どうも、Aunこと西祖です。
またこのネタなんですけど「感謝のエクササイズ」という話を去年の12月の頭ぐらいに初めて話して、すごく良いから騙されたと思ってやってみてくださいとお伝えしたと思います。
意識的に小さなことでもいいから1日5回人に感謝されることを積極的に行ってみましょう。それを一ヶ月続けると体感レベルで、変わった自分に出会えますよという話をしていました。
それを実践した人からいろんな感謝の感想をいただいています。
最近もらった感想がすごく参考になるものだったので、まずそれを紹介したいと思います。
このエクササイズは一見きれいごとに聞こえるかもしれないけど、本当に現実レベルで自分自身が変わっていく結構凄いエクササイズなんですよ。
それは、今からシェアする感想を聞いてもらったらわかると思います。
1日5回感謝されることをする中で、また1つ自分の中で動きがあったので、報告させてください。
1日5回チャレンジを始めた頃は、道に入りたがっている車を入れてあげるなどをするのが新鮮で、それをするたびに「よし!感謝されることを1回した」と感じていたんですが、
続けているうちに、入りたがってる車を入れてあげるのは当たり前という感覚になってきて、以前ほど達成感を感じなくなってしまいました。
こう言うと語弊がありますが、こんな当たり前のことで、感謝をされても満足できないという感覚です。
当たり前の事なので、礼に及びませんという感覚と言った方が近いでしょうか。
そんな状態がしばらく続いていたんですが、最近情報発信のスタイルがめきめき変わり始めています。(この方はブログなどで情報発信されています)
今私は主にブログとツイッターで情報発信をしているのですが、そこで縁ができた人に対して、私はこの人の悩みを解消することができる仕事という形の縁にならずとも、私とやり取りをした以上、何かしらポジティブな変化を感じてほしいという意識が出てきました。
具体的にはもう自分からバンバン絡んで、勇気づけをするようになってきました。
悩んでいない人に対しても、応援の気持ちを伝えたり、ポジティブな反応を伝えるようになりました。
情報発信から離れた日常の人間関係でも、チャレンジする人を応援する、悩んでいる人がいたら話を聞く、悩んでいた人が悩みを解決したら一緒に喜ぶ、というのが当たり前になってきました。
そうなってくると当然相手から感謝が返ってくる。
そして、この感謝が本当に心から嬉しいと言うか、もちろん車を入れてあげてされる感謝も嬉しいですけど、小さな親切に対する、小さな感謝という感じです。
相手のためを深く思えば思うほど、返ってくる感謝も大きい。
そういう感謝じゃないと満足できなくなってきていると言うと、何か悪い変化のように思えてしまいますが、自分の中ではとてもポジティブな変化として受け止めています。
その変化が「悪いものであるはずがない」という感覚です。
この変化によって、情報発信やビジネスをしていく上でのブロックがいくつも外れたように感じています。
今振り返ると数週間前の私はいかに相手にポジティブな変化をしてもらうかよりも、いかに自分が傷つかないかばかりを気にしていたと思います。
今もまだ怖さはありますが、自分の怖さよりも相手のためになることの方が大切なので、進んでいけるという感じです。
1日5回チャレンジを始めていなかったら、私は今も人の為と言いながら、自分のことばかり考えていたのかなと考えると怖いくらいです(笑)
良いこと教えてもらって本当にありがとうございます
・・・
ということでした。
このエクササイズをやった気づきは人それぞれだと思うのだけど、このエクササイズが、自分のライフスタイルとして板について来ると良いことが起こります。
恩恵として1つ挙げられるのが「思考の抽象度が上がる」ということです。
抽象度は簡単に言うと、いくつか関連のある複数のものをまとめて、1つのことにするという考え方です。
例えば、物事の本質がありますよね。
本質は具体的な部分ばかりを見ていても見えないです。
具体的なものが散らばってるのだけど、それの抽象度を上げていくことで、本質が見えてくるんですね。
例えば、「犬の本質」って何ですかって言われたらなんて答えますか。
犬の本質です。
例えば、まさか「犬の本質はチワワです」とはならないですよね。
犬の本質の例としては、動物とか、もっと言うと生き物とか生物という感じになっていくと思うんですよ。
こんな感じで、どんなに学びにも本質があります。
本質が分かっていないと、その学びを本当に実生活で活かす事はできないし、応用することもできません。
だから、どんな小さい学びの中からでも、学びの本質を捉えて、それを別の経験に生かすことができるというのが、上手な学びの方だと思っています。
なので、抽象度が低い人間は学びの質も低いです。
物事を抽象的に見られない奴は、言い方は悪いですけど、バカだと思います。
「あいつバカだな」と言われるような人は、抽象度が低いんですよ。
最近お騒がせしている不適切動画をあげている人達も、普段はどうかわからないけど、動画を撮影して、アップしてという一連の動作の中には、全く抽象度の高さを感じないですよね。
他にも、例えば、バカと議論していても、個別具体的な例外とか特例などを、都度持ち出してきて話になりません。
セミナーとかやっていても、「これまで何を聞いていたの?」と思うようなアホな質問してきたりする人稀にいますよ。
また犬の例えなんだけど、「これは犬です」と僕が言うとしましょう。
「これは犬です」って言ったのに、チワワを指して「これはなんですか?」と聞いてくると。
次にトイプードル指して「これは何ですか?」と聞いてくる。
いや、犬じゃないですか(苦笑)
これは極端な例だけど、抽象度が低い人間と話していても、綺麗に折り合いがつかないし、キリがないわけですよ。
で、今話していて思い出したのが、どうでもいい話なんですけど、すごく綺麗でスタイルがいいという理由だけで付き合っていた女が、すごく抽象度が低すぎて大変だった話を今思い出しました。
抽象度が低い相手と関わると時間もエネルギーも取られるので、僕はあまり好きじゃないです。
で、話は戻るのだけど、今回感想を送ってくれた方の身に起きた変化は、まさに抽象度が上がったのです。
この方は情報発信しているし、それこそ自己啓発的な発信をしていると思うので、抽象度という概念は、そこら辺の人より理解している人だと思うんですよね。
わかっている人でも、この変化ですよ。
このエクササイズは軽く見て欲しくないです。
頭の中で理解するだけでなんとなく上がった気になるのが、抽象度だったりするんでね。
頭の中でなんとなくわかった気になってる人たちが、自己啓発難民やスピリチュアル難民の特徴だったりします。
なぜ、ふわふわしているように見えるかと言うと、そこに実体験が伴っていないからです。
「抽象度が低いやつはバカだ」みたいな話をしたんですけど、逆に抽象度だけ高い奴はちょっとウザいわけです。
一方で、ちゃんと地に足ついた人は、森全体を俯瞰して見ることができます。
ここで言う「森を見る」というのは抽象度の高さのことです。
森全体を見渡すことができて、森の中を自分の足でちゃんと歩いて、森の木1本1本の枝まで、よく観察できる。
これが地に足ついた人です。
森をボーっと眺めて、「この森はこんな感じかな」みたいな。
自分で歩いていないし、歩いてないから想像することしかできないという、こういうやつがウザいのです。
森全体を俯瞰して、枝の一本一本まで観察できる人が、僕みたいな情報発信者に求められている素養だったりします。
要するに、現場をよく知っている人間じゃないと、僕のような仕事は務まらないのです。
だって、説得力ないじゃないですか。
僕らが欲しているスキルはいろいろあると思います。
具体的に考えれば、ビジネススキルとか恋愛スキルとかたくさんあると思うのだけど、それこそ抽象度を上げていくと「人間力」というところに行き着くわけじゃないですか。
そのためにこのエクササイズを僕は提案していたわけです。
実生活で人間との関わりは外せない営みなわけですから、その中で高い循環エネルギーを持つ物は「感謝する。感謝される」ということなんですよね。
高いエネルギーを、自ら進んで意識的に循環させるのは、ものすごく現場感が身につくんです。
これは人生そのものですよ。
感覚は現場で身につきます。
実体験の伴った抽象度の高さが大事になってくるという話でした。
というわけで、今回は以上。
ありがとうございました。