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#16 『チャンスのタイミング』

2017-10-18 Wed.

どうも、Aunこと西祖です。

「ベストコンディションなんてないんだ」という話を、前にしたと思います。

今回は、さらに残念なニュースがあります。

それは何かと言うと、「チャンスは自分で掴みに行かなきゃいけない」ということは、沢山の人が言っていることかもしれないけど、多くの人が見落としている視点として、「チャンスは残念ながら、自分のタイミングではやってこない」ということです。

この「自分の」という所がよく考えてほしいポイントなんですけど、例えば、ピンとくるような情報が入ってきた時に、

「まあでも今じゃないな~」
「今はちょっとタイミングが悪いな~」
「この話がもっと早くに来てくれていたらな~」
「あと1年後だったらちゃんと、自分の仕事を片付けて、きちんと準備ができているはずだから」

などなど。

色々なことを考えて、ピンときているにも関わらず、そのチャンスのタイミングを棒に振ってしまうことを、多くの人がやっているなと思うんですね。

今言ったような思考パターンを持っている人は、一生チャンスなんてつかめないし、チャレンジなんてできない訳です。

なぜなら、チャンスは自分のタイミングでは絶対やってこないからですね。

もしその話にピンときたならば、コンディションが悪くても準備不足でも掴みに行かないといけないんです。

それで掴みに行けるやつが、チャンスをものにできるんですよ。

チャンスって、そういうものなんですね。

常にベストコンディションで、常に準備万端な状態だったら、誰だってチャンスなんてつかめるわけじゃないですか。

例えば、チャンスを掴むために、お金がかかることだってあるかもしれない、時間を使うことだってあるかもしれない。

すべてのリソースが揃っているとして、チャンスが目の前に来た。

それを掴まないやつは、ただの馬鹿ですよね。

ベストコンディションじゃないから、準備不足だからこそ、多くの人がチャンスだと思っても、それを棒に振ってしまうんです。

だけど、それでも掴みに行くやつが、本当にそのチャンスを掴むんです。

僕は自分の心の声に、従うべきだと思います。

ピンとこなければそんなものスルーすれば良い話です。

ただ、ピンと来てるのに、コンディションが悪いからと言って、スルーするのは僕は完全に愚か者だと思ってます。

それは目標達成したいとか、理想の人生を手に入れたいと、言っている人間の態度ではないと僕は思っています。

「じゃあ、お前はどうなんだ?」というツッコミが入るかもしれないけど、僕もやっぱりチャンスは掴んできた方だとは思うんですよ。

例えば、会社員時代の話なんですけど、昇進の話が社長からあったんですね。

「お前を、昇進させようと思う」

「課長にしようと思う」

「やるのかやらないのかは、お前自身が決めろ」と選択を迫られたわけです。

当時24歳でした。

かなり未熟な小僧でした。

社会経験も無ければ、部下をマネジメントするみたいな器もないし、知識も本当に圧倒的に少ないし、すべてが未熟だったんですね。

断る理由はたくさんありました。

だけど、

「これはチャンスだ」
「キャリアアップだ」
「スキルアップだ」

と思って引き受けたわけです。

紆余曲折ありましたよ。

たくさん辛いことありました。

たくさん大変なことばかりでした。

だけど、経験とか知識とか器は、あとから遅れてちゃんとついてきたんですね。

むしろこの経験がなかったら、一生身につかないなと思えるようなものが沢山あった気がします。

あと27歳の時に、インターネットビジネスに出会って、それで独立しようと考え出した時も、ネットの知識なんて殆どなかったし、パソコンは多少は触ってたけど、エクセルとかワードがちょっとできるぐらいのもんですよ。

インターネット=Yahooと思っていた時代だったんで…(苦笑)

だけど、そこに可能性を感じたし、チャンスだなと思ったんですね。

だから、そのチャンスを掴みに行ったんです。

会社をやめる一ヶ月前ぐらいの時、どんな状態だったかっていうと、特にマネタイズができてなかったし、収入でいうと月で10万超えたぐらいですよ。

今考えると、恐ろしく脆弱なビジネスモデルだったわけですね。

だけど、後からちゃんと知識や経験やスキルが経験としてついてきました。

チャンスを掴んだ結果です。

コンディションは決して良いと言えなかった。

準備なんて殆どできていなかった、と言っても良いかもしれない。

でも、チャンスだと思ったから、それを掴みに行ったんですよね。

余談だけど、たまに名刺交換すると「起業準備中」という言葉を名刺にどどーんと載せている人がいるんだけど、それを見てね、滑稽だなっていつも感じるわけです。

正直笑ってしまいそうになるんですよね。

起業準備中って(笑)

その準備いつ終わるの?っていう話ですよね。

言いたいことはわかるんだけど、そんなこと言っているようじゃ駄目ですよね。

準備中とか人に言うことじゃないし、そんなものは、自分の中だけの言葉です。

「ベストコンディションなんてない」という話は前回しましたけど、その続きとして「チャンス自体も自分のタイミングじゃやって来ない」ということです。

だから、どんなにタイミングじゃないと思っても、チャンスだと思ったんなら、コンディションが悪くても、準備不足でも掴みに行けという話です。

「左右極限を知らねば中道に入れず」という言葉があって、僕はこの言葉すごく好きなんです。

これどういう意味かっていうと例えば、貧しい暮らしも贅沢な暮らしも、実際に両方味わってみないと、両方の良さも両方の苦労もわからない、ということなんですよね。

わからなければ、その人が何を言おうが、その人の言葉に説得力が宿らないですよね。

例えば、貧しい暮らしを知らない人が、貧しい暮らしをしている人のことを話したって説得力は持たないし、説得力がないということは、その人の影響力は、たかが知れてるわけですよ。

だけど、両極を経験している人の言葉は、とても人を引きつけるものがあります。

発信力や影響力は、とてつもなく大きいです。

つまり、中道が僕は幸せのヒントなんじゃないかなと、思っているわけですね。

少し前に「勝ち組と負け組」という話をしたと思うんですけど、そこで僕が言った「勝ち組と負け組の定義」では、最終的に勝ちも負けも両方知っているやつが、一番強いんじゃないか、という話をしたわけです。

あれは、別の言い方をすればこういうことなんですね。

ここでいう「中道」というのが、そこに当たるわけですけど、例えば昔は貧しかったとしましょう。

しかし、今では裕福になったっていうストーリーがあったとして、それはすごく良いと思います。

努力なり、何なりしてそうなったんだと思うんですけど、良いと思うんですね。

僕もその口です。

だけど、僕が最近思うのは、貧しかった頃は貧しかった頃で、その時にしか味わえなかった幸せの感覚があったということです。

例えば、ここ数年は自分のお金で美味しいものを食べられるようになりました。

良いものを食べていても、たまに吉野家の牛丼や、ココ壱のカレーや、ファミレスのハンバーグが、すごく恋しくなるんですね。

これは貧しかった頃に、っても好きだった食べ物なんですよ。

その頃の贅沢だったんですね。

その頃の幸せの感覚を忘れたくないんですよ。

だから、美味しいものが好きだし、自分でも割とグルメな方なのかなと思っているんだけども、そんなに、舌が肥えるぐらい食べないんですよ。

InstagramとかFacebookの投稿を見てる人達からすると、「いつもこの人美味しいもの食べてるのかな?」と勘違いする人もいるかも知れないけど、そんなに食べてないからね。

週1とかですよ、頻度でいうと。

会食が重なっているときは、週2とか3とかもあるんだけども、僕は普段は自炊です。

僕はいま筋トレに励んでいるので、自炊するようにしているし、外食する時でも結構ファミレスとか行きますね。

行こうと思えば、毎日でも高級なお店に行くことはできます。

だけど、僕はそれをしたくないんですよ。

なぜなら、舌が肥えてしまうからです。

舌が肥えると、普段食べるご飯が美味しく感じなくなるわけですね。

僕はそれはすごく不幸なことだなと思うし(あくまで僕はですよ)そうじゃないと思う人もいるかも知れないけど、僕はそうは思わないんですね。

昔の貧しかった頃に味わってた幸せの感覚を、持ったまま今の自分が手に入れたライフスタイルも、ちゃんと謳歌したい、楽しみたいと思ってます。

つまり、それは「自分自身の中道に入れているのかな?」と思っているわけです。

それがすごく幸せを感じるんですね。

幸せの幅が広がったと感じています。

貧しかった頃の幸せの感覚を忘れて、裕福な今の生活にどっぷり浸かってしまって、それでしか満足できなくなってしまっている。

それでしか幸せを感じる事ができなくなってしまっている人を見ると、とても幸せそうには見えません。

なんていうか、幸せの幅がとても狭いです。

僕はそうはなりたくないんだけど、意外とそういう人っているんですよね。

吉野家とかココ壱が全然美味しく感じない。

空腹の時ですら、そういう所に行きたいと思わない人は結構います。

かなり昔の話なんですけど、付き合っていた女性が水商売の子で、すごく舌が肥えていたんですね。

年齢も若かったし、とても可愛らしい女の子だったから、お金を持った大人たちにちやほやされていたわけです。

いつも同伴とか、アフターとかで高級なものを食べていて、すごく舌が肥えていて、その時の僕は、「吉野家もココ壱も特に美味しくない」という、その子の感覚が全く理解できなかったんですね。

今思っても、それはとても不幸なことだなと思うんですよ。

もちろん、元々嫌いだったら、それは仕方ないことだと思うんだけど、「昔はよくすごく食べてて、美味しかった」「だけど今はもう本当に美味しいと思わない」みたいなことを言っていた訳です。

それを聞いてすごく違和感がありました。

今思うと、それはとても不幸せなことなんじゃないかと思います。

だから、あまり舌を肥やしすぎない方が良いなと思っていますね。

何が言いたいかというと、「両方経験してほしい」んですよ。

貧しい経験もしてほしいし、そこから頑張って贅沢ができるようになるライフスタイルを手に入れる経験もしてほしいと思うし、どっちの経験もしたならば、どっちも忘れてほしくないんですよね。

貧しい頃の幸せも知っている。

そして、裕福になった今の幸せも十分に噛みしめることができているというのは、幸せの幅が広いと思うんですね。

だから、僕はそういう生き方をこれからもしていきたいなと思います。

あと、最初に言ったように「左右極限を知らねば中道に入れず」という言葉が、僕は幸せのヒントだとずっと思いながら生きています。

ぜひこれを聞いている人も、ここにピンときたのであれば、そういう生き方を意識してみたら良いんじゃないかな、と思います。

「幸せってなんなのか?」とみんな考えていると思うんだけども、「幸せの形」も人それぞれ違うと思うんだけど、これが僕にとってヒントだったので、よかったら参考にしてみてください。

というわけで、今回は以上です。

ありがとうございました。

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