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#647『嘘と演出の違いを知ろう(=リーダーの必須科目)』

2024-02-05 Mon.

どうも、西祖です。

HQ-MIND始めていきます。

今回は「嘘と演出の違いを知ろう」というテーマで話したいと思います。

このテーマなんですけど、Junくんからのリクエストというか、こういうテーマで話したらいいんじゃないですか、有意義なんじゃないですかって提案があったので、なるほどと思って話そうと思いました。

じゃあ、なんで「嘘と演出の違い」を知る必要があるのか、改めてこの話をする意味があるのかっていうと、大前提として僕らはリーダーになっていかなければならない存在なんですよ。

「存在なんですよ」っていうか、これを聞いてる時点で何かを成そうとしてるわけですよね。

人生において何か目標があって、何らかの理想があってそれを達成するために、おそらく何かしらの頑張りを毎日やっているんだと思うんですけど、そのためには何かしらリーダーになっていかなきゃいけないって僕は思っています。

大それた話じゃないんですよ。

例えば、子供がいるんであれば、子供のリーダーである必要がありますよね。親として。

会社で部下や後輩がいるのであれば、彼らのリーダーである必要がありますよね。先輩として上司として。

あるいは、極力誰とも関わらない生き方を選んでいる場合であっても、そこに自分の理想的な人生を目指すものがあるんであれば、それは自分自身のリーダーになっていかなければならないと思うんですよ。

なので、何かを達成したい人にとっては、リーダーになるということは避けて通れない目標だと僕は思っているんですよ。

リーダーの仕事って責任が重いというか、難しいんですよね。

リーダーの仕事は人を導くことです。

あるいは、自分を導いていくことです。

人を導くって結構シンドくて、まず大前提として自分自身の大きな理想世界というか目標があるわけじゃないですか。目的があるわけじゃないですか。

それを達成するために、賛同する仲間を募っていくっていうフェーズがありますよね。

彼らと一緒に頑張っていく中で、彼らに適切な教育を施していくフェーズがあったり、その中で彼らに何かしらの利益をもたらす。

そして、喜んでもらいながら結果、自らの目的も達成するという基本的にはWin-Winを目指していかなきゃいけないのがリーダーなんですけど、これは言う程簡単じゃないわけですよ。

自分の理想に対して共感者が現われて、賛同者が現れて集まってきてくれて、コミュニティができたらいいけど、「君たちのその考え方ではなかなか難しいんじゃない」っていうこともあるわけですよ。

だから、「その考え方だとちょっと難しいので、こういう考え方に変えていきましょう」みたいなのが「教育」ですよね。

こういうことをやっていかなきゃいけないし、「そんなこと言ったって、自分はこの考え方がいいと思うんですけど」みたいなやつも出てくるから「いや、それじゃダメなんだよ」って再教育を施したりとかして、大変なわけじゃないですか。

中には言っていることはわかるけど、「自分にあんまりメリットないなあ、得がないな、なかなか利益が降ってこないな」なんていうこともあって、それではその人たちが離れていくことになるしね。

っていうことで、結構リーダーって色んなことに目配り・気配りしていかなきゃいけないし、Win-Winってやっぱり綺麗事ばかりでは成せないっていうのがあると思います。

子育てなんかしてると、すごくよくわかります。

子育てっていうほど、僕は息子と常に一緒にいるわけじゃないし、生活が違うので偉そうなことは言えません。

が、昔なんかは、例えば息子はすごくわがままで、こう思うと他の意見を受け入れないみたいな子だったので、例えば病気になってもお医者さんからもらってきた薬は、素直に飲んでくれないんですね。

苦いだの、面倒くさいだの、ああだこうだ言って拒むわけですよ。

その時にこちらが取る手段としては、「人それぞれ意見は違うよね。考えは違うよね。じゃあしょうがないか」・・・じゃあ話にならないですよね。

子供には元気にすくすく育ってもらいたい。

そして、立派な大人になってもらいたい。賢い子になってもらいたい。

人を導く子になってもらいたいっていう、僕自身の個人的な願いや理想があって、それを達成するためにはやっぱり教育をしていかなきゃいけないわけです。

面倒くさいとかに、苦いから飲まないっていう考え方では駄目なわけですね。

それを強制していかなきゃいけない。

じゃあ、僕が取る手段としては何かというと、無理矢理「飲め」って言って、口をこじ開けて、薬を口に放り込んで水をゴクゴク無理やり飲ませるのか。

あるいは、とくとくと「薬というものはだな」とか言って説得するのか。あるいは、ジュースに薬を砕いて混ぜて溶かして、騙し討ちみたいな感じで飲ませるのか。

いろんな選択があるわけですけど、僕はよくジュースに混ぜて飲ませるという戦術を取っていたわけですね。

こういうことをやらなきゃいけないんですよ。

例えば、これを「嘘じゃん」「そんな騙し討みたいなやり方は卑怯だよ」「目的のためには手段を選ばないのか」って言われても、「そんな綺麗事ばかりじゃダメでしょ」って思うわけです。

これって子育てだけじゃなくて、ビジネスでも教育現場でも何でも一緒なんですよ。

自分自身を成長させていく面においても、言うたらこれが演出になってくるんですけど、この考え方を持って、柔軟に発動させていかないと、なかなかリーダーは務まらないのが僕の考え方なんですね。

そこで大事になってくるのが「嘘と演出の違いを知る」っていうことなんですよ。

言っても人ってやっぱり身勝手な生き物だし、自分が1番可愛い生き物ですから、「これは演出なんだ」「方便なんだ」と思っていても、「それはただの嘘だよ」っていう場合もあるんですよ。

あるいは「こんな嘘いいのかな?」「だまし討みたいなことやっていいのかな」「これ嘘じゃん」って思っていても、逆に「それって嘘も方便でしょ」「それはただの演出でしょう」「相手のためでしょ」っていう場合もあるんです。

だから、それを自分でちゃんと「これはこうだな」「この場合はこうだな」って判断できる理解を持っていないとリーダーはしんどいってことです。

ということで、嘘と演出の違いを説明していきたいんですけど、Googleで調べるとこんなことが書かれてます。

嘘は事実ではないこと。人間を騙すために言う事実とは異なる言葉。

一方、

演出とは物事を表現するときに、それを効果的に見せること。

と書かれています。

言葉の印象も言葉の意味も全く違うこの両者ですけど、時に人はこれをゴッチャにしてしまうわけですね。

方便っていう言葉を混ぜて説明した方が分かりやすいですね。

方便って何かって言うと、方便って仏教の言葉なんですよね。

方便とは人を真の教えに導くための仮の手段

転じて一般に目的のために利用する便宜的な手立て

と書かれています。

こんなことも書かれています。

特に密教では自利と利他、向上と向下の両義取り、自利利他の実践を完成することとする。

これちょっと意味が分からないと思うんですけど、要するに自分の利益と他者の利益。

この両方を達成してこそ、方便が成立すると言ってるんですよ。

だから、自分のためだけについた嘘はただの嘘。

自分のため。そして、それが相手のためにもなる。

今回の話で言うと、自分の大きな目的。

例えば、子供にすくすくと元気に育ってほしい、立派な大人になってほしいという大目的があって、それを達成するための嘘や演出は相手のためになってるわけだから、それは方便として成立してますよ・・・みたいな話だと思います。

例えば、ビジネスだったら、「生きたい自分の人生を生きる」っていう大目的があって、同じ目的を持つ人たちと一緒に楽しく人生を謳歌していくみたいなのが大目的としてあるとしましょう。

でも、なんでも物事を先送りにするとか、清潔感がないとか、その目的にそぐわない考え方や行動振る舞いをしている人は、何らかの手段を持って教育していかなきゃいけない。

それを強制していかなきゃいけないわけですね。

そういう場面に立たされた時に、「嘘と演出」とか「嘘と方便」とか、この辺のことをはっきり理解しないと、自分自身が迷ってしまうってことです。

ぶれてしまうっていうことですね。

嘘は自分のためだけにする行為です。

相手のためにならない。相手を欺く騙す行為だから、基本的に嘘はよくないですね。

人間は身勝手で、自分が1番可愛い生き物ですから、全く嘘をつかずに生きていくなんてことは、僕はおそらく不可能だと思います。

僕だって嘘をつくことはありますよ。

だけど、いつも嘘をついていたのでは勿論駄目だし、大事な場面においては誠実に振る舞わなければならないわけですね。

嘘って基本的に自分のためについているものですから、バレるんですよね。

そこに無理があるというか、不自然というか。

だから、基本的に嘘はバレるものだという前提も持っておいた方がいいです。

極力嘘はつかない。特に大事な場面においては、誠実さを絶対に優先するっていうことは大事です。

嘘をつくリーダーとか嫌じゃないですか。

どんなに立派なことを言っていたとしても、嘘をつく人に賛同とか応援とかできないですよね。

そんな人のコミュニティにいたくないですよね。

だから、基本的に嘘はダメだって思っておいた方がいいですね。

だけど、方便・演出は必要になってくるんですよ。

このバランスがやっぱり難しい。

Googleで調べるとこんなことも書かれてあります。

仏が衆生済度(しゅじゅうさいど)にあたっては、方便として嘘をつくこともあるということから、大きな全公の前では偽りも認められるということ。

こんなことが書かれてあります。

なので、あくまで相手を導くために、その手段として真実ではないけど、それは結果的に相手のためになるし、大局を見ると自分自身の大義を達成することにも大きく貢献する・・・みたいなことですよね。

方便は責任を持って使っていくものだと思うんですよ。

軽々しく何でも「嘘も方便だ」って言って無責任にやってると、それが仇となることは往々にしてあるので、簡単な気持ちでやっていいものではないです。

だけど、そこには信念や大義みたいなリーダーとしての、理想世界みたいな大目標みたいなものは、きちんと必要なんだけれど、それがあるんであれば、こういうものも効果的に使っていきたい、使っていかないと、とてもリーダーなんてやっていけないっていうものなんですね。

ここにリーダーという役割の難しさってあると思うんですよ。

このバランスが下手クソな人は結構苦労しているし、このバランスの取り方がすごく上手な人は、比較的成功してるのかなって思いますけどね。

最後にこのマインドセットを授けたいと思います。

これは僕がすごく大事にしていて、みんなに持ってほしいマインドセットなんですけど、「誠実の上のあざとさ」ということです。

あざとくやっていかないと、とてもこの世の中はなかなか生きてはいけない。

綺麗事だけでは生きていけないわけです。

だから、あざとくやっていきたい。

嘘も方便っていう考え方も、言うたら「あざとさ」じゃないですか。

だけど、あざとさを使ってはいくんだけど、土台は誠実じゃないと、人はついていかないよということです。

大義なんて達成できないよということです。

あくまで誠実に。

だけど、あざとく。

っていうことですね。

でも、土台に嘘とかあざとさがあったら、そんな人に誰もついていかないからね。

あれですね。「嘘と演出」っていうか「嘘と方便」っていう話になっちゃいましたね。

どっちでもいいです。

大事なことを喋ったつもりです。

ではまた。

ありがとうございました。

#647『嘘と演出の違いを知ろう(=リーダーの必須科目)』

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