どうも、Aunこと西祖です。
「日報が続かない理由」ということで、僕のあくまで個人的な意見ではあるんですけど、述べていきたいなと思います。
早速本題に入っていくんですけど、何で日報的な行動が続かないのかっていうことですよね。
で、理由いくつかあるんですけど、まずもって、自分がシェアしている相手、彼らの立場をちょっと考えてみて欲しいんですよ。
これが1つ目の問題点になります。
自分が届けている相手の立場ですよね。
それは何かって言うと、彼らにあなたの日報を読む義務はないし、それに対してレスポンスする義務もないわけですよ。
例えばこれが、学校の先生とか担任の先生とか、会社の直属の上司とかだったら話は別ですよ。
あるいは、日報シェアすることが義務付けられているようなそういう環境に置かれているんであれば、これまた話は別ですね。
一定の強制力があるからね。
だけど、多くの場合、シェアしてる相手ってそういうわけじゃないじゃないですか。
ただのグループメンバーであり、先生であり、師匠であり。
自分が勝手に「送ります」って言って送ってるわけだから、毎回コメントとか絶対つかないんですよね。
最初のうちは何かしらレスポンスあると思いますよ。
コメントがあったり、意見が来たりとかね。
受け取ってる本人も、最初の方は反応しやすいんだけど、ずっとは続かないですよね?
だって、自分の日常の作業に付き合わせてるわけだから。
で、なんで反応が最初は返ってくるけど、続かないのか。
だんだんと反応が無くなってしまうのか?っていうことなんですけど、それが次の問題点に繋がってるわけですね。
次の問題点なんですけど、そもそも日報っていう概念自体が「面白味のないものだ」ってことです
。
それが日報である以上。日報の域を出ない以上ね。
正直言って、人の日報なんて読んでも別に面白くないし、楽しくもないわけですよ。
相手は、「何かしらの刺激になるのかな」って思って、それをシェアしてるって気持ちもあるかもしれないけど、いや別に刺激にもならないし、特に何の影響力も感じないわけですね。
僕に毎日LINE送ってきてくれた人は、僕に何かしらの影響を与えることができるんじゃないかっていう気持ちで、送ってきてくれてたと思うんですけど、一応目は通しますよ。
目は通すけど、別に影響力とか特に感じないわけですよ。言っちゃ悪いけど。
僕の場合はコンテンツ人間だから、こんな風にしてコンテンツにして、みんなにシェアするから、結果的に影響を与えたってことは言えると思いますけど、こういうケースは稀ですよね。
日報を読むことで何かしら刺激をもらえるとか、影響を感じるとかは、ゼロではないかもしれないけど、効率としてはすごく悪いわけですね。
他人の日報は別に面白くないってことです。
だけどこれが、例えば尊敬してる人だったり、自分が今注目している人だったり、大好きな人だったり、そういう人の日報だったら話は変わってくるわけです。
そういう人だったら、自らアクセスしようとすると思うんですよね。
例えば、自分が好きな有名人・芸能人のなんでもない日常を書いたブログに毎日アクセスしてるとか、そういうことなんですけど、それでも、毎回ただの日記。
本当に何の面白みもない1日の振り返りだったとしたら、やっぱりだんだんと、見る頻度って下がっていくと思うんですよね。
代わり映えのしない日常の風景を綴った日記とかなんて、有名人とか芸能人とかのものだったとしても、いずれ飽きて読まなくなるわけです。
さっき「それが日報である以上、日報の域を出ない以上面白くない」っていう風に言ったんだけど、例えばこれがメルマガだったらどうですか?
それがこういう風なコンテンツだったらどうですか?
話は変わってくるわけです。
コンテンツだったり、エンターテインメントだったり、そう呼ぶにふさわしいような役立つ内容とか、面白い内容になっているんであれば話は変わってきますよ。
今配信してる「HQ-MIND」は、コンテンツですから。
1つのエンターテイメントだから、みんなずっと触れ続けてくれるんです。
これが、もし僕のただの1日の日記だったら誰も見なくなりますよ。
人が耳を傾け続けてくれる。そして何かしら反応してくれるものは、必ずコンテンツであり、エンターテインメントなんですね。
例えば、人気インスタグラマーとかのアカウントを見たら分かると思うんだけど、必ずと言っていいほどそこには、エンターテインメントかあるわけですよ。
「見てて面白い」とかね。例えばファッション関係のインスタグラマーだったら「ファッションの情報として役に立つ」とかね。
「見てて楽しくなる。嬉しい気持ちになる」とか、そういう風なエンターテイメント性が必ずあるわけです。
それが「ない」ってことですね。
これが次の問題点になります。
で、3つ目の問題点なんですけど、人によっては、多少変わってくるかもしれないけど、他人に公開するわけじゃないですか。
なので、そこには何かしらの見栄とか、恰好つけみたいな、そういう気持ちが介入してくるわけですよ。
特にその日は「何も報告事項はないなー」「特に書くことないなー」って思っても、毎日公開している以上、「何かあったかのように振舞わなければならなくなる」ということがあるのかなと思います。
そうなってくるとなんか、何やってるかもう意味が分かんないんですよね。
そう、意味が分かんなくなるんですよ。
自分が提出してる日報に、エンターテイメント性がないから、相手はそれにレスポンスする義務はないから、反応もだんだんと得られなくなる。
反応が得られなくなるし、本人自身、「エンターテイメントを提供しよう」とか、「コンテンツにしよう」とかっていう意識もゼロだから、やってて楽しくなくなってくるんですね。
だけど、やってる以上、見栄も張りたくなるわけじゃないですか。
でもそうなると、ほんとさっき言ったように、意義も、意味も、何も感じなくなってきて、それが段々と苦痛になってくるんですね。分かりますか?
最後の問題点です。
今話した問題点も、それでもシェアしてる本人が「それでも楽しい」って思っていれば何の問題でもなくなるわけですよ。
自分が所属してるグループとか、自分の人脈とか、そういうものを活用して、そして勝手に楽しんでるだけなわけなんだから、何の問題もない。
だけど、そうじゃないわけですよね?
多くの場合は苦痛になってくるわけです。
だから、「楽しいからただやってるんだ」っていう、それが1年も2年も続くのは、本当に稀なんですね。
絶対に楽しくないはずです。
ちなみに僕自身、今言った稀なケースの1人に該当するのかなって思うんですけど、それはなぜかって言うと、ここ1年ですね、欠かさず僕はクローズドのコミュニティがあるんですけど、その中で「筋トレ報告」をしてきたわけです。
肉体改造をしたい人達が集まってるグループで、僕のトレーナーのいまちゃんとかも、そこに入ってるんですけどね。
僕は、去年の2月ぐらいから筋トレを本格的に真剣に始めだして、毎回やった内容やメニューを、事細かに上げるってことをやりだしました。
基本的に「その日どんな種目を何回・何セットぐらいやったのか?」
そして、その雑感みたいなものをたまに写真付きとかで、シェアしていました。
もちろん時間がない時とか、2日分をまとめて報告する時とかっていうことはありましたよ。
時間がない時は、事細かなメニューをシェアしたりとかも出来なかったけど、基本的に毎回欠かさず報告してたんですね。
で、特に何か反応があるわけじゃないんですよ。
いいねはあるけど、コメントとかたまにに付く程度なんですよ。
だけど、やり続けることができたんですね。
なぜならそれも理由があって、それが自分のモチベーションになってたんです。
「これだけ今日はやった」ってことを、自分の中で納得するために、確認するために、それを上げるっていうことが、僕の中では全然苦痛じゃなかったし、むしろ楽しかったんですね。
「自分がどれだけ頑張ったのか?」そして「頑張ったその過程が今の変化へと繋がっている」と。そういう実感を手に入れたかったってのもあります。
あと、これは大きいと思うんですけど、僕はそのコミュニティの中ではリーダーなわけですよ。
リーダーとして彼らに「こういうことやってるよ。頑張ってるよ」っていう背中を見せるのは意味があるなという気持ちもあったわけですね。
で、コンテンツにもなりますしね。
「背中を見せてれば、何かしらの刺激にはなるんじゃないか?」っていう風にも思ったし、投稿する内容も、エンタメ性も少しは意識したわけです。
たまには役立つ内容を書いたりとか、役立つ気づきをシェアしたりとかしたわけです。
だから、それは日報っていうよりは、僕の中では「ちょっとしたエンターテイメントの1つだ」っていう気持ちでやってたわけですね。
今言ったいくつかの理由が、日報というもの自体が続かない僕なりの理由なんですね。
で、前回の音声で「日報を始めるのは良いんだけど、だんだんとフェードアウトしていく」ということを言いました。
これ、最後ちょっと言っておかないといけないなと思うから言うんだけど、本人自身、フェードアウトするっていうことにあまり罪悪感を感じてないケースが多いのかなと思うんですね。
だけど、これはそのままにしておくべきではないなと思っています。
ちょっと厳しい言葉を使うと「責任の放棄」だと思うんですよ。
「自分は責任を放棄したんだ」っていうことは、自覚はした方が良いと僕は思ってます。
だって、多少なりとも相手を巻き込んでるわけじゃないですか。
自分が勝手に「やる」って決めて、勝手に相手に宣言して、そして勝手にシェアをし始めたわけですよね。
その時点で、相手を巻き込んでるわけですよ。
もしかしたら中には、報告を待ってる人もいるかもしれないですよ?
待ってるとまでは言わないかもしれないけど、気にしてる人もいるかもしれないですよ。
報告がある時は「頑張ってんだな」っていう風に思えるけど、報告がなくなってくると、「あれ、どうしたのかな?大丈夫かかな?何かあったのかな?」って心配もするわけですよ。
だけど、本人はそんな相手の気持ちなんて考えることなく、「楽しくないから」という理由で消えていっちゃうわけですよね?
これは、やっぱり自覚はした方が良いと思います。
「自分は、そんなに大きなことではないけど、責任を1つ放棄したんだ」という自覚は持った方が良いと思うんですね。だって、普通に考えて勝手すぎるじゃないですか。
なんでこれを言うかっていうと、僕自身もそういう経験があるからです。
今思うと「すごい勝手な行動だったな」って、振り返って思うんですね。
そういう自覚は持っておいた方がいいのかなと思います。
あと、「毎日書くことがない」っていう話をしたし、そういうメールも、もらったんだけど、例えば僕は、自分のことを「コンテンツ人間」って自覚してるんですね。
で、僕クラスのコンテンツ人間にもなると、そんな問題出てこないわけですよ。
「書くことがない」とかないんです。
だって、1日24時間あるんですよ。
昨日と全く同じ今日を生きてるわけじゃないんですよ。
これまで生きてきた人生の中で、同じ1日なんて1日たりともないわけですよ。
そういう1日を生きてるんですよ。
「毎日家と会社の往復だ」って思うかもしれないけど、それ一言で片付けるからそうなるんです。
「電車に乗った。本当に同じ風景か?本当に同じ人が目の前にいるのか?」そこまで考えたら、違うじゃないですか。そういう視点で世界を見ると、必ず何かしら1つ気づきがあるんですよ。
そして、「何かないかな」っていうフィルターを通して見ることによって、必ず気づきって生まれるんですね。
僕のような情報発信者たちは、そういう目を持ってます。
だから、コンテンツを無限に生み出すことができるんです。
そして、そういう目を持っているようなコンテンツ人間じゃないと、そういう人の話じゃないと、人は耳を傾け続けてはくれないってことです。
そういう意識もなく、「あー書くことないからなー」なんてところで立ち止まってるような人間が、「誰かに影響を与える」とか、「誰かに刺激を与えるような存在でいる」とか、「誰かに、自分の情報に触れ続けてもらえる」そんな存在でいるとかっていうことは、達成不可能なんです。
必ず何かあるんですね。
1日の起きてる時間は多分、18時間とか17時間とかそのぐらいのもんだと思うんですけど、どうかしたら寝てる間に見た夢にヒントをもらって、それがコンテンツになるってこともあるわけですよ。
それは、「何も書くことがない」とかっていうんじゃなくて、「どういう目を持って、世界を見ているか?」っていうこれだけの問題です。
だから「書くことがない」としたら、「何も今日は気づきもなかったとかって言ってる自分が、ただ未熟なだけなんだ」っていう、自覚も欲しいんですね。
いいですか?
「自分は責任を1つ放棄したんだ」っていう自覚。
そして「1日の中で気づきがない、書くことがない、人にシェアするヒントも何もない。アイデアもないって言ってる自分がまだ未熟なだけなんだ」っていう自覚。
この2つの自覚を持って欲しいですね。
別に傷つけてるつもりもなくて、いじめてるわけでもなくて、その自覚があればもっと高みを目指していけるんです。
その自覚が無かったら止まっちゃうんですよ。
だって、それに納得してるわけだから。
それを踏まえてもっと改善して、高みを目指していって欲しいわけです。
というのが、今回の僕からのメッセージになります。
・・・っていう話をしたあとは、すごい感想とか減るんですよね(苦笑)
それは寂しいので、感想をどんどん送って欲しいと思うし、別になんでもなくても良いんですよ。
「僕はこう思いました。」「今回の話を聞いてこう感じました。」
っていう簡単な内容でもいいので、特に身構えることなく、気後れすることなく送って欲しいなって思います。
あとやっぱり、毎日、毎回感想を送ることを義務付けるんじゃなくて、例えば自分自身が響いた時とか、本当に「これに関しては本当に何か送りたいな」って思った時に送るのが良いかなと。
ストレスがなくて良いと思います。
では、ちょっと長くなってしまいましたけど、今回の話は、これで終わりにします。
ありがとうございました。