どうも、Aunこと西祖です。
今回も直近で送ったメルマガ「人生≒ゲームだ」ということの補足と言うか、関連した話をしていきたいんですけど、引き続きメルマガを読んでいるということを前提に話すので、実はまだ読んでないという人は、必ずそっちを読んでこれ聞いて欲しいなと思います。
で、そういう話をした時に、いっぱい出てくる声があるんですね。
前回の音声でもその話をしたんだけど、今回はこういう声に応えていきたいんだけど、どんなものかと言うと「言ってることは分かるんだけど、とても今そんな状態ではない」ということです。
例えば「就職難にさらされていて就職活動しているけど、全く内定がもらえずに人生のどん底に来ている」。
焦ってるし、周りからプレッシャーもかけられるし、とてもゲームとして考えるとか、そういう心の余裕が全くないんだ、と。
あるいは、受験ですごく精神的にも追い詰められていて、志望校に合格できなかったらこれまで勉強してきたことが無駄になるんじゃないかとか、そうじゃないとわかっていてもやっぱり焦ってしまうし、周りがみんなライバルに見えるし、とてもそんな風に思える余裕はないんだ・・・
みたいな人もいるかもしれないし、リストラされて職探しをしていて、でも年齢的にもかなり厳しいし、もう人生終わりだと思ってます、と。
こんな状態で人生≒ゲームなんて思えない。そんな心の余裕はないです、みたいな声がどこかから出てくるわけですよ。
言ってることはすごく分かるんだけども、これも考えてみてほしいんです。
視点を変えてみて欲しいんだけど、そういう時こそ、「人生をまるでゲームをプレイするかのように人生を生きる」という発想。そういう時だからこそ、こういう発想が僕は必要だと思うんですよね。
メルマガの中では「自分事・他人事」という話もしましたけど、受験も大変かもしれないし、就活も大変かもしれないし、リストラされたとか、リストラされそうとか、それでも大変かもしれないけど、大変だと思ってるのは「自分だけかもしれない」ですよ。
それを既に乗り越えた人達から言わせると、他人事じゃないですか。
だから、すごく冷静なことが言えると思うんだけど、その人達から言わせると、
- 「そこまで実は大変なことじゃないんだよ」
- 「そこまで深刻になるようなことじゃなかったな」
- 「自分の過去を振り返って考えてみると、受験は大変だったし、就活も大変だったけど、あそこまで深刻に思い悩む必要なんてなかったし、もっと気軽に考えられていれば、もっと違った結果になったんじゃないか」
みたいな人、結構多いと思うんですよ。
十年後二十年後の自分から見ると、今苦しんでることなんて、所詮自分ごとになっているから、必要以上に深刻になっているだけであって、実は人生全体で見れば大したことはなかったし、そういうのも人生の中のたったひとつの出来事、イベントだったなと思える時は来るんですよ。
だけど今は、目の前に差し掛かってる問題だから、自分ごとになっちゃって、他人事の視点を持つことができない。
だから、そういう風な発想になるんですね。
そういう時だからこそ、「より楽しむ」という他人事の視点は必要だと思うんです。
それが「人生≒ゲーム」という視点なんですね。
そういう追い詰められている時こそ、すごく深刻になっている時こそ、少し視点を抽象度を上げて、上から俯瞰して見るんです。
ゲームに例えて考えると言うのは、「抽象度を上げる」という事です。
上の視点で俯瞰して、自分自身を見つめてみるということでもあるんです。
だから辛いなぁ、追い詰められてるなぁ、焦ってるなぁ、という時ほど、この考え方を僕は導入して欲しいなと思います。
「追い詰められてるから、そんな余裕がないです」・・・じゃないんです。
「追い詰められてるからこそ、その視点を持つように努力をしてみて欲しい」というのが僕の意見です。
ということで、今回以上になります。
ありがとうございました。