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#241『才能とは?努力とは?』

2020-01-31 Fri.
どうも、Aunこと西祖です。 今日は才能について話をしたいと思います。 例えば、何か目標があったりとかして、その目標を達成するための才能が自分にはないのか?って言って、結構悩んでる人とか絶望してる人とか居ると思うんですけど、そんな才能とかみんなないんですよね。 例えば、 お金を稼ぐ才能ありますか? って聞いた時に、ほとんどの人がそんな才能がない訳です。 女にモテる才能がありますか? って聞いた時に、ほとんどの男はそんな才能ないですよね。 だから才能がないっていって夢を諦めたりするような人は結構ナンセンスだと思っています。 じゃあ才能って何かって言うと、これ分かりやすく言語化したいんだけど、結構曖昧な感じでお茶を濁されて終わるような言葉なので、分かるように言語化したいと思うんですけど、才能っていうのは、普段何も考えずに自然にやってる行動だったりとか、自然に考えてることだったりとか、これがお金儲けとかに直結してるみたいな。 特に誰にも教わった訳でもない、あるいは自分で好きだから自然にその学習しているとか、自然に好きで本を読んでも苦にならずに学習しているとか、普段何げに考えていることが凄く金を稼ぐために大事なことだったりとかっていうことがあって、そういう人っていうのは、お金稼ぐっていうのはそんなに難しくないんですよね。 なぜなら、常に24時間365日努力をしている状態だからです。 でも、本人はそれを努力と思ってないし、自然にやってることだったりするわけですよ。 世の中にはそういう人がいます。そういう人が才能があるって言うんですよ。これは別にお金儲けだけじゃなくて、女性にモテる才能がある人もいる訳ですね。 常に考えていること、行動していることをその全てが女性にモテるっていうことに最適化されていたりとかするわけですよね。 本人はそれに気付いてなくて、幼い頃からずっとそんな考え方、行動パターンでやってきているので、大人になって途中で「あっ、これってすごい女性にモテるな」って気付くとか、そこで才能が爆発する、開花するみたいなことはある訳です。 そんな感じで才能がある人とか、天才って言われるような部類の人っていうのは、元々そういう思考パターン、行動パターンを持ってるんですよね。だから自然とソレができてしまうし、自然と努力しなくてもそこに向かってるっていうことです。 僕らが本当に欲しいと思うような目標に自然と向かってるってことなんですよ。 これが例えば、アスリートとかアーティストの世界だとすごく厳しい世界になってくるから、ただ才能があるだけでは華やかな舞台には上がれないとか、そういう厳しい世界があるかもしれないけど、これ聞いてるような人たちが僕も含めて、求めてる幸せとか成功とかっていうのはそんなシビアな世界じゃないと思うんですね。 お金を稼ぐっていうこと、例えば、今年収300万円の人が頑張って年収1000万になるっていうのは、そんなに厳しい話じゃないし、モテなかった人が女性に困らないようになるぐらいまでに自分磨きをするっていうのもそんな難しいことじゃない訳ですよね。 才能というのはそういうことなんですよ。 ほとんどの人がそんな才能持ってない訳ですよね。 自分の持ってる才能は何かって考えてみることもいいと思うし、別にそんなことを考えなくてもいいと思うし、とにかく何か欲しいものがあるんだったら、才能がない人間ができることっていうのは、もう努力をすることしかない訳です。 才能でひとつ言うと、余談になるかもしれないけど、僕はお金を稼ぐ才能っていうのは元々なかったし、女性にモテる才能みたいなものもなかったし、でも今はある程度は手にすることができてる、自分で言うのもちょっとおかしいんだけどね。 それは努力によって、勉強に学習によって手に入れてきたと思っています。ただね、空気を読むとか人の気持ちを察知するとか、心理的な部分その人のダークサイドを見抜くことに関しては、結構才能の片鱗みたいなものを今思えば感じるところはあります。 っていうのが、僕は吃音を持っていたので。まあ今も持ってるんですけど、克服してる状態ですよね。吃音があったのでコミュニケーションが結構難しいっていうところがあって、とにかく人の気持ちを考えるっていうことをやらないと結構きつい青春時代を送ってきた訳です。 これがあったために、空気を読むとか人の気持ちを読むとかその先回りをするとか喜んでもらうとか怒らせないとか、そういうことが自然にやれていたんですよね。 それによって弊害はありましたよ。どんな弊害かっていうと、先読みしすぎて逆に怒らせちゃうとか、不快な思いをさせちゃうとか、そういうことはあったんだけど、そういう失敗経験も繰り返しながらどんどん最適化されて、ソレが自分の強みになっていったってことですね、大人になってから。 そこに関して僕はある種の才能だったのかなとも思うし、それで言うと吃音自体がもう僕の才能だったって今は思っています。 才能のある人とか天才みたいな人っていうのは、普通の人よりも全然努力も何もせずに何も犠牲にせずに何かを手に入れてるって思ってる人が多いかもしれないけど、ソレは勘違いで、才能あるやつらはあるやつらで、色んなものを犠牲にしてるんですよ。 それは何かって言うと、例えば、一つのことに自然に没頭できてしまうのが才能なんだけども、でも没頭するってことは他のことが目に入らないっていうのがあります。 他の周りの人間関係をおろそかにしてしまったりとか、 ないがしろにしてしまったりとか、 人付き合いっていうのがすごく悪かったりとか、 他の約束忘れてしまったりとか、 そんな感じで、自分が没頭できる者以外のことを犠牲にしてるっていうのがあるわけですよ。 これは世の中の歴史とか偉人とか、歴史に名を残すような人達を見れば、その人たちの生涯っていうのをたどれば分かることなんですけど、結局この話から何が言いたいかって言うと、何も犠牲にせずに何かを手に入れようとかっていう考え自体が甘いし、そんな虫のいい話はない訳ですよね。 話を戻すと、努力が僕らには必要だって話をしましたね。 その才能がない僕らには、才能がないことを嘆く必要はないし絶望する必要もないし、ソレを理由に夢を諦めるっていうのはかなりナンセンスだと。 じゃあ僕らができることは何か? それは努力だって言いました。 いろんな努力の仕方があると思う、人によって違うかもしれない。お金がある人はお金を使ってできる努力があるかもしれないけども、多くの人はお金ないじゃないですか。 だから時間を使わなきゃいけない訳ですけど、これは肉体労働になってきます。 僕の場合1番努力した時っていうのは、独立する前から会社員辞める最後半年間と、独立したばかりの最初の1年2年めちゃくちゃ努力しました。睡眠時間を3時間に削って、他は全てパソコンの前に向かってるみたいな時期を過ごしました。 僕にとってはかなりの努力だった訳ですね。 別にショートスリーパーとかじゃないんで、どっちかというとロングスリーパーなんで寝ないと駄目なんですよ、ダメだと思ってたんですよね。 実際、調子悪いし凄い眠くなるしね。 だけど、そういう眠い、眠たいのを全部犠牲にしてやっていた時期っていうのがあったんですよね。だから僕は当時犠牲にしたものっていうのは、睡眠時間、そして友達大好き人間だったんだけど、友達との交流っていうのも一時は完全に立ってた訳じゃないけども、ほぼ立ってましたね。 親のことも結構大事にする人間なので、月に一回はね必ず少なくとも月に一回は顔を見せて何かサービスをする、親子擦るみたいなのをずっとやってたんだけども、それも一時は頻度を減らしたりとかしてとにかく自分が大事にしてたものっていうのを犠牲にして、その目標を達成するために努力した訳ですよね。 っで、努力って別に何年も、一生続く訳じゃないから一定期間努力すればある程度結果は手に入る訳ですよ。 結果を手に入れてからまた改めて本当に自分が大事にしたいもの大事にすればいいと思うんですよね。 努力って何かっていうと、何かを犠牲にすることだと思ってます。 何かを犠牲にすることが努力で、これができない人がめちゃくちゃ多いですよ。今ある何も犠牲にせずに今あるリソースの中だけで頑張ろうとするんですよね。 そりゃ無理だから、そんな暇な人なんていないし、かなり甘いですね。夢を見る、目標を掲げる資格がないって思ってます。 何を犠牲にするのか?っていうことなんだけど、最初はやっぱり無駄なこと、これを徹底的に省いていくっていうのが基本になります。 これはファーストステップになりますね。スマホ見てる時間とか、意味のない飲み会とかは全部断っていいし、変なしがらみみたいなものも全部捨てていいと思うんですよ。 ソレはもう基本的なことでね。 ソレをやった上でじゃあ準備万端かっていうとそうでもない訳ですよ。 まだ足りなくて、その次のステップとして捨てがたいものを犠牲にするというフェーズが待っています。例えば、僕の話で言うとさっき言ったように睡眠時間っていうのは僕にとってかなり大事だったんですけど、ソレはある程度犠牲にしましたね。 って言ってもサラリーマンの時ですよ。 睡眠時間3時間でずっと頑張ってたっていうのはね。 サラリーマンやってた独立までの半年間は頑張って、独立してからは自分の時間を全部ソレに充てることができたので、しっかり睡眠6、7時間取った状態で集中してパソコンに向かってました。 あとは友達とか親との関わりとかっていうのも、一時の話だからねこれは。 一時犠牲にして手に入れるぐらいの価値があると判断できるんだったら、ソレはするべきだと思うし、あとは自分の中のこだわりとかルールとか、例えば、家事は絶対自分でするのが俺のポリシーだ、みたいな人がいるかどうか分からないけど、そういう人はそんなポリシー何もならないから捨てた方がいいと思うし、友達の誘いは絶対に断らないとかね、そんなポリシーも捨てた方がいいと思うし、っていうことなんですよね。 また取り戻せるからソレはね。 その何かを達成した時に取り戻せばいい話なんですよ。 だから才能がないからと言って絶望することはないし、多くの人がそんな才能ない訳だから、僕だって金稼ぐ才能も女にモテる才能も何もなかった訳だから。 吃音が僕はある種の才能だったことが多くの人にとって救いになるのかなと思うんだけど、こういうこともあるんですよね。 自分のコンプレックスがある種の才能に変わるっていうのは、僕は自分の経験を持って実感しているし、そういう人は周りに何人もいるからね、僕はこれはかなりいい考え方かなというふうに思ってます。 才能ないやつがやっぱりできることっていうのは努力しかないです。 ほとんどの人がお金がないので時間を使うしかないです。 その時間を手に入れるためにやっぱり何かを犠牲にしなければならない、無駄なことを省くっていうのは当たり前の話で、多くの人はそれだけじゃ足りないから自分のこだわりだったりルールだったりポリシーだったりっていうのをもう一度、本当に今必要なのか?目の前の絶対達成したい目標、これを犠牲にしてでもこのポリシー、こだわりを貫く必要があるのか?っていうことを考えてほしいですね。 多くの人の答えはノーだと思うので、こういうところでやっていかないと夢なんて叶えられないのかなと思います。 というわけで、今回は以上です。 ありがとうございました。

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