どうも、Aunこと西祖です。
最近、筋トレしていて思ったことを話します。
それは、ここぞというとき、「自分との戦い」を制しなければならないな、ということです。
「どうしてこんなことを考えていたのか」についてですが、筋トレは、やればやるほど欲が出てくるからです。
例えば、ベンチプレス。
もっと重いウエイトを上げたいだとか、そういう欲望が出てきても、体がその気持ちに追いついていないということがあります。
少し頑張れば上がりそうな気もする。
でも、、まだそれを上げるには力が足りていなくて、本当は下げなければならないところまで下げずに、バーベルを上げてしまうなど、そういうズルを少しすれば上げた気にもなれるわけです。
しかし、それで上げたからといって「自分は百キロのバーベルを上げたんだ」という自慢ができるかといえば、それは何の意味もない行為になります。
なぜなら、自分が目指しているのは、ズルをしないでその重量を上げた自分の姿なわけですから。
だから、その行為には何の意味もないことになります。
これは他の様々なことについても同じことがいえます。
勉強でもそうですよね。
カンニングして点数を取ったとしても、それには何の意味もないわけで、あとから自分が苦しむだけです。
嘘もそうです。
他人に対してつく嘘は、見栄や外聞など自分自身へのメリットが、大抵の理由になると思いますが、ついた嘘が表す理想と、そこにある現実を比べたときに生じるギャップには、何の意味もないですよね。
大抵は、むしろマイナスになることの方が多いでしょう。
他人への嘘もそうですし、自分自身につく嘘というのも直接的にマイナスしか生みません。
何にもならない、何のためにする行動なのかわからないですよね。
その瞬間だけを気持ちよく過ごすための行為だったとしても、ここに起きている問題を先送りにしているに過ぎません。
どれだけ自分を律して、長期的に考え、行動できるのか。
これこそが、「自分との戦い」に繋がってくるわけです。
要所要所で自分との戦いを制してきた人たちだけが、様々なものを手に入れ、成功してきているのです。
僕がこれまでに見てきた成功者たちは、要所要所できちんとやるべきことをこなし、そして自分との戦いに勝ってきています。
短絡的な思考パターンに陥り、目先のメリットだけを優先して、長期的な問題は全て先送りにするような、そんな生き方は絶対にしていませんし、ましてや自分や他人をごまかしたりもしません。
なので、厳しい瞬間というものが、もし今あるとしたら、これは「自分との戦い」なのではないだろうか、と自分に一瞬でもいいので問うてみてください。
その答えがもしYESなのであれば、少し頑張ってみましょう。
チャンスなんていくらでもあります。
一発勝負ではありません。
多くのことがもしそこでできなくても、また次挑めばいいんです。
ということで、今回は以上です。
ありがとうございました。