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#645『人から大切にされる人がやっていること』

2024-01-29 Mon.

どうも、西祖です。

HQ-MIND始めていきます。

今日は「人から大切にされる人は何をやっているのか?」っていう話をしたいと思います。

これは意外に深い話になってくると思うので、是非最後まで耳を傾けてほしいです。

人から大切にされる人。

これは単純な話で、一言で済みます。

彼らは何をやってるかって言うと「人を大切にしている」んです。

これに尽きます。

「人から大切にされる人は、人を大切にしている人」です。

この一言で、済む話なんですよ。

ただ、この「人を大切にする」のが、言うほど簡単ではないんですよね。

自分は人を大切にしている。そういう気持ちを大切にしている人ほど、実は大事なところでそれができてなかったりするんですよ。

僕のエピソードを聞いてください。

僕の経験の話なんですけど、僕には師匠って呼んでる人がいます。かつての会社員時代の社長だった人ですね。

僕がもう20歳の頃からお世話になっていて、27歳で会社を辞めました。

会社を辞めてからも、ずっと付き合いがあって、つい最近もお会いして夜遅くまで楽しくお酒を飲みながら、おしゃべりさせていただいてました。

その師匠に対して、(僕は不義理だと思ってるんですけど)不義理を働いた時期があったんですよ。

その話をする前にかなり時を遡りたいんですけど、20歳で会社に入って、最初に会った時の「師匠の衝撃」は今でも覚えていて、「凄い人だな」「俺もこんな風になりたいな」「なれるのかな」「なれたらいいな」って思って彼を見てましたね。

会社の中でも、すごく威厳があって、とても体育会系な人、体育会系な会社でした。

「まるで天皇陛下みたいな人だな」なんて思っていたことを今でも覚えてます。

それから20代半ばを差し掛かったところぐらいで、僕は独立を考え出したんですよね。

それぐらいからちょっとずつ師匠のことが、昔ほど尊敬できなくなっていってたんですね。

すごいアラが目立つようになったというか、アラが見えるようになったというか。

「この人こんなとこあったんだ」「この人こんな程度だったのか」とか生意気にも思うようになっていきました。

それは僕自身がいろんな人の話を聞いたり、色んな人の本を読み合ったりとか恐らくしていた時期で、外の世界をこれまでは全然知らなくて、ちょっとずつ外の世界に目を向け出して、殻を破ろうとしてたんじゃないかなと思うんですよね、自分なりに。

だから、外の世界を自分なりに見て「この人思っていたほど、そこまでじゃなかったな」なんて思うようになった時期があったんですよね。

そこから独立することを決めて、27歳ぐらいで会社を退職します。

もちろん尊敬はずっとしてたんですよ。

でも、気持ちにやっぱり変化が現れ始めたっていうような時期ですね。

独立してからも、自分のことを考えるので手いっぱいで、人のことを考える余裕なんてありませんでしたけど、事業の方が、30過ぎてだんだんと軌道に乗ってきたんですね。

色んな人の話を聞いて、外の世界に目を向けるようになって、「自分もこれからどんどん外に出て行こう」って思い始めた時期が、30代の前半ぐらいだったんじゃないかなと思います。

それぐらいの時期ですかね。

「なんだ。俺が昔心酔していたあの人は、そんな大した人じゃなかったんじゃないか」と思ったのは。

まあ、そこまで思ってたのかどうかも、よく覚えてないですけど、だいぶ彼に対する熱は冷めてたのかもしれないです。

ただSNSを通して、彼の姿はよく見てたんですよ。

なので、「元気されてあるんだな」なんて思いながら、それから何年か僕は僕で仕事を頑張りながら過ごしていたんですが、そうしていく中で僕も一通り色んな人達と出会って、色んな人達の話を聞いたりしてました。

自分なりの幸せみたいなものがだんだんと分かり出して、自分の実力とか自分の領域(器)も、だんだんと分かり出して、自分の居場所というか、生きるべき場所や行きたいと思う場所が分かってきました。

「俺が本当に行きたいと思ってた場所は、若い頃に思い描いていたような、派手でビッグな世界ではなかったんだな」ってことに気付いて、それからだんだんと師匠のSNSがやたらまた目に入ってくるようになって、そこでまた師匠を意識し出したんですよね。

まあ、言っても師匠は師匠でずっとすごい人ですから、色んなことやってる人なんですよね。

今の自分よりも、すごく楽しそうにノビノビ生きてらっしゃる彼の姿が、やたら目に入ってくるようになったんですね。

そんな中で、色んなことを思い出すようになっていって、昔師匠から教わった大切な考え方とか、今も自分の心に根付いてることを再確認したりとか、「あの人がいたから今の俺がいるんだな」なんてことを考えたりとか。

とにかく走馬灯のように、師匠との思い出や、師匠に対する敬う気持ちが蘇ってきたんですよ。

それが大体30代の半ばちょっと前ぐらいだったと思うんですよね。

会社を辞めて、それを思うまでにおそらく2回ぐらいしか師匠とは会ってないですね。

でも、そんな風に思い出して僕の方から師匠に連絡を取って「もしよろしければ食事でもご一緒できたら嬉しいです」ってことを言ったんですよね。

そしたら、すぐ「是非一緒に行きましょう」って返事が返ってきました。

会社員時代の、怖くて威厳があって天皇陛下みたいな独裁政権みたいなイメージが全くなくて、凄くまろやかで、温厚な丸いソフトな感じの印象にはなってましたけどね。

当時の彼はまだすごく若かったので、イケイケだった部分もあると思うんですけど、「年を重ねるごとにそうやって丸くなっていかれたのかな」なんて思ってね。

そこからもうずっと、年に2回ぐらいかな。

毎回僕の方から連絡をして「是非行きましょう」って言って飲みに行ってますけどね。

で、この間も飲みに行ってきたばっかりで、毎回楽しい時間を過ごさせてもらうんですけど、会えば会うほど今更ながら味が出てくるというか「俺やっぱこの人好きだな」「やっぱりこの人すごいな」「俺なんか全然まだ敵わないな」なんて思うわけですよ。

何が言いたいかって言うと、例えば師弟関係とかあるじゃないですか。

まあ、なんでもいいですよ。

先生・生徒
兄貴分・弟分
先輩・後輩

何でもいいんだけど、あえて便宜上「上下」っていう言葉を使いますけど、下の人間って上の人間の凄さとか威厳に憧れて近づいていくわけじゃないですか。

上は「下の可愛げ」みたいな部分を買って、色々と目をかけてあげるわけじゃないですか。

そうやってお互い惹かれあうと思うんですよ。

だけど、近くなれば近くなるほど、お互いに「素」が見えてくるんですよね。

上の者の素って何かって言うと、だんだんと威厳が薄れてくるんですよね。

時間がたてばたつほど。近くなればなるほどね。

「この人意外と普通だな」みたいなね。

下のものからすれば、そんなふうに見えてくる時期って必ずあるんですよね。

人間ってそんなもんなんですよ。

威厳とかオーラみたいなものって、言うたらキャッチコピーみたいなもんなんですよね。

コンセプトみたいなもんなんですよ。

その人が周りに自分が与えたいと思っている理想的な印象だったりするんです。

でも中身は当然同じ人間ですから、やっぱり素の姿って普通に人間的なものなんですよね。

逆に下のものは下のもので、近くなればなるほど、長い時間一緒にいればいるほど、上の人から見ると可愛げがなくなってくるんですね。

「最初の可愛げは、どこに行った?」となってくるんです。

ここでいう「下のもの」は、大体上よりも若いことが多いです。

若いってことはエネルギーがあって、勢いもあって志もあって野望もあって・・・ってことですから、成長著しいんですよね。

成長すればするほど、やっぱり色んな世界を見ることになりますから、だんだんと師匠とか先輩とかに対する、最初に抱いていた気持ちが薄れてきて、要するに軽く見出すんですよね。

大切にしなくなるってことです。

上は上で威厳がなくなる。

下は下で可愛げがなくなる。

そうなってくると、お互い距離を取り出すんですよね。

お互いがお互いを、大切にしなくなってくるんですよ。

だって、上としては自分のことを昔のように敬ってくれないわけだから、可愛げがないわけだから、だんだんと距離を置くようになってくる。

下としては、威厳がなくなってくるわけだから、「なんか・・・この人もういいかな」ってなって、だんだんと距離が離れてくるっていうことなんですよね。

こうなってくると、疎遠になるわけです。

でも、そういう相手の表面的な部分だけを見て判断するんじゃなくて、その人の素の姿や本質を全部見た上で、温かく見守る気持ちって大事だと思うんですよ。

僕は自ら経験してるから、これが言えると思ってるんですけど、僕がかつて師匠に対して背を向けてたわけじゃないけど、距離を取ってた時も、師匠は僕のことを温かく見守ってくれていたと思うんです。

別に突き放すようなことを言われたこともされたこともないし、僕が連絡すればすぐ返事をくれるし。

自分から連絡をしてこられるような方じゃ昔からなかったので、おそらく僕はずっと大切にされていたんですよね。

僕が彼のことを大切にしてなかったんですよ。

しかし、今は違います。

1周回って彼の人間性とか凄さは改めて痛感してますし、表面的な薄っぺらいものではない魅力みたいなものをすごく感じるんですよね。

彼の方が、僕の失った可愛げのなさを温かく見守ってくれていたのかななんて思います。

だからこそ、僕自身も彼の魅力に改めて気づけたっていうのもあると思うんですよ。

それに気付けたことが、僕自身の人間としての器を一回り広げてくれたのかななんて思ってます。

なので、人を大切にするって言う程簡単なことではないと思います。

これを聞いてる人、一人ひとりが自分の心に聞いてほしいんですけど、あなたが今大切にしているその人は何で大切にしているのか?

何か損得や利害があって大切にしているのか。

あるいは、そんなものがなくても、本当にその人のことを心から純粋に大切にしているのかっていうのを、ちょっと問うてほしいです。

そうすると、何か一つ二つ自分の中での課題みたいなものが見つかるかもしれないですね。

とにかくキャッチコピーだけで判断するんじゃなくて、キャッチコピーはやっぱりどんな商品でも派手なものです。

最初に目を引かせるために必要なものだったりするんですよね。

だけど、大切なのは商品の中身の方ですよね。

中身もダメならクソなんですよ、それは。

そうだとしたら、別に大切にする必要もないのかななんて思いますけど、中身が本当にいいものであるんだったら、派手ではないかもしれないけど目を引くようなものではないかもしれないけど、じっくり見るとすごく魅力的な商品だなっていうものって、世の中にたくさんあると思うんですよね。

そういうものほど大切にしたいと思うし、そういうものをちゃんと見抜いて大切にできる人が、色んな人からその何倍も大切にされるんじゃないかなって、僕は今だからそう思えているのかもしれないけど、正解だと思ってます。

ということですね。

ちょっと長くなりましたけど、以上になります。

ではまた。

ありがとうございました。

#645『人から大切にされる人がやっていること』

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