どうも、Aunこと西祖です。
今日は、「本物の人間関係を構築するためのファーストステップ」について話をします。
結論から言いますが、人間関係を構築するための第一歩というのは「共感することである」というふうに僕は昔から思っています。
今もその気持ちは変わっていません。
具体的なアクションを、順序立てて話していきますね。
まず第一に「相手の悩みを聞いてあげる」ということ。
悩みや問題、フラストレーションみたいなものは人間誰しもが持っているものだと思うんですよね。
今どんな悩みを持っているのか、今どんな問題を抱えているのか、相手の持つ恐怖や不安、そういうものをまずは聞いてあげましょう。
そして次に「なるほど、わかるよ」と言ってあげるんですね。
わかるよ、自分もこうだったよ、と似たような経験談をシェアしてあげましょう。
もし同じ経験をしたことがなかったとしても、そこは抽象度を上げて考える必要があります。
例えば、相手は上司に叱られてとても悔しい思いをしていて、でも自分には上司に叱られた経験などないから共感できない、というふうに思う人もいるかもしれません。
でもそうじゃないんですよね。
共感ポイントというものの抽象度を上げて考えなければなりません。
上司に怒られた経験はないかもしれませんが、親に怒られて自尊心が傷付けられ悔しかったという経験はあるとしますよね。
要するに状況やシチュエーションが同じということが重要なのではなく、どういう感情を味わったか、どんなふうに似た感情を覚えたことがあるかという部分なんですよ。
それなら誰だって共感できるポイントを持っていると思うんです。
経験したことがないようなことでも、「わかるよ」と言って似たような経験談を話し、自分もこうだったよとシェアをしてあげるということ、これが共感です。
もちろんこれは上手くやらないといけません。
どんな悩みを持っていてどんな問題を抱えていて、わかるよ自分もこうだった。
誰を相手にしてもこのようなテンプレート通りの会話になる、ということはありえませんよね。
その人との関係性や状況に合わせて、それに沿った流れを言って進めていくということです。
実はもうここまでで人間関係の土台っていうのは完成しているわけです。
揺るぎない土台というものができて、ここで考えて欲しいのは、この時点であなたはまだ何もしていないということです。
相手の悩みをただ聞いて、共感してあげただけにすぎません。
相手の問題を解決してあげたりもしていません。
人間関係を構築するための話を今僕はしていますが、そのためには相手の信頼を得ることが必須になります。
そして、その信頼を得るためには、相手の問題を解決してあげることが重要だ、そういう話を僕はよくするし、ビジネスのコンサルティングにおいてもよく話しますよね。
もちろん、それも大事な考え方なんですが、実は今のこの「相手の悩みや問題を引き出し、共感してあげる」ということで、人間関係の土台はできあがっているんです。
僕は何もしていませんし、問題解決にも至っていません。
ですが、この時点でもう土台はできています。
なぜなら、「人は安心したい生き物」だからです。
安心したい、安心できる空間に入りたい、そういう場を提供して欲しい、人にとってはそれがまず第一です。
もちろん、最終的には問題を解決することを望んでいますが、その前に「大丈夫だよ、他にもいるよ、自分もそうだったよ、気持ちわかるよ」と理解を示してあげることで、安心させてあげなければなりません。
人は孤独が一番怖いんですよね。
自分一人だけなんじゃないかという孤独が、もっともその人を苦しめています。
吃音という病気を僕は昔から持っているんですが、この言葉を知ったのは20歳を過ぎてからのことでした。
インターネットか何かで最初に知ったとは思うんですが、それまで誰にも相談できず、インターネットも十代のころからあったわけではなかったので、よくわかりませんでした。
特殊な奇病なんだ、と思っていたんですよ。
もしかしたらこのままどんどん言葉が失われていって、声も出なくなって、話せなくなってしまうのではないか。
そういうことをずっと考えていました。
中学生のころには何かに取り憑かれているんじゃないかとか、そういうふうに思っていた時期もありました。
だけど、吃音という概念を知って、他にもたくさん自分のような人がいるということを知りました。
日本だけでも百万人、およそ百人に一人の割合で僕のような吃音者はいるそうです。
それを知って、僕はすごく安心しましたし、ほっとしました。
抱えている悩みや問題、そしてそこからくる恐怖に冒されている状態で、その恐怖からまずは安心という場所に移動させてあげるということをやってあげるべき、ということですよね。
それをやってあげた上で問題を解決する。
何かを提供してあげる、というこのステップが重要なんですね。
なのに、例えばその「相手を安心させる」というステップを踏まないで、いきなり問題解決の方法を提供しようとする人がいます。
でもそれ、相手は全然嬉しくないんです。
「こうしたら解決できるよ」「こうすればいいのに」と言われたとして、「そうか。そうすればよかった」と思う人も状況によってはいるかもしれませんが、多くの場合はそんなに嬉しくないんですよ。
なぜなら、否定されたように感じてしまう、つまり論破されたように感じてしまうからです。
「あなたは間違っているよ」「正しい方法はこれですよ」と言われているように感じてしまうわけですね。
何の共感もない、安心の提供もない、その状態で「こういう方法があるよ」と言われても、何も嬉しくないんですね。
かの有名な元ライブドアの堀江貴文氏や、2ちゃんねるの開設者である西村博之氏が、テレビ番組で人を完膚なきまでに論破している姿をよく見ます。
しかし、論破されている人は嬉しそうじゃないですよね。
完全に論破しているわけなので、彼らが正しいということはもうわかっているんですよ。
でも、論破されている多くの人が釈然としない感じになってると思うんですよね。
プライドがあるから、とか自尊心を傷つけるような言い方だから、とか色んな理由があると思うんですが、まず共感というステップを踏まないからそうなってしまうわけです。
共感、そして相手を安心させてあげる、というステップ。
もちろん事実として間違ったことは言っていませんが、人間関係を構築するためのステップを踏まないので、どうも釈然としないんですね。
見ている方は当事者じゃありませんから、軽快に論破されているところを見て愉快な気持ちになりますよね。
でも、されている本人からすれば気持ちのいいものではありません。
「自分が正しい」という主張を押し付け、相手を論破して言い負かしたからといって、それで人間関係が築けたと言えるでしょうか。
言えないですよね。
ただ自分の言っていることが理解された。
ただそれだけに過ぎません。
人間関係の構築というものは、解決方法をただ教えればいいってわけでもありませんし、ましてや相手を論破すればいいっていう話でもありません。
人間は感情の生き物です。
いくら正しいことを振りかざされても、感情というものがあるので、受け入れられないものもあります。
それをまずは理解しないことには、どんなに頭が良くても、どんなに人を論破しても、どんなに効率的な解決方法がわかっていたとしても、人間関係を作ること自体が難しいんです。
人間関係を作れない、人の感情が理解できない、そういう人はとても生きにくい人生を、歩むことになるんじゃないかなと僕は思っています。
なので、どんなに自分が正しいと思っていても、まず自分が相手にしているのは人間だ、ということを忘れてはならないと思います。
まず第一に「相手の悩みを聞いてあげる」ということ、それから「共感」してあげること、とにかく相手を受け入れて安心できる場所に移動させてあげること、それから徐々に自分の意見や解決方法などの正しいと思うことをシェアしていけばいいと思います。
今日の話は以上になります。
ありがとうございました。