どうも、Aunこと西祖です。
今日のテーマは、「満足は遅らせた方がいい」という話をしたいと思います。
僕が今乗っているのは、ポルシェのカイエンという車です。
別に自慢がしたいわけではないんですけど、まだ乗り始めて数年になります。
二十代くらいの若い頃は、すごく車が好きであんな車やこんな車に乗りたい、なんてことをずっと考えながら生きてきたような感じでしたが、それ以降はあまり車に興味がなく過ごしてきました。
27歳くらいで独立をして、30を過ぎてからは、もう全然車に興味がなくなってしまって、「車なんて動けばいいんだよ」なんていう考えにまでなっていました。
お金に対する僕の考え方にもつながるんですが、車とは基本的に負債であり、買った瞬間に価値が下がって、持っていれば持っているほどに価値が吸いとられていくもの、という考え方なんですね。
無駄に金を食う、金食い虫みたいな感覚です。
ですので、まぁそんなにお金をかけるものではない、みたいな考え方をずっと持っていました。
そして今もその考え方というのは変わっていなくて、その人の状況次第だとは思うんですけれども、僕の場合は会社として購入した車だということと、税金対策ということもあって、税理士と相談した上であまり値崩れのしない車を選びました。
乗ってみてわかったことですが、乗り心地も素晴らしく、車がとても好きになりました。
周りからの反応も明らかに変わりましたし、「良い車に乗る」ということは、こんなふうにして自意識を上げているんだろうなということがわかって、いい体験になりました。
車を買ってすぐくらいのころ、オイル点検か何かで愛車を何日間か車屋に預け、代車を借りなければならない期間がありました。
その代車が、たしかヴィッツかフィットだったと思うんですけど、とても昔の型落ちの車で、ボロボロだったんですよ。
そのボロボロの代車に乗っているタイミングで、女の子とのデートの約束が入ってしまったんですね。
その女の子というのが、何回かご飯を食べに行ったことがあって、初めてドライブに行く、というシチュエーションでした。
仕方がないので代車で行ったんですが、そのときの僕はポルシェを買ったばかりだったということもあって、車に対する見栄なんかは全くありませんでした。
そのボロボロの代車で女の子を迎えに行き、普通にデートして、普通に何も言わずに帰したんです。
それを人に言ったら、みんな口を揃えて「普通、言うでしょ」と言うんです。
代車だったことは仕方ないにしても、「こんな車でごめんね、本当はポルシェなんだけど・・・」みたいなふうに言うでしょう、と。
そのときの僕にはあまりそういう感覚がなかったので、あぁ、そういうもんなのかなって思いました。
後日、同じ女性と2回目のデートの約束が入りました。
そのときにはもう車が戻ってきていたので、ポルシェで迎えに行ったんですよ。
するとものすごく驚かれて、「えっ、これどうしたの」と言われたわけです。
「いやいや、俺の車だよ、実は、前の車は代車だったんだ」という話をして、その女性も笑いながら「なんで言わないの」みたいなことを言われました。
車なんて結局どうでもいいんです。
ボロボロのヴィッツだろうが、現行型のキラキラしたポルシェだろうが、ベンツだろうが、なんでもいいんですよね。
女性にモテる、というとちょっと違うのですが、そのときの僕の態度を見た相手の女性が、一気にこっちへ寄り添ってきたのがわかったんですよ。
気持ちが傾いてきたというのがわかったんですね。
これは、車の良し悪しが原因ではないんです。
これは、僕の見栄を張らない態度を見た結果だと思います。
多くの人は「いやごめんね本当はポルシェなんだけど・・・」と間髪を入れずに言うとのことですが、それはつまり短絡的な満足を取ろうとしてるってことですよね。
良い車の良さ、周りの目が変わるということを知ってしまった今の僕なら、同じことをするかもしれません。
しかし、偶然にも僕は短絡的な満足を取ろうとしなかった。
それを見て、相手の女性はより気持ちが僕に傾いたのかなというふうに思います。
もちろん、多くの人は見栄を張りたいし、そのために短絡的な満足を咄嗟に取ってしまいがちですよね。
その気持ちはよくわかります。
当時の僕は車にこだわりを持つみたいな文化がなかったし、だからこそそこに見栄みたいなものがなかったんです。
今の事例のように、満足というのはあとに伸ばせば伸ばすほど、何倍にも何十倍にもなってあとから返ってくる可能性が高いものなんです。
ひょっとしたら、そのときの女性とは2回目のデートなんてなかったかもしれませんよね。
もしかしたら、あのときを境にもうバイバイさよならってことになっていた可能性も充分ありました。
そうなってくると、その女性の中では僕という存在が「一生ボロボロのヴィッツに乗っている人」で終わっていたわけじゃないですか。
でも、そんなの痛くも痒くもないですよ。
別に、ボロボロのヴィッツに乗っている人だった、という記憶が一人の女性の中に刻まれたとしても、ほぼほぼ2度と関わることがないわけですから、全く問題ないわけです。
だったら、相手からの評価や得られる満足が何倍、何十倍にもなる可能性を取った方がいいんじゃないかなって僕は思うんです。
僕の友人に、滋賀県で農機具を売っている会社の社長さんがいるんですけど、3年ほど前に僕に会いに来てくれたんですね。
僕が参加していたツアーに、僕を追いかけるような形で来てくれていたんですよね。
最初に会ったとき、「何してるんですか」って聞いたら「農機具を安く仕入れて、ヤフオクで売る仕事で飯食ってます」ってただそれだけを言ってたんですよ。
それだけ聞くと、ビジネスといえるかどうかわからないくらいの小ぢんまりとした規模で自分一人だけで飯食ってる、というように感じると思いますし、実際僕も最初はそんな印象を持ちました。
ですが、そのあとも何度かその人に会って話を聞くうちに、どうやらそうではないらしいということがわかってきました。
もう既に全国展開をしていて、当時でも支店が十店舗ほど、従業員も五十人程度いるような立派な会社でした。
現在は支店も十三、四店舗くらいにはなっていると思いますが、当の本人はその会社の会長だったわけです。
一人で一つの組織を創り上げ、多大な利益を生み出してから完全に引退し、部下や幹部をはじめ社員にも慕われているようなすごい人だったんですよね。
もしこの人が、最初から全部自分の口でこのことを語っていたとしたら、それはそれでもちろんすごいなとは思うんでしょうけど、知ったときの驚きや彼に対する評価は、あとから聞いた驚きに比べると何分の一、何十分の一になっていたんじゃないかと僕は思うわけです。
見栄とかプライドは人間が持っているもので、100%捨てることは絶対にできないことだと思います。
でも、見栄を張りそうになったらそこで一歩立ち止まって、自分の価値を安売りするのか、それとも焦らせるだけ焦らして最終的に高値で落札させるのか、どっちの道を選ぶのか冷静に考えてみるというのも価値のある視点なんじゃないかなと思います。
何でも満足をできるだけ遅らせるという話をしましたが、僕がよく言っている「長期的に考えろ」というところにも繋がってきますよね。
短絡的な思考パターンは身を滅ぼします。
逆に長期的な思考パターンとして満足をできるだけあとに遅らせる方がより長くより大きな満足になってあとから返ってくることが多いように思います。
人間はやっぱり原始時代からの習性で短絡的に考えてしまう生き物ですから仕方ない部分も大きいです。
むかし、原始時代には長期的に物事を考えるという発想を持つ必要はありませんでした。
逆にそういう考えを持っていたら、その日に死んでしまうかもしれない、という状況の中で生きていたということになります。
このことから、今と昔の成功法則は本当に真逆だったということがわかるので、今の僕たちが短絡的な思考に陥るのはもう宿命なんですよ。
だけど、僕らは長期的に考えることもできるわけです。
そういう機能が備わっているというのもまた、僕たち人間なんですよ。
だからこそ長期的に考えることができるというのはその機能をきちんと活用できているということです。
でも多くの人は、活用しないわけですよね。
活用できるのに、大半が活用しないということはつまり、そこにチャンスがあるということ。
成功者が世の中の1%だといわれる理由はそこにあるんじゃないでしょうか。
満足は、できるだけあとに遅らせる。
長期的に考える。
ぜひこの視点を持って欲しいなと思います。
では、今回は以上です。
ありがとうございました。