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#17 『左右極限を知らねば中道に入れず』

2017-10-26 Thu.

どうも、AUNこと西祖です。

「左右極限を知らねば中道に入れず」っていう言葉があって、僕はこの言葉が凄く好きなんですね。

どういう意味かというと、例えば「貧しい暮らしも、贅沢な暮らしも、実際に両方味わってみないと、両方の良さも両方の苦労も分からないよね」ってことですね。

実際を知らなければ、その人が何を言おうが、言葉に説得力が宿らないですよね。

例えば、貧しい暮らしを知らない人が、貧しい暮らしをしてる人のことを話しても説得力は持たないわけで、つまり説得力がないってことは、その人の影響力はたかが知れているってことにもなります。

だけど、両極を経験してる人の言葉は、とても人を引き付けるものがあります。

両極を知っているのは、つまり「中央を知っている」ってことだと思うんですが、これが「幸せのヒント」なんじゃないかなと思っています。

んで、少し前に「勝ち組と負け組」って話をしましたよね。

そこで僕が話した「勝ち組・負け組の定義」では「最終的に勝ちも負けも両方知ってるやつが1番強いんじゃないか」っていう話をしました。

別な言い方すれば、ここでいう中道がそこに当たるわけですけど、例えば、昔は貧しかったけど、今では裕福になったというストーリーがあったとしましょう。

これはすごくいいと思います。

努力なり何なりして、そうなったんだと思うんです。

僕もその口です。

だけど、僕が最近思うのは貧しかった頃は貧しかった頃で、その時にしか味わえなかった幸せの感覚があったということです。

例えば、ここ数年自分のお金でおいしいものを食べられるようになったし、昔に比べたら高価な食事みたいなものを食べていてもやっぱりたまに

吉野家の牛どん
ココイチのカレー
ファミレスのハンバーグ

こういう食べ物がすごく恋しくなるです。

これは貧しかった頃に、とても好きだった食べ物なんですよ。

あ。そうそう。

念の為言っておくと、貧乏ダメ、金持ち最高って話じゃないですからね。

逆に貧乏最高、金持ちダメって話でもないです。

貧しさのレベル感や捉え方は人それぞれなので、その辺はニュートラルな視点で見てくださいね。

ちょっと話が逸れましたが、そういうカジュアルな食べ物はその頃の贅沢でした。

僕はあの頃の幸せの感覚を忘れたくないんですよ。

僕はおいしいものが好きだし、自分でもわりとグルメな方なのかなと思っているんだけど、そんなに舌が超えるぐらい美味しいものばっかり食べないんですよ。

インスタやフェイスブックの投稿を、見てる人たちからすると、「いつもこの人はおいしいもの食べてるのかな」と勘違いする人もいるかもしれないけど、そんなに食べてないからね。

頻度でいうと週1とかですよ。

会食が重なる時は週3になる時もあるんだけど、普段は自炊です。

特に今は筋トレに励んでいるので、できるだけ自炊するようにしてるし、外食する時でも結構ファミレスに行きます。

色んなメニューがあるから、トレーニーには嬉しいですね。

行こうと思えば毎日でも高級なお店に行くことはできますが、僕はそれをしたくないです。

なぜなら舌が肥えてしまうからです。

舌が肥えると恐らく相対的に、飯がまずく感じやすくなります。

普段食べるごはんが、おいしく感じなくなるわけです。

僕はそれは凄く不幸なことなと思うんですよ。(あくまで僕はですよ)

幸せだとは思わないですね。

僕は貧しかった頃に味わってた、幸せの感覚を持ったまま、今の自分が手に入れたライフスタイルをちゃんと謳歌し、楽しみたいと思ってるんですよね。

つまり、それが自分自身の中道に入れているのかなと思ってます。

それが凄く幸せを感じるんですね。

幸せの幅が広がったって僕は感じるわけです。

貧しかった頃の幸せの感覚を忘れて、贅沢ができてる裕福な今の生活に、どっぷり浸かって、それでしか満足できない生活・・・、それでしか幸せを感じられない毎日・・・こんな人を見ると幸せそうに僕には見えないんです。

幸せの幅がとても狭い世界で生きてるなって感じるんですよ。

僕はそうはなりたくはない。

だけど意外といるんですよ、そういう人って。

もう吉野家とかココイチが、全然おいしく感じない。

空腹の時ですら、そういうところに行きたいと思わない、っていう人は結構いますから。

昔付き合ってた彼女が水商売の娘で、凄く舌が超えてたんですね。

年齢も若かったし、とても可愛らしい女の子だったから、お金を持った大人たちにチヤホヤされてたわけです。

いつも同伴やアフターで高級なものを、食べていてすごく舌が肥えてて「吉野家とかココイチが、特に美味しく感じない」っていうその娘の感覚が、全く理解できなかったですね。

やっぱりそれはとても不幸なことだなと思うんですよ。

もともと嫌いだったら、仕方ないことだと思います。

でも、昔は好きで良く食べていて、おいしかったけど、「今はもうおいしいと思わない」みたいなこと言ってました。

それを聞いてすごく違和感があって、今思うとそれはとても不幸せなことなんじゃないかって思うんです。

だから、あまり舌を肥やし過ぎない方がいいなと僕は思ってます。

何が言いたいかというと、「両方経験してほしい」ってことです。

貧しい経験もしてほしい。

そこから頑張って贅沢ができるようになってほしい。

両方とも経験もしてほしいと思うし、どっちの経験をしたならば、どっちも忘れてほしくないですね。

貧しい頃の幸せも知っている、そして裕福になった今の幸せも十分に噛みしめることができているのは、純粋に幸せの幅が広いと思うんですね。

だから、そういう生き方を僕はこれからもしていきたいなと思うし、最初に言ったように「左右極限を知らねば中道に入れず」っていう言葉が、幸せのヒントだとずっと思っていながら生きてるんですね。

だから、是非あなたもここにピンと来たようであれば、そういう生き方を意識してみてくれたらいいんじゃないかなと思います。

「幸せって何なのかな?」ってみんな考えてると思うんだけど、その幸せな形は人それぞれもちろん違うと思うんだけど、今回の話が僕にとってはすごく良いヒントだったので、良かったら参考にしてみてください。

では、今回は以上。

ありがとうございました。

#17 『左右極限を知らねば中道に入れず』

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