どうも、西祖です。
HQ-MIND始めていきます。
今日は、「仕事ができる奴とできないやつの違い」って話をしたいと思います。
かなりストレートなテーマなんですけど、久しぶりにこういう話をしたいと思います。
仕事ができる奴とできないやつの違いや特徴はいくつか挙げられるんですけど、まずこれを話す前に「仕事」というものについての、僕の意見をシェアさせてもらいたいんですよね。
で、世の中には様々な仕事がありますけど、僕はその中でも二つに分けられるという風に思ってるんですよ。
それは仕事と雑用です。
僕の中では仕事と雑用は明確に違います。
仕事っていうのはナマモノなんですよ。
で、状況って常に変わってるんですよね。
どんな仕事でも同じだと思います。
変化のスピードは業種や環境とかによって違うかもしれないけど、例えばお客さんの要望って常に同じとは限らないじゃないですか。
流行り廃りもあるだろうし、常に何かを変えていかなきゃいけない。
特にネットとかITの世界は流れが早いんで、これまでの当たり前が来月は通用しないってのは全然ある世界なんですね。
そういうのにちゃんと対応していくのが仕事だと思ってるんですよ。
一方で雑用って何かって言うと、ずっと変わらない作業のことです。
無責任にやれる作業のことです。
無責任にやっている仕事のことです。
頭を使わずにやれる事っていうか、頭を使わずにやっている作業そのものが僕は雑用だと思ってるんですね。
これがまず最初に話しておきたい、仕事と雑用の違いっていう僕の仕事観なんですけど。
で、次に仕事ができる奴とできない奴はどんなところが違うのかっていう話で、これは一言でいうと、よく言われることではあるんだけど、仕事ができる奴はできる方法を真っ先に考えようとします。
仕事ができない奴っていうのは、できる方法よりもできない理由を真っ先に考えようとします。
分かりますか?
仕事ができる人は、「じゃあ、これやって」とか「じゃあ、これちょっとどうにかやりたいんだけど」っていう議題が上がった時に、「どうやったらできるかな。これまでのやり方とかこれまでの考え方だと、ちょっとこれは厳しいなあ。じゃあどうにか工夫して、打破するアイデアってないかな」って考えるんですよね。
で、代替案とか自分なりの方向性みたいなものをシェアするんですよ。
これをそのまま実現することは現状厳しいかもしれないですけど、ちょっと工夫してこういう風な形に変えれば、お客さんの要望は十分に満たせるんじゃないでしょうか。
うちにとっても利益が残ると思うんですよね・・・って代替案を提出したりとか、それができる努力をするんですよ、仕事ができる人ってのは。
だから、できる方法しか考えないんですね。
一方で仕事ができない人は、真逆の思考パターンを持っていて、できない理由を常に探してるんですね。
何で出来ない理由を探すのかって言うと、これまでの流れとは違う流れだったりするからですよ。
これまで通りの流れでの、その延長線上での仕事だったら普通にやるんだけど、でもこれまでとは違う流れや、これまでとは違う形の仕事をやらなければならないという状況になってくると、「いや、それはできないでしょう。それできませんよ」って言っちゃうんですね。
なぜなら、これまでのやり方、これまでの考え方、これまでの方向性では、それは実現不可能だと思うから。
だから素直に「できません」って言っちゃうんですよ。
分かりますか?
悪気が全くないことがほとんどだと思うんですけどね。
そうそう。サラリーマンの時の話を思い出した。
僕が勤めてる業種って、現場仕事によってお金をいただくんですね。
だから現場ってのがあるんです。
常に現場に行く作業員さんがいるんですよ。
僕がよくある作業員さんとぶつかってたんですけど、そのリーダー的な人とね。
この人は僕よりも一回り以上年上の人で、その仕事ももう10年ぐらいやっていて、いつもリーダーとして現場に行って、スタッフ達を引っ張っていくっていう人なんですよ。
すごい好かれてたし、信頼も厚かったし、仕事もきっちりしてくるので、会社として重宝していたんですけど、いつもぶつかってたんですよね。
なんでぶつかるかって言うと、「〇〇さん、ちょっと今回はこの現場ね、こうやってきてもらえます?お客さんからちょっとその要望が出てるんですよね」って言うと、「え?それ、できんよ」って言うんですよ。
あるいは、僕といつもぶつかるもんだから、「できんよ」とは言わなくても、何か難色を示すんですよね。
「でも、こうなったらどうする?」とか「そうは言っても、こっちをかなり手抜かなきゃいけないから、それは駄目やろう」とか何か色々難色を示してくるんですよね。
でも、お客さんはその時に「今回に限ってはこうして欲しい」って言ってきてるんですよ。
だから、その要望に応えるために僕は工夫して欲しいと思って、それを伝えてるつもりなんですよ。
だけど、できないっていう前提で話をされるんですよ。
なので、話が噛み合わないんです。
僕はできるっていう前提で考えてほしい。アイデア出したり工夫してほしい。
しかも、それができる力を持った人だと思ってたから、当時はね。まあ、持ってるんだけど、考え方の問題でね。
僕はできる前提で話をしてるのに、向こうは出来ないって前提で話をしてるから話が全く噛み合わないんですよね。
で、最終的には「いや、もうやって」って、結構強めに言うんですよ。
これやらないとクレームになるし、お客さん的には今回はそういう形でやってほしいという要望が向こうから出てるんだから、それを今回はやって欲しいから「やって」って突っぱねるんですよね。
しぶしぶ行きますよ、現場に。
そして、やってくるんですよ、ちゃんと。
「できるじゃん」と思うんですけど、なんか「できんよ」って反発するのが、その人のなんか性格って言うか、癖でしたね。
すごくいい人だったんですけどね。
で、そういうこれまでしてきた色々な経験を考えた時に、できないことよりもできることの方が圧倒的に多いんです。
最初に挙げたプラン通りにはいかないかもしれないけど、いろいろ工夫して代替案出したりとかして、なんとか形にはなるんですよ。
だから、できることの方が圧倒的に多いはずなのに、逆に「できない事って何」って考えるんですよね。突っぱねるからできないわけで。
これまでのやり方や考え方ではできないだけであって、それを少し変えて、発想変えて、工夫を変えてアイデアを出せばできるんですよ、ほぼ何でも。
こういうところがまず、仕事ができる人とできない人の違いかなって考えました。
で、最初に仕事と雑用の違いを話しましたけど、雑用も考え方が変わればそれは仕事に昇華するんですね。
例えばコピーとり。「これコピー取ってきて」っていう仕事があったとして、雑用感覚だと、ずっと同じ事やってるだけじゃないですか。
そこに責任もないし、ただコピー取って、「はい」って渡すだけだからね。
頭を使わずにやれるしね。
だから、これが雑用感覚だと、もしそのコピー取りが仕事的に意味がないことだったとしても、なんとなく流れでみんなやっちゃってるけど、実はそれって根本的に考えて「意味ねーよな、全部 Eメールでいいよな」って疑問すら浮かばないんですよ。
雑用感覚でやってると、何の疑問もなくやり続けるんですよ。
だけど、これを仕事感覚になれば、そこに意味を見出そうとするんです。
「これってよく考えたら意味がないよな。だってこのコピーって、この仕事の流れ、文脈で仕事が発生してるわけでしょ。だったらこのコピーっていうプロセスは省略して Eメールにしてしまえば、ワンクッション減るわけだから効率も上がるし、結果お客さんにとってもいいことじゃん。」みたいな感じになるわけです、仕事感覚だと。
世の中にあるどんな仕事でも、それは雑用になりうるし、どんな雑用でも仕事になり得るんですよ。
僕が昔やってた便所掃除の仕事。これって最初雑用感覚でやってたから、むちゃくちゃ地獄だったんですよね。
地獄。
心を殺さないとできない仕事だったんですよ。
でも、いつしか仕事感覚でやるようになったんですね。
そしたら心を殺さなくてもできるようになったし、時間が経つのがすごく早くなりました。
これが仕事と雑用の違いなのかなと思います。
あと、もう一個ある。
仕事ができる奴は、結果を出している人の話をよく信じます。
ってゆーか結果出してる人の話だけ信じます。
結果も出していないのに、偉そうにあーだこーだ言ってる人の話は、話半分に聞いてます。
話を聞いてる体だけちゃんと保って、きちんと耳を傾けるのは結果を出している人の話だけ、っていう特徴があります。
でも、できない人ってのは、結果を出していない人の話にまで耳を傾けて信じちゃうんですよ。
だから、何がいいのかわかんない。例えば独立起業をしたいとか、こういう事業をやりたいと思った時に、親とか周りの友達とか恋人とかに、ガチで相談しちゃうんですよ。
その人達って、親とか友達とか恋人が起業とか、なんか事業とかで成功してる人なら相談してもいいかもしんないけど、だいたいそうじゃないじゃないですか。
大体そうじゃないし、多くはその道で成功してもいないのに、否定する人たちばかりなんですよ。
でも、そういう人たちの話を聞いてしまう。耳を傾けてしまう、そして信じてしまう。結果を出している人の話よりも、そっちを優先させてしまうということなんですね。
これはかなり大きな違いだと思うんですよ。
この辺をちょっと考える必要があるんじゃないかなと思いました。
ということで、今回は以上です。
ではまた。
ありがとうございました。