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#621『無能の悲劇はある意味幸福』

2023-10-20 Fri.

どうも、西祖です。

HQ-MiND始めていきます。

今日、口の中にちょっとデキモノができていて、喋り方がおかしいんですよね。

ちょっと滑舌が明らかに悪いので、そこはご容赦ください。

で、内容なんですけど、結構毒舌モードでいくと思います。

無能の悲劇というテーマで話していきたいと思います。

世の中には無能と言われても仕方のない人たちがいるわけですね。

僕は、無能のまま人生を送り続けることほど、不幸なことはないと思ってるんですよ。

そこで無能の特徴というものを、僕なりに挙げてみたいなと思います。

3つ挙げるつもりです。

1つ目。これが一番の彼らの悲劇と言ってもいいかもしれないけど、「自分が無能であることに気づけない」ってことです。

だから、間違った選択をしてしまっても、間違った生き方・間違ったあり方をしていたとしても、そもそもそれを間違ってるって認識すらできないんですよ。

だけど、一方で夢とか目標は、一丁前に持つことができるんですね。

だから、例えばビジネスで成功したいと。

経済的成功・時間的成功を手に入れることを目標としているのにも関わらず、傍らSNSの他人の投稿のコメント欄にしょうもないマウントとか、論破コメントとか、謎の共感コメントとかをして、夜な夜なそれをお勤めかのように書き込んだりしてるわけですね。

これって、行動としては完全に間違ってるじゃないですか。

だって、そんな暇があったらビジネス勉強したり、経験を積んだ方がいいに決まってるじゃないですか。

だけど、わかんないんですよ。

なぜなら無能だからです。気づくことができないからです。

で、特徴の2つ目。「見たいものしか見ようとしない」ということ。

例えば、今挙げた例で成功を夢見てるのにSNSとかに、しょうもないクソコメントを書くことが日課になってしまっているという話をしましたね。

「それは行動として間違ってるよ」という意見を、仮にぶつけたとするじゃないですか。

すると彼らは逆上するか、冷静さを装いつつも、さも自分の行動が正当かのように詭弁を振る舞うわけです。

これって何かって言うと、「都合の悪い意見は聞き入れず、跳ね返す」っていう態度そのものなんですよ。

見たいものしか見ようとしない。

自分の都合のいい情報は肯定するし、それが例えば他人の意見とかだったら、褒め称えるわけですよね。

でも、自分にとって耳が痛い意見とか、ちょっと心当たりがあるんだけど、認めたくない意見とかだと、批判するっていうね。

そういう行動に出てしまうわけですね。

で、特徴の3つ目。「自分の頭で考えて客観的に検証するということができない」ってことです。

ここまで2つの特徴を挙げてますけど、この特徴から分かるのは「客観的に物事を分析して、検証するプロセスを踏むことができない」っていうことなんですよ。

検証ってめちゃめちゃ大事で、あるいは好奇心から現実をまず疑ってみるっていうことも、僕はすごく大事だと思ってるんですよね。

「あの人が言ってるから」って鵜呑みにして、それが証明されてもいないのに、自分の中で検証してもいないのに、それを全面的に受け入れて信じるみたいな人達って結構多いんですけど、これがビジネスだったら致命傷なんですよ。

だって、ビジネスってテストして現実を受け止めて、それを検証して改善してっていう現実を見なきゃいけないんです。

じゃないと、成功なんて程遠いわけですけど、それができないってことです。

以上、特徴を3つ挙げたんですけど、僕が思ったのが「そんな彼らって、ある意味幸福なんじゃねえかな」って思って。

なぜなら、間違った判断をしている。間違ったあり方・生き方をしている。

にも関わらず、それを間違いだと認識することができないわけですよね。

そして、見たいものしか見ようとしないし、目の前にある現実が正しいかどうかを検証することもしようとしない。その発想すらない。

だから、実は彼らだって「それなりに幸せを感じて生きてるんじゃないかな」と思うわけです。

空き時間にしょうもないゴミコメントを書き込んで、赤の他人にマウントを取ったり、謎の論破をしたり、意味のない共感をしたりすることで満たされてるのかもしれない。

そんな彼らでも目標はあるわけです。

夢とか目標をちゃんと持っていると思うんだよね。

だけど、僕は叶わないと思うんですよ。

だって無能だから。

だけど、それが叶わない人生かもしれないけど、彼らにとってはそれで幸せなのかもしれないですね。

いわば夢の中で成功しているものなのかなと、ちょっと思いました。

現実世界はつまらないし、退屈だし成功とは程遠いけど、夢の中で成功しているんだから、それはそれで幸せなのかなって。

かなり皮肉に聞こえると思うんですけど、そういう幸せも別に他人は否定できないと思うんですよ。

本人がそれで幸せだと思ってるなら。

少なくとも僕はそんな人生はまっぴらですけど。

で、ここまで話してきて、何が言いたいかって言うと、これを聞いてる人に無能はいないと思うんですよ。

無能だったら、これを聞いてないと思うし。

無能じゃない人達になんでこんな話をしているのか?

何の意味があるのかって言うと、僕が今回こんな皮肉っぽく、かなり毒舌モードでこの話をしたように、あなたもしかるべき場面では、こういう話をするのも効果的ですよってことです。

何が効果的なのかって言うと、例えばあなたが情報発信をしてるんだったら、どんな読者さんがいるかわかんないですよね。

中には無能が潜んでいるかもしれないです。

自分が無能だと気付けないんだけど、心のどこかでざわつくんですよ。

無意識に思い当たる節がある。それは分かるんですよ。

だから、ちょっと不快になるんです。つまり、そっとあなたの元から去っていくだろうと。

それを期待して、情報発信だったらリストのスクリーニングとか言ったりしますけどね。

「自分のコミュニティとかメルマガとか、メディアにふさわしくない人はどうぞ出て行ってください」っていうことなんですけどね。

それをやりたい時とかにこういう話をすると、「去っていって欲しい人は去って行ってくれますよ」っていう話です。

自分の思いとか志にそぐわない無能が周囲に潜んでいると、必ずどこかでマイナスになるんですよ。

リアルな人間関係でも一緒です。足を引っ張られるんですね。

無能って人の足を引っ張るのも大好きだから。

なので、言い方は悪いけど、できるだけ排除しといた方がいいと思います。

ということで、今日は無能の特徴という話をシェアしました。

ご参考までに。

ということで、また。

ありがとうございました。

#621『無能の悲劇はある意味幸福』

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