素直に謝ってこられた。全面的に謝る姿を僕は見たんですよ。

特に何の言い訳をすることもなく、「不可抗力だったんだ」みたいな遠回しにそんなことを言うような素振りもなく、全面的に謝って来られた姿を見て、「素直な方だな」と思ったし「潔いな」という風にも感じたわけですね。

もしこれがちょっとでも「自分に非がないんだ」と主張を強めて言っていたならば、僕は少し気持ち的に距離を置いていたかもしれないですね。

彼の話に限らずなんですけど、自分の非を認めなかったり、あるいは自分の失敗を部下とか誰かに擦り付けたりする事によって、自分がその責任を免れたり、損失を免れたり、それで「得した」と思う人もいるかもしれないけど、でも信頼を失ったっていう意味で人生レベルで大損こいてるわけですよ。

近視眼的に見ると、謝ることによって自分がバカを見ることもあるかもしれないけど、周りは見てます。

長い目で見た時に、それは決して損なことじゃないんですよ。

得になって絶対返ってくるんですよね。

だから、カッコ悪そうでカッコいい人は損してるようで、かなり長期的に見て得をしてるということが言えるし、逆に格好良さそうなんだけど、すごいかっこ悪い人は得をしてるようで、実は人生レベルの大損をこいてるって事です。

大事なことなので、是非覚えておいてください。

ということで、今日は以上。

ありがとうございました。

#366『カッコつけてるのにカッコ悪い人。カッコ悪そうなのにカッコいい人。その決定的違いとは。』

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