以下、動画の文字起こしです。
俺はもう今年43の年ですよ。
ここにきてちょっと自分を変えようっていう気持ちが今強いんですよ
変えようじゃないか。
変えようではないな。
もっと尖った自分を出していこうっていうことを今考えておりまして、こういう活動をしてるから、今自分がどんな精神状態にあるのかとか、どんなふうに人と接しているのかとか、客観的に分かるんですよ。
それはいろんな人のフィードバックを受けて分かるんですよ。
昔だったら「その尖った感じが好きです」って言ってもらえてたんですよ。
だけど、今は一切言われなくなって、「情に訴えかけるような文章が好きです」とか、「エモーショナルな話の内容が好きです」とかそっちの方面の感想ってよくもらうんだけど、「尖ったキレキレな感じが好きです」みたいな感想って一切貰わなくなったんですよ
それをもらってた頃の俺って、やっぱり今考えるとあれはあれで凄い良かったなと思ってて、そして、そんな自分が嫌いじゃなかったし、今思うと凄い好きな自分だったななんて思うんで、じゃあ、今の自分が嫌いかってそんなことはないんだけど、誰も傷つけまいとしてる自分がいて。
傷つけまいとするあまり、尖ったことを言っても、その後に必ずフォローの言葉を入れようとか、そこまでワンセットにしちゃうんですよ。
だから、それが余計だなと思ってます。
それを言うことによって、尖ったこと言いました。でもこれによってちょっと納得してない人がいるかなとか、少し不快にさせちゃった人がいるかなとかって思うから、すぐに想像の中のその人たちに対するフォローの言葉もワンセットで添えちゃうんですよ。
それが自分の発信を、必要以上に丸くしちゃってないかなって思うところもあって、だから誤解は産むと思うしフォローしなければね。
もっとLINEのブロックとかメルマガの登録の解除とか増えるような気もするんだけど、それぐらいが発信者としてはちょうどいいのかななんて思ってますよ。
そんな感じで、今年はちょっと変えて行こうかななんて思ってます。
どういうこと、これ?
大多数の顔色を見てバズたら負け。
なるほど。言い方を変えると大衆に迎合してバズっても、それは勝ち試合じゃないよみたいな感じ。
負け試合だよみたいな?
そんなことしてバズったってどうするみたいな感じなのかな。
八方美人とまでは言わないんだけど、優し過ぎるというか、気遣いをし過ぎる人ってたまに「ウザッ」って思ったりすることがあると思うんだけど、「そこまで気使わなくていいのに」みたいな人っているでしょう。
それに近い感覚かな。
「そんないちいちフォローしなくていいよ」みたいな
なんか自分で思うところあるんだよね、それ。
一人も傷付けないようにしようみたいなところがあって、当然そういう気持ちはあるんだよ。
あることは俺は別に問題視してないんだけど、結局親友とか恋人とかじゃないから分かんないじゃん。
一人一人の地雷も分かんないし、どんな過去を持ってて、どんなトラウマを持ってて、どんなコンプレックスを持ってるのか分からないから、どんな言葉がその人の負の琴線に触れるのかっていうのは分からないんですよ。
だから、俺は当たり前に使っている言葉でも、その人の負の琴線に触れることがもしかしたらあるかもしれない。
これまでの人生そういうことを何度か経験してきてるから、それを避けるためにいちいち危険フラグが立つたびに、それを潰そうとしてる自分がいるのもわかるのね。
それをやめようと思ってるってことです。
だから、「尖った印象というのは、主に言葉遣いから来るものでしょうか」っていう意見だけど、言葉遣いも一つそうですよね
あまりオブラートに包み過ぎても、いい子ちゃんな印象しか残らないし、言いたいことって100%伝わらない可能性が高くなってくるし、「ああだこうだ言って、結局この人何が言いたいんだろう?」なんて思われても意味がないじゃないですか。
昔は「歯に衣着せぬ物言いが気持ち良いです」みたいなことよく言われてたんだけどね。
荒削りっていうのもあったのかもしれないけど、今は下手にオブラートの包み方を覚えちゃったから、ちょっと言葉が弱くなっているのかもしれないですね。
だから、オブラートには包めるけど、敢えてオブラートに包まずに、平たく言うっていうことも必要かなと。
それで言ったら、言葉遣いも一つありますよね。
あとは、「もしかしたら今の言葉でちょっと不快に思った人がいたかもいるかもしれないな」「ちょっと誤解した人がいるかもしれないな」って思っても、それは思い出すときりがないから、あえてフォローせずにもうそこは無視して言い切って終わるみたいな勇気も必要なのかなっていう感じはしてますね。
だから、言葉の足し算引き算を、もうちょっと引き算の方に寄っていくっていうバランスの取り方の話です。
うん。そうなんだけど、俺地元の友達とかに対してここ数年そんな感じなんだよね。
また話せば長くなりそうな気がするんだけど、できるだけコンパクトに収めると、地元の同級生・幼馴染みとは昔からの付き合いだけど、こういう同じ方向性で繋がった仲間同士で元々集まったコミュニティのメンバーじゃないからさ。
だから、考え方も違うし、歩む道も違ってきて、それで色んな差が生まれたりもするわけじゃないですか。
こっちは起業家っていう道を歩んで、お金を稼ぐっていうことにある時期フルコミットしてやってきたんだからそれは経済力に差もつくでしょ。
そんな時に俺は彼らがどう思ってるのか分かんなくて、やたら気使ってた時期があったんだよね。
それで少し普段行くお店よりも高い店に俺が誘ったんであれば、たまにおごってあげたりとか、毎回おごるのは逆に失礼だから、ちょっと多めに出してあげるとかっていう気の使い方をしてたんだよ。
だけど、ここ何年かはその気の使い方すら、彼らにとっては負担なんだなってことに気づいて、俺はあえてそういう気遣いは一切しないようにしたんですよ。
すると気のせいかもしれないけど、以前よりもっといい関係で今これてるのかなっていう気がしてるんですよね。
だから、気を使えばいいって問題じゃなくて、自己満足の気遣いにならないようにしなきゃいけないなと思ってますね。
その通りです。
その中で自分の言葉が不適切だったり、本当に人を傷つけるようなものだったりした場合は謝罪しなきゃいけないし、反省しなきゃいけないと思いますよ。
それはもう当たり前にね。当然のこととして。
だけど、そうじゃなくて、誰が特定の人を攻撃するような言葉じゃなかったりする場合は別に「いや、あなたに言ってる訳じゃないし」って言えばもう済むじゃない。
それで不快になって去っていくような人は、結局どこかの時点で去っていくんだよね。
そういう人達に対して一時的に気を使って、引き止めて延命させても、どこかで必ずすれ違いが起こって、離れていくんだよね。
それだったら始めから歯に衣着せぬ物言いでいって、「そういうのが好きなんだ」っていう人だけが残ってもらった方がいいじゃん。
でも、初めから気を使い過ぎて、そんな物言いすらできなかったら、そういうコアな人たちも離れていっちゃうし、良いことないんだよね。
尖った印象が強くなるのと、その人が持つ本来の優しさがにじみ出てる感じは、別にトレードオフの関係じゃないと思いますよ。
いつも尖ったこの人が、「たまに見せるこの優しさがたまんねえんだよな」っていうもあると思うし、それも尖るメリットの一つだと思うんだよね。
逆にそれで優しさが際立つじゃん。
その人の良いところ。人としての人間味とか人間臭さが凄く際立つと思うんですよ。
だけど、普段からオブラートに包んだような温厚な感じで情報発信してる人が優しくしたって、それって当たり前っていうか響かないでしょう。
そこはギャップって言ってもいいかもしれないけど。
図星を突かれた時に、発言者の愛を汲み取れる人間でありたいです。
素晴らしいですね。
そうだね。
だから、そう思ってくれる読者さんだけを残していくっていう具体的な目標を立てておけば、離れていく人が出てくるのは怖くないんだよ。
うん。だと思います。
そこで「もう気を使うのを止めました」って宣言して情報発信のスタイルを切り替えていくのも、エンタメとして面白いかもしれないね。
これまで色んな人に気を使って、役に立つ発信をしてきたつもりだけど、できるだけ人を傷付けないように色んな人に気を使って、自分の中で色々イメージしてやってきたけど、それって自分の言いたいこと言えてないような気がするんで、もう一切気を使いません。
言いたい放題言わせてもらいます。
嫌な人は解除してください。
って言った方が面白いかもね、逆に。