どうも、西祖です。
HQ-MiND始めていきます。
今回は「相手に好かれすぎる会話テクニック」という話になります。
相手に好かれすぎる会話テクニック。
かなりキャッチーに攻めてきたんですけど、我ながらね。
これ本当で、僕昔から結構自然とやっていたことで、ちょっと誰だったか忘れたんだけど、You Tubeで何かの動画を見ていて、似たようなことを言ってたんですよ。
それを聞いて「これ俺昔から自然とやってたわ」「っていうか、そういうことだったんだな」って思ったんですね。
多分僕がこれまで出してきたコンテンツで一度も言語化こそしていなかった。けれども、似たようなことはちょいちょい言ってたかなっていうテクニックの話です。
テクニックって言っちゃうと嫌らしくなるんですけど、僕は自然とできていたという話でね。
これ何かって言うと「自慢させる」です。
会話の中で相手に自慢させるような話を振ったり、そういう展開にしたりっていうことなんですよ。
例えば、僕がよくやってるのがマンツーマンで話をしていると。
相手の話に対して
- 「なるほど。じゃあ、なんでそういう考えに至ったんですか?」
- 「なんでそういう結果に繋がったんですか?」
- 「その結果を、始めから想定していたんですか?」
- 「それとも始めから実は設計されていて、計算してそういう結果を生み出したんですか」とか。
結構僕そういう問いかけをするんですよ。
これ自然にやってました。昔から。
なんでこういうことをやってたのかなって考えた時に、やっぱりその背景には「自慢させよう」っていう戦略が含まれていたんだなっていうことに気づいたんですね。
- なんでそうなったんですか?
- なんでそういう考えに至ったんですか?
- なんでそういう結果になったんでしょう?
っていう質問をすることによって、相手としては自慢せざるを得ないんですよ。
自慢って言っちゃうとあれだけど、質問の構造自体が
- 「なぜそういう素晴らしい考え方に至ったんですか」
- 「なぜそのような素晴らしい結果を招いたんですか」
- 「なぜ素晴らしい何かを得たのですか」
っていう構造なので、そこに至るまでの経緯を相手は説明するわけなんだけど、何を言ったってどう答えたって、ある種の自慢になってしまうんですよね。
それを自慢と捉えるかどうかはまた別の話なんだけど、相手としてはその質問に答えることそのものが自慢になっちゃうんですよね。
人によっては謙遜しますよ。
「別に素晴らしいとは思わないけど、自分的にはこういう風に考えてやってたつもりなんだけど、まあそんなつもりはなかったけど、たまたま結果的にそうなったんだよ」って答えるわけですよ。
でも、僕はそこにさらに、
- 「いや、そのつもりがなかったとしても、みんなそうやってやってるのに、そうはならない人が殆どじゃないですか」
- 「だから、きっとそこには何らかの考えがあったと思うんですよね」
- 「僕は今話を聞いていてすごく興味深かったから、それが知りたくて・・・どうでしょう?その辺」
みたいな聞き方をまたするんですよ。
そう言われた相手はどう思うでしょうか。
嫌な気は絶対しないですよね。
自分に興味を持ってくれているし、質問されてるんで、それに答えるしかないじゃないですか。
その答えそのものが自慢っていうか、自分を肯定するような言葉になっちゃうのでどうしても。悪い気はしないわけです。
っていうことを、ずっと昔から僕はやってたんですよね。
で、これは別に誰かに聞いた話でも何でもなくて、自分がされたら嬉しいなって思うからやってただけのことであって、これをすると一石二鳥にも三鳥にもなるんですけど、相手が喜んでくれるというのもあるし、相手に好かれるっていうのもあるし、そして本当に興味がある相手だったとしたら、ノウハウが知れるわけですよね。
元々は別に相手を喜ばせようと思ってやり始めたっていうよりは、自分の師匠とかメンターとか「この人に近づきたい」っていう人に対してやってたはずなんですよ。
なので、
- その人が成功に至る過程が知りたい
- この人の思考の裏側、目には見えないマインド面を知りたい
とか、そういう純粋な興味から始まった会話のテクニックというか、そういうものなので、とても僕にとっては自然なことなんですね。
で、実は今日したい話っていうのは、ここからが本題です。
今の話を聞いて2つの反応に分かれると思います。
「なるほど。そうだよね。自分も同じことやってるよ」っていう人と、「へー。なるほど」って思った人。
この両者に分かれるのかなという風に思っていて、大半の人は後者の「へー。なるほど」って思った人なのかなっていう風に思うんですけど、これってどういうことかって言うと、これまでは今日僕が話したようなことができていなかったっていうことだと思うんですよね。
知らなかったわけだからね。
これはどういうことかって言うと、今後はそれができる可能性が今まさに開かれたということなんですよ。
ノウハウとして知ったわけだから。
だけど、これは相当意識してやらないと、本当の意味で今後できるようにはならないということも言えるわけです。
僕は自然にできてたわけです。
いつからこういうことをやってたのかちょっと分かんないけど、純粋に相手のことを知りたい。純粋に相手に喜んでほしいというコミュニケーションの本質から、今回話したようなテクニックみたいなものが自然と生み出されたわけですよね。
それってある種のネイティブみたいなもんだと僕は思っていて、僕は昔からコミュニケーションが得意だったし、人間関係とかコミュニケーションについて誰よりも深く考えてきたっていう自負があるんですけど、そういう意味で僕はコミュニケーションネイティブだと思ってるんですね。
ネイティブっていう言葉は英会話とかでよく使われると思うんですけど、英会話で言うネイティブっていうのは母国語の事ですね。
元々自然に話せる言葉のこと。
で、日本人とか我々が後から覚えるものとしては、知識が後付けで入ってくるわけなので、ネイティブではないんですよ。
だから、ネイティブにはそういう意味では絶対敵わないんですよね。
だけど、努力次第で環境次第で、限りなくネイティブに近づくことは可能だということです。
会話も同じです。
会話に限らず色んな分野でそれは同じだと言えるんだけれども、何でも同じ。
デジタルもそうですね。
僕の息子は小さな頃からスマホとかタブレットとか扱っていますけども、もう中一でパソコンも自在に使いこなすことができるってことは、要はデジタルネイティブというやつなんですよ。
でも、我々の世代ってそうじゃないですよね。
特に僕ぐらいか僕以上の世代は、そういったデジタルが登場したのは成人して以降ですから、後付けなんですよね。デジタルっていうのは。
そういう意味でデジタルネイティブには敵わないんですよ。
息子には敵わないんですよ。
もちろん、僕にはこれまでの経験があるから、例えばパソコンのタイピングで勝負したら僕がまだ勝つし、いろんな部分ではまだ負けないですけど、いつか敵わない日が来るんですね。
もうすでにゲームなんかは全く敵わないんで。
ネイティブが本気出したり経験を積んだりすると、そうじゃない人々っていうのは敵わないんですよ。
だから、今日の冒頭でした話を聞いて「へー。なるほど。そんなこと知らなかった」って思った人は、その時点でネイティブではないので、ネイティブである僕には多分敵わないんですよね。
何が言いたいかって言うと、別にあなたにマウントを取りたいわけじゃなくて、ネイティブじゃなくてもいいってことです。
ネイティブじゃないと、うまくいかない世界なんてないんですよ。
ネイティブじゃないと、うまくいかない分野とかないんですよ。
スポーツとかアーティスティックな分野だと、一部の限られた分野だと本当に才能のある人しかトップに行けないっていうのはあるかもしれないけど、コミュニケーションとかビジネスとか日常会話、恋愛会話ぐらいだったら、別にネイティブじゃなくても後付けの知識でも限りなくネイティブに近づくことができるわけです。
そこの領域に到達できれば、どんな世界でもうまくやっていけるということなんですね。
だから、別に今その能力がなかったとしても、現時点で今日の話に気づけていなかったとしても、ここから先は違うってことです。
限りなくネイティブに近づいていくことはできるので、そして、近づけば近づくほどいろんな分野でうまくいくということなので、何も心配はいらないということですね。
というわけで、絶対に考えちゃいけないこと、言ってはいけないことを最後にシェアします。
それは「あなただからできたんでしょ」とか、「私とあなたは違うから」とかは言わないってことです。
考えもしないでほしいんですよね。
それを言い出したら始まらないし、僕がコミュニケーションとか人間関係の話をすると「いや、それあなただからできたんでしょ」ってなるじゃないですか。
それはそうですよ。
僕だからこそできたわけですよ。
僕だからこそ誰にも習わずに、高度なコミュニケーションテクニックを本質のみで自然と生み出すことができたんですよ。
だけど、そうじゃなきゃいけないのかっていうと、そんなことはないっていう話なんですね。
別にそうじゃなくても、後付けの知識でもなんでもいいから、努力次第で限りなくその領域には近づけるということなので、「あなただからできたんでしょう」っていうのは、何の言い訳にもならないということです。
ということで、今日の話は以上です。
ではまた。