どうも、Aunこと西祖です。
今回は「愛とお金どちらが大事か」という話にチャレンジしてみたいと思います。
というのも、彼女の妹さんがいるんですけど、妹さんは飲み屋さんで働いてるんですよね。
「その飲み屋のスタッフの女の子同士でこんな話で盛り上がったんだよね」みたいな話を姉貴としていて、横で僕がなんとなく聞いてたということだったんですけど、まあ彼女たちの話はどうでもいいとして、今回はこの問題について議論しようかなと思っています。
「愛とお金どちらが大事なのか」という議題なんですけど、まずこの問い自体がめちゃめちゃナンセンスですね。
なぜなら、漠然としすぎだからです。
例えば、状況設定が具体的にあって話すなら、まだ答えようはあるかもしれないけど、漠然とした状態で、「どちらが大事?」と言われても、そんなもん人によるし、僕が言うことじゃないと思うんですよね。
その前提の上で、それでもこの議題に切り込んでいくのだとするならば、結論から言うと僕は愛が大事だと思っている派です。
なぜそう思うのかを話していきたいんですけど、まず愛は定義できないですよね。
というか、人それぞれ定義が違いますよね。
「愛って何?」って話じゃないですか。
抽象度がめちゃめちゃ高いんですよ。
だけど、人ってみんな愛みたいなものを欲してはいるんですよ。
僕が人間関係について語るときに「孤独感」をここ何年かよく持ち出すんですけど、やっぱり人は孤独感が最大の敵で、これを払拭するためにいろいろ頑張ってるわけです。
例えば、高いブランドのバッグを買うとか、高級外車に乗るとかは、他人から「すごいね」って言ってもらいたいし、褒めてもらいたいという気持ちがあって、お金を使う、努力をするっていうことがあるじゃないですか。
人の温もりを感じるために人は頑張るんですよね。
愛を定義はできないけど、世の中が人間関係で成り立っているので、人の温もりを感じたいとか褒められたいとか認められたいとか全て含めて、愛の一部とするならば、やっぱり僕は愛が一番大事だと考えます。
ここでマズローの欲求5段階説という話をシェアしたいんですけど、知ってる人も多いと思うんですけど、知らない人のためにちょっと説明しておきます。
マズローという人が昔いたんですよね。
その人が提唱した話なんですけど、ピラミッド状になっていて、ピラミッドの一番下の第1段階目に「生理的欲求」と言われるものが土台としてあります。
この欲求は生きていくために、必要な基本的な本能的な欲求のことを言います。
食欲を満たしたい、おしっこしたい、うんちしたい、睡眠欲など、これが満たされなかったら命が維持できないですよね。だから、土台にあるんですね。
第2段階目の欲求としては「安全欲求」があります。
安心して暮らしたい、安全な家に住みたい、という欲求ですね。
貧困の国とか危険な地域に住む人達は、この欲求が満たされてなかったりします。
第3段階目の欲求として「親和欲求」があります。
社会的欲求と言われたりもしますけど、友人や会社や恋人や家庭など、そういったコミュニティから自分も受け入れられたいという欲求ですね。
集団に対する帰属意識、あるいは愛情などを求める欲求がここにあります。
第4段階目には「承認欲求」がきます。自我欲求とも言われますけど、これは有名ですね。
他者から尊敬されたい、認められたいと思う欲求です。
地位、名声、金、出世欲みたいなものも含まれます。
その上の第5段階目には、「自己実現欲求」がきます。
「理想の自分になりたい」「自分のあるべき姿を体現したい」という欲求です。
自分の可能性を探究し、自己実現欲求で前に突き動かされているような状態です。
本当はこの上にもう一段階あって、それが「自己超越欲求」なのですが、ここまで来れる人は人口の数パーセントと言われているぐらい、かなりレアなステージの欲求なので、これは割愛しますね。
で、何が言いたいかと言うと、マズローの欲求5段階説の下にいる人間ほど、愛よりもお金が大事に思ってるって事です。
「愛は金で買える」と本気で思ってるんですよ。
実際、世の中の99%の物はお金で買えてしまいます。
世の中は資本主義で成り立ってますからね。
だけど、最後のラストピースのみ、お金では手に入らないわけですよ。
安全はお金で手に入ります。
でも、その次の「親和欲求」もお金で手に入ると錯覚してしまうわけですね。
第3段階の「親和欲求」とか第4段階目の「承認欲求」辺りをうろうろしてる人は、「愛よりもお金が大事でしょ」と思ってる人達がめちゃくちゃ多いです。
個人的には、東京はその巣窟だと思っています。
港区女子と、それをのさばらせている成金バカ男子が典型例ですね。
はたから見ていて、本当に虫唾が走るぐらいの気持ちなんですけど、彼ら彼女は典型的に愛よりもお金が大事だと思っているような人種だと思ってます。
一方でマズローの第5段階目の「自己実現欲求」のステージにいるような人ともなると、愛が大事だって心から思えるようになってくるんです。
マズローの欲求5段階説は、別の言い方があって、例えば第1段階目〜第4段階目までを「欠乏欲求」とひとくくりに表現したりします。
第5段階目の「自己実現欲求」に関しては、成長欲求と言ったりするんですよね。
僕は「欠乏感」はお金で補えるような気がするんですよね。
だけど、成長とか自己実現になってくると、お金では買えない、もっと大事な物を持たないと、そこにたどり着けないような気がしてくるんですよ。
愛とは別の言葉で言うのであれば「幸福感」とかが、愛に1番近い表現なのかなと思うのだけど、とにかくマズローの上の方にまで来ないと、「お金よりも愛の方が大事」とは思えないんですよね。
人間はそういうものなんです。
別に人間をステージ分けして、上だの下だの言いたいわけではないのだけど、第4段階とか第3段階目ぐらいにいるにも関わらず、「いや金よりも愛が大事だよ」と言ってる人は、ほとんどが綺麗事を言うタイプと言うか、理想論者と言うかで、そういう人に限ってお金に偏見を持ってたりするんですよね。
・お金は人を狂わせる
・必要以上のお金を持つと良くないことが起こる
・お金は汚い
・金を稼いでるやつなんてどうせ悪いことしてる etc・・・
こういった偏見です。
こういう人たちも不健全だと思うわけです。
ここで僕が思う健全なステップを紹介します。
誰もが最初は下のステージから始まるわけですよね。
日本という先進国においては、「生理欲求」「安全欲求」は満たされた状態で生まれてくる人がほとんどだと思うのだけど、何にせよ「愛よりも金が大事でしょう」「愛って何それ食べれるの?」くらいなもんだと思うんですよね。
だけど、最終的には愛が大事になってくるんですよ。
愛と表現されるお金では買えない何かが最終的に大事になってくるんだという意識のもと、仕事とかビジネスなどあらゆることを頑張ればいいと思います。
そのためにお金というツールも必要だから、あくまでツールだと思って、一生懸命稼げばいいんです。
「今は道半ばだけど、いずれ上のステージに自分は登っていくんだ」という意識を持つということが大事ですよね。
これだったらすごい健全な目標設定なんじゃないかなと思います。
最後にちゃぶ台ひっくり返すような話なんですけど、お金と愛は同列に並べて比較するようなもんじゃないんですよ。
最初に「これはすごくナンセンスな議論だ」と言いましたけど、愛ってすごい抽象度が高いですよね。
定義できないじゃないですか。
幸福度・幸福感が概念としては近いんじゃないかと個人的には思ってはいるんですけど、愛は世の中のあらゆる価値あるものの上位概念なんですよ。
お金とか物は、愛の下位概念だと僕は考えてるわけですね。
マズローの話をしましたけど、マズローの欲求5段階説は、「下が満たされないと上のステージに行けない」という特徴があるわけです。
例えば、生理欲求が満たされてないのに「ちょっと安全な場所に住みたい」とか、思わないですよね。
何も食べるものがないから、まずは「腹を満たしたい」と思うはずです。
あるいは、めちゃくちゃ危険な場所にいるのに、誰に襲われて殺されるのかわからないのに、承認欲求がどうとか、誰かに認められたいとか、そんなことにはならないじゃないですか。
何が言いたいかと言うと、お金とか物とかの物質的価値は、幸福感とか愛とか愛情とかの精神的価値の下位概念だということです。
精神的価値を得るためのツールに過ぎないってことなんです。
だけど、満たされてないと、上に行くことはできないんですよ。
だから、やっぱり最低限のお金とか物で満たすことが重要だと思うし、満たされた人だけが愛と呼ばれるものを、自分なりに定義できるのだと思うし、他人に愛を振りまけるのかなと思います。
ちょっと長くなってきたんで、この辺で終わりたいんですけど、お金と愛はどちらが大事なのかという話を今回はしてきました。
この議論自体が、超絶低レベルな議論であり、ナンセンスだと僕は言いたいですね。
まあそんな感じですが、あなたなりの愛の定義をよかったら僕にもシェアしてみてください。
ということで、今日は以上です。
ありがとうございました。