こんにちは、西祖です。
HQ-MiND始めていきます。
今日はちょっと暗い話になりそうというか、多分なるんですけど、何かというと、長年お世話になっていた恩師が死んでしまいまして、どれくらい前かな。
もう10日くらい前になるのかな、知ったのは1週間ぐらい前なので、亡くなって5日後くらいに僕は知ることになったんですよね。
ガンでした。年齢は69歳。すごく元気で若々しくてエネルギッシュな人だったのに、ほんの数ヶ月前まで「まさかこんなことになるとは…」ということで、全然実感がないんですよね。死に目にもあってないし。
どういう関係かというと、僕が19歳の時に居酒屋でアルバイトしたんですけど、そこのマスターだったんですね。
カウンターだけの小さな店で、バイトした期間はたったの1年間でしたけど、ただその1年間ってめちゃくちゃ濃くて、それこそホームレスみたいな変なおっさんから、ちょっと立派な大きな会社の社長さんまでいろんな人がお客さんとしてその店に来ていて、
僕は未成年の若造でしたけど、お客さんからたくさん可愛がってもらったし、叱られたこともあるし、よそじゃ聞けないような話を色々聞かせてもらったりとか、ビールもたくさん飲ませてもらったし、大将からもいろんなことを教えてもらいました。
すごく僕にとってかけがえのない1年間でしたね。
その1年間で身につけたコミュニケーション能力が、今の僕の土台になっていると言っても過言ではないぐらい、僕にとっては貴重な価値のある1年間だったんですよ。
もうバイトをしていた時期から、23年以上経ってるわけです。
その後もずっと僕は店に通い続けてきたし、23年って結構な時間だと思うんですけど、ただ彼からすると、僕はどれだけ歳をとろうが、どれだけ出世しようが、どれだけ稼げるようになろうが、バイトに来てた「あの頃の若造の幸平くん」らしくて、行くたびに「ちゃんと食べているのか」とか「元気か」とか「仕事は大丈夫なのか」とか心配ばかりしてくれて、たらふくご飯を食べさせてくれると。
そんな感じの関係が、これからもずっと続くんだろうなって思ってた矢先のことだったんですよね。
ちょうど3ヶ月ぐらいお店に行けてなくて、そろそろ大将の顔を見たいなって思ってた矢先に、彼からLINEが入って「実は今胃ガンで入院してます「1ヶ月前から入院してます」みたいな報告があって「えっ?」て思ったけど「大丈夫なんですよね?」って返したんですよね。
でも、多分大丈夫だったら、わざわざそんな報告もしてこないのかな…なんて思って、それで病院に彼女とお見舞いに行ったんだけど、結構やせ細っていたけど、まだその時はすごい元気だったんですよね。
でも、そこから2ヶ月ですよ。早かった。
その間ガンについて調べたりとか、ちょうど今やっているプロジェクトの生徒さんが、医療業界に精通してる人だったので、その人からいろいろ情報もらって、ガンの勉強もして、大将に対して「こういうものがいいよ」とか「このサプリメント飲んだ方がいいよ」とか「こういう食べ物を食べた方がいい」みたいな話をしてたんだけど、なかなか力及ばずといったところで、こんなに早く逝くとは思ってなかったので、実感がないんですよ。
今でも、あの店に行けば、まだいるような気しかしないし、「死ぬってどういうこと?」っていう感じなんですよね。
身寄りのない人だったから、人づてに聞いただけなんです。亡くなったってことをね。
僕は1週間以上経ってるにも関わらず、「お墓をどうしたのか」とか「葬式はどうしたのか」ってことを何も知らないです。
キーパーソンの人と連絡取れないこともないから、連絡を取って事情を聞いて、お墓の場所だったり聞くことはできるんだけど、未だにそれができてないんですよ。
もう実感がないまま、時間が過ぎてくんじゃないかと思って、それはちょっとどうかと思ってて、そういうわけにはいかないなって、今時間が経ってだんだんと思い始めてきています。
とにかく未だに実感がないですね。
話したいことはいっぱいあります。
今回の経験を経て、より医療業界の闇みたいな特にガンに関連する利権の闇とか、とんでもねえなっていう話はあるんだけど、今回のメインではないのでいいとして、悲しいという気持ちもそれほど湧いてこない。実感がないからね。
そういう気持ちはだんだんと大きくなってきていて、無力と言った方がいいのかな。
「もっとできることがあったんじゃないか」とか思うんですよ。
やっぱり最後に本人は死にたくないって言ってたんですよね。
死にたくないでしょって。だから言うこと聞かないと。僕の言うこと聞かないとって。
最後ちょっと強めに言ってたんだけど、その時の死にたくないって言葉と顔がすごく目に焼き付いてます。
で、その後、一旦退院したんですよね。
一旦退院したから大将家に来てよと。引っ越したからすごく景色もいいから、ぜひ家に来てゲストルーム用意してあげるから家に泊まってくださいと。楽しい時間過ごしましょうっていうことで「いいね」ってことで約束をしてたんだけど、ちょうど約束の日になって、連絡がないから連絡をこっちからしたら、「実は入院またしてしまってって…」ことでね。
そこから結局退院することは叶わなかったんだけど、最後の最後で「早く幸平くんの家に行きたい」っていうLINEをもらって、じゃあ早く僕の言うこと聞いて、早くその病院から抜けないとって返信をして、「そうだね」って返信が来て、それが最後のやり取りではなかったけど、そのやり取りが僕一番こびりついてるんですよ。
それが叶わないまま逝ってしまったので、無念って気持ちが今一番大きいんですかね。
今日のHQ-MiNDで何が言いたいかっていうと「死」というものについて、これまで何度かコンテンツにしたことがあるんですよね。
僕の中で覚えてるフレーズとしては「死んだら終わりだ」ってこと。
なんだかんだもう死んだら終わり。キレイ事とかそういうの全部抜きにして死んだら終わり。
知り合いが長年の親友の死を目の当たりにして、霊案室で黄色く変色して死んでいた、その友人を目の当たりして知人が思ったこと。
それは「頑張ったな」とか「安らかに眠れ」とかそういうことではなくて、ただただ「死んだら終わりや」っていう感想。
それしか出てこなかったっていう風な話を聞いたことがあって、本当に死んだら終わりだなって思いますね。
何もかも終わり。
後付けで、キレイ事とか死者への花向けの言葉とか色々つけることはできるんだけど、生きてる僕らからすれば「死んだら終わり」なんですよ。
それを一番の教訓にするべきだなと思うし、こういう話をしたこともあります。
どれだけ死を意識して生きることができるか。どれだけ死に思いを馳せつつ生きることができるか。
それが実は最強の生き方なんじゃないかっていう話もどっかでしたことがあると思います。
人間って死を意識できる唯一の生き物であり、でも特に死を意識せずに日々生きている生き物でもあるわけですよね。
だから、今日という日が明日も明後日も一年後も十年後も、永遠に続くというなんとなくの気持ちで日々を過ごしている。
だから一日一日を大事にできないとかね。
そういう話はあると思うんですけど、だからこそ死を意識して死を間近に感じながら、死に思いを馳せながら生きていくっていうのは、すごく自分を大事にする、周りを大事にする生き方だと思ってるんで、改めてこれはすごく重要だなと思いました。
それが志の半ばで死んでしまった恩師に対する、そこから受け取れる一番の価値なのかななんて、今は思ってますけどね。
ちょっと僕の中でまだ整理がついてないんで、正直実感もないし悲しいという気持ちもないんですよ。
不思議なことに涙もまだ出てこないし、よく分かんないんですよ。
ただこれからは死生観というものは、これまで以上に探求といったらいいのかな?
そこは深めていきたいなというふうに思ってますね。
という感じです。
ちょっと暗い話で申し訳ないですけど、「死を思いながら生きる」という最強の生き方ができるようになるきっかけにしてもらえたらありがたいかなというふうに思います。
ということで、今日は以上。