どうも、西祖です。
HQ-MIND始めていきます。
最初にちょっと質問したいんですけど、幸福・成功・愛。
今言った3つの言葉を定義できますか?
- 幸福とは〇〇である
- 成功とは〇〇である
- 愛とは〇〇である
はっきりと具体的に定義できるでしょうか?・・・って言われると、多分できないと思うんですよね。
できる人っていないと思うんですよ。僕もできないです。
僕は仕事柄もあるし、自分自身の好奇心もあって、ずっとそういうものは何かを、特にここ数年探求し続けています。
- 幸福って何だろうな
- 成功って何だろうな
- 万人にとっての幸福や成功なんてないのは分かるけど、自分にとっての幸福・成功とは何かな。
- そこに共感してくれる人たちは、何を見ているのかな。
色々考えるんですけど、定義はできないですね。
「〇〇である」っていう答えみたいなものを出すことができないんですよ。
今言った「幸福・成功・愛」は抽象概念と言われるやつなんですけど、抽象概念ほど定義しようとするとツッコミどころが多くなっちゃうんですね。
「幸福とは心の平穏である」なんて言ってしまうと
- 「じゃあ、心の平穏って何?」
- 「心配事とか不安とか恐怖とか全部消えること?」
- 「そんな世界って実現するの?」
- 「それを実現しようと思ったら、色んなリスクを取らなきゃいけないんじゃないの?」
こんな感じで、ツッコミどころが多くなるんですよ。
「成功とは自分の信念を貫いた上で、○%×$☆♭」とかって言うと、またツッコミどころが多くなるじゃないですか。
「愛とは」も同じですよね。
だから、こういう抽象概念は曖昧にしておくのが世の常であり、暗黙の了解としてあるのかなっていう風に思うんですよね。
こんなことばっかり考えるんですけど、ちょっとごめんなさいね。
最後まで付き合ってくれたら嬉しいんですけど、例えば、仏教もいろんな宗派がありますけど、絶対の幸福というものをお釈迦様は説いておられます。
それを浄土真宗では「無碍の一道(むげのいちどう)」と言ったりするわけですね。
「無碍の一道という概念が、絶対の幸福である」ということが説かれているわけです。
でも、無碍の一道って何をすれば、何を達成すれば、これを体現することができるのか、はっきりと説明している人って見ないんですよ。
僕の調査が足りないだけなのかもしれないけど、例えばある人がこう言っている。
- 「でも、すごく曖昧だよな」
- 「具体的なことは何1つ喋ってないよな」
またある人は別のことを言っている。
「でも、見ている視点や角度を変えただけで、言ってることは一緒で結局これも曖昧だし、何も説明してないよな」ってなるんですよね。
はっきり説明している人っていないんですよ。
それはきっと具体的な方法論みたいなものを提示してしまうと、途端に安っぽくなってしまうっていうのは1つあると思うし、幸福なんて人それぞれなんだから、人それぞれが自分なりの方向性を持って見出していくものだ・・・みたいなところに収まると思うんですよね。
あとは、さっきパッと閃いたんですけど、るろうに剣心っていう漫画が昔あって、今もまた復活して連載してるのかな?
知っている人も多いと思うんですけど、明治時代の剣客のストーリなんですけど、緋村剣心という主人公がいるんですね。
緋村剣心は腕利きの剣客で、飛天御剣流という流派をほぼ極めている剣客です。
で、飛天御剣流には奥義があるんですよ。
大体の流派って奥義みたいなものがあるじゃないですか
飛天御剣流には、天翔龍閃という名がつけられた奥義があるんですけど、この技を繰り出す瞬間の姿って描かれてないんですよ。
その他の技は、全て具体的に描かれているんです。
例えば、龍翔閃ってやつだったら、刀を相手に向かって上に突き上げていくような描写が描かれているんですよね。
龍槌閃だったら、上から下に刀を振り下ろすみたいな。
あとは九頭龍閃とかだったら・・・まあいいや。検索してみてください。
そんな風にして奥義以外の技ってちゃんと描かれているんだけど、奥義に関しては「天翔龍閃」って技を発動した瞬間に「ピカッ」となって、次の瞬間には相手が倒れているんです。
そういう描かれ方をされているわけです。
僕はずっと子供の頃に気になっていたんですよ。
- 「天翔龍閃ってどんな技なんだろう」
- 「これだけじゃ分かんないのにな」
- 「鞘に収めて抜こうとしたその瞬間に次の場面になってる」
- 「ここが気になるのになー」
なんて思っていたのだけど、恐らく描くとこれまた安っぽくなってしまうからなんじゃないかって今なら思うんですよね。
なので、奥義も恐らく抽象概念になるし、抽象概念であるべきだとも思います。
抽象概念に留めておくことによって、奥義の品格・すごさ・別格感を恐らく演出しているんだと思うんですよね。
要するに、読む人それぞれの感性とか創造に委ねているっていうことだと思います。
他にも抽象概念だと「生きる意味」とか色々あると思うんですよね。
こういうものは、ありそうでないものですよね。
ただの言葉じゃないですか。
でも、我々人間はありそうでないものを、どうにかこうにか見出して、答えを出したり、定義しようとしたりして、そこに至ろうとしている。
これが我々人間の特徴の1つなのかなっていう風に思っています。
だから、みんな求めているんですよ。
幸福というものを、定義することはできない。
だけど、
- 幸福はあるって思いたいし、そこに至りたい。
- 成功はある。そしてそこに至りたい。
- 愛はある。愛を手に入れたい。
- 生きる意味って何なのか。それを見出したい。
これが我々人間です。
だけど、答えがないから、誰もハッキリとした具体的な答えを提示してくれる人がいなくて、大事なことになればなるほど、はぐらかされるというか、曖昧な抽象概念で表現されるものだから、結構ヤキモキしてる人が多いんじゃないかなと思います。
要するに、みんな迷っているんですね。
迷子なんです。自分達では定義できないんですよ。答えがないんですよ。
っていうことを考えると、例えば、新興宗教はこれを大胆にも定義してしまったりするわけです。
だから、強いパワーを持っているんだろうなと。良くも悪くもね。
ゆえに、あれだけのエネルギーを生み出して、あれだけの熱狂的な信者を生み出すということが可能になっているのかなというふうに思います。
なぜなら、みんな迷っているからです。
道を示してくれた人に対しては、すごく熱狂するんだと思うんですよ。
ここに我々のようなリーダーを目指す者たちの、1つの課題が浮き彫りになってくるなっていう風に思いました。
人々が求めているような抽象概念。
これとどう向き合って、どう料理していくのかってことですよね。
例えば、力不足かもしれないけど、僕だったらHQっていう概念を提唱したって言うとちょっと大袈裟ですけど、昔考えて今もずっとこの概念を使っているわけです。
Hero Quotient(主人公指数)なんて言っていますけど、「人はみんな人生の主人公なのである」と。
自分自身が主人公なんだと。
「主人公としての自覚、そして覚醒。それを経て主人公としての指数・能力をどんどん高めていきましょう」みたいなことをずっと言っているわけです。
これも抽象概念じゃないですか。
これもやっぱり響く人には響くんですよ。
なぜなら、そういうのを求めているからね。
「そこに何か成功とか幸福とかがあるんじゃないか」っていう期待をみんなしてくれるんですね。
そして、僕はそれを信じているからこそ、こうやって提唱しているわけで。
なんてことを考えると、僕のちっちゃなコミュニティですけど、ちっちゃな世界ですけど、この中の人たちに対しては、うまく抽象概念を料理できているっていうことが言えるのかなと思います。
どう向き合って、それをどう料理して、それをどんな風にメンバーに見せていくのかが、リーダーの手腕になってくるのかななんていうことを考えていました。
ちょっとフワフワした話に聞こえたかもしれないけど、テーマ自体が抽象概念なんで、こんなふうな話にならざるを得ないんですよ。
話をまとめると、人々はみんなありそうでないもの、定義できないもの、答えがないものを求めている。
みんな不安の中で生きていますから。
みんな安心に繋がるようなものを求めているんですよ。
だけど、それはどこに行ってもなかなかないわけです。
そして、自分で見出すことができない人たちが、誰かをすがる。
どこかのコミュニティを求めているわけですね。
そういった中でリーダーと呼ばれる人達、あるいはリーダーになろうとする人たちは、その気持ちを組んだ上で、彼らが安心してチャレンジしていけるような見せ方をしていくのは、もう1つの大きな仕事なのかなと思っています。
ということで、今日は以上。
ではまた。
ありがとうございました。